【うさぎ繁殖で初商い】
小学校5年の時、4つ上の兄が兎を飼っていて、餌係が私であった。
ある朝、いつものように餌をくれに兎箱を覗いたら。なんとピンク肌の
鼠が何匹もうごむいているではないか。
兎箱になぜ鼠の子供…。
あわくって兄に報告に行ったら、それは兎の子供であると教えられ、
出産まじかになったら、部屋を仕切って薄暗くし、藁を敷いてやり、母兎には
大根に塩を塗って食わせろなどを教わったが、その後なぜか私の兎になっていた。
その子兎に白い毛が生えそろい、乳離れし草を食べるようになったので、
全員を引き連れて野原で遊ばしていたら、近所の子供たちが見物に現れ、
一匹100円で売ることになり、即日完売の大盛況であった。
この時商売の面白さを感じたのではないかと回想している。
しかしこの程度で、一過性の現金収入では、すきっばなしの腹は満たせなかったのであろう。
後に警備保障会社を経営するなど夢想だにせず、『盗人稼業』、オンパレードなのであった。
犯行現場は主に自宅・近所・学校であった。小学校5年ころから中学生の頃の犯行である。
【母親のおやつの隠し場所】
農業の母は、野菜や漬物を売って現金収入としていた。
リヤカーを引いて、町の市場へ売りに行くのである。
リヤカーに売り物と母を乗せて、自転車をこぐのが私の仕事。
母は居並ぶ市の隙間に、ちょこんとゴザを敷き、商品を並べるのである。
売り声を上げるのでもなく、ただじっとしているのだが、一時間もすると完売する。
市場まではリヤカーで約一時間。結構きついのだが、帰りには必ず『大福もち』一個を
駄賃として買ってくれる。
きついよりもお駄賃の『大福もち』に魅力があったりである。
それと、ここからが腕の見せ所と言うか本業なのだが、母はその現金収入で家族に
お菓子を買って行くのである。
母は私が怪しげな事はとっくに承知していて、買って来たお菓子を隠すのである。
蚊帳や布団の中。押し入れや天袋。タンスや米櫃etc etc・・・。
母は大変な苦労と努力をするのだが、ことごとく探し当て犯行に及んでいたのである。
私の戦術は簡単明瞭。
隠せる場所全てを長時間かけて、忍耐強く探し続ける。
母は以前被害にあった場所は避けていたが、忘れてうっかり同じ場所な隠す事もあった。
なにしろ腹すかしの少年。確実にどこかに隠している事を信じ、なにしろ見つけるまで探す
強い信念のもと必ずゲットした。
勿論良心もあり、1/3程を食べ、あとはのこしておいた・・・事が多い。
不思議なのは母に叱られた事は一度たりともなかった。
最も現行犯でないと私が供述しなかったからかも。
【金庫】
戦後もやや落ち着き、わが部落にも電蓄や手提げ金庫ブームが来た。
電蓄は完成品を買うのではなく、市内のN電気器具商のAさんが出張してきて
組み立てるのである。
たった一枚の洋楽レコード『ボタンとリボン』を繰り返し聞いていた。
それにしても不思議に思ったのが、お店やさんでもなく、重要書類、ましてや
多額の現金を常時自宅に置くなどありっこないのに我が父は金庫を買ったのだ。
手提げ金庫で幅40cm程で、正面の両脇にダイアルがついていて、持ち上げるとゼンマイ仕掛け
の防犯ベルがなり、金庫としての一応の体裁を整えているが、いかんせん軽い。
小学生でも軽々持てる代物である。
その金庫は茶の間の一番上座に鎮座し、要するに一番目立つところに置いてあるのだ。
父親と村の来客者が金庫自慢話を延々としていたものである。
最初は物珍しく、興味深く見物していたが、金庫の『金』に着目し、中身に興味が沸いた。
しかしダイアル2個の組み合わせが分からないと開けられない。
メモリが1から100まであるダイアルが2個。それを合わせるには天文学的作業である。
不可能・・・とは思わない。
父親が開けるときのダイヤルを回す動作を盗み見し、それに近い操作なら天文学も不要。
そこで父親から学級費を貰う日に、隣の部屋の障子の穴から父のダイアル操作を記録した。
あらかじめ左右のダイヤルの番号をチェックしておいたので、極めて速く開いてビックリした。
防犯上鍵もつけておくべきと思った。
さあ、そこで10枚ほどあった1,000円札一枚を盗取。親の驚く姿を観察する事とした。
夕方になってなにかの支払いをする為、金庫を開けた父が1,000円札を何回も数えたり、
金庫の中を再チェックしたりしていたが、首をかしげ探索を終了した。
意をよくした私は再度犯行に及んだ処、翌日当家の金庫は蓋が開きっぱなしで、父は
金庫としての用途を諦めてしまった。
その後その不要になった金庫は私が貰って、大事な物の入れ物にしたのであった。
【授業中に先生がポロッ・チャンスは逃さない】
『今日は宿直で、やき鳥で一杯・・・』
この一言を聞き逃す訳がない。
先生は授業の途中で、よく雑談を入れるが、腹べらしとしては
『焼き鳥を宿直室に置いてある』・・・としか聞こえない。
当時田舎に焼き鳥など売っていない時代。とんでもないご馳走が
宿直室にある。
先生の一言は立派な情報であり『チャンス』を与えてくれたのだ。
もとより授業は上の空であったが、その一言以後はいかにして略取するかで、
頭の中は大忙しである。
ブツは宿直室にしか置くところはないはず。
焼き鳥の匂いで隠し場所は極めて容易。
生徒が絶対入ることのない宿直室に入り、いかに短時間で事を終えるか・・・。
授業中にトイレに立つ。
生徒は勿論、先生のほとんどは教壇。
校長・事務員・用務員・・・この3人しか残っていない。
校長は校長室からまず出ない。事務員は一人なので、授業中は事務室から出られない。
問題は用務員だが、職務上いつどこに現れるかわからないが、リスクゼロの犯罪はあり得ない。
国語の時間が半分ほど進んだところで挙手
『トイレ』と嘆願。
教室を出てから競歩の選手並みに宿直室へ。
廊下には誰もいずまるで無人島。
宿直室の戸を開いて中へ。
先生方が泊まる聖地、さすがにゾクっとする。
6畳の宿直室はとても綺麗で、家具など全くなく、探す対象は押し入れしかなかった。
スーっと引き戸を引いたら、中は焼き鳥の匂いが充満。
布団の一番上に、新聞紙の包みが。
おそらくトイレあたりで大急ぎで食べ、素知らぬ顔をして教室に戻ったのだろう。
犯行時間はトイレタイムからして、10分以内であろう。
【美術部の梨】
お昼休みに美術室の前を通ったら、部屋の真ん中の小さいテーブルの上に、
赤ちゃんの頭ほどの梨が一個置いてある。
放課後の美術部の写生対象としてO先生が置いたのであろう。
が、それは私には腹の足しになる食べ物としか見えず、瞬時に犯行計画を
立てる事になる。
トイレタイム策は以前に適用したので今回は敬遠。
そこで、お昼休み終了のベルが鳴り、ほとんどの生徒が教室に戻った直後に
実行する事とした。
皆より1、2分遅れる程度とし、教室はまだざわついている間の犯行を決意。
美術室の引き戸を開け、部屋の中央の梨をポケットに入れ、戸を閉めるまで
おそらく30秒程度。教室に戻りその梨を鞄に隠し終えた頃、教室の戸が開き
先生が5時間目の授業を開始した。
放課後の美術部が気になり、なにげに美術部前を通ったが、ざわついてはいた。
【神社から失敬】
資源が無いことが日本の敗因でもあった。
終戦後日本の再興の為、道端に落ちている釘一本でも金属資源として尊いものであった。
時折鉄くず屋が買取にやってきて、空き缶・針金・火箸・鍋など、戦時中に供出しなかった
正しく鉄くずを買い取って資源とした。
勿論素材により値段は違った。特に銅が高かった。
身近に銅?・・・。
神社の鳥居か社殿の屋根にある事はある。
戦時中にはぎ取っていかなかった事が不思議だが、神国日本としてはさすがに神社には
手を出さなかったのか、濃い緑色に変色した銅板が気になった。
なにげにリサーチ。
社殿の裏は人通りも少なく、屋根の裏側は雨が当たりにくく、そしてまず目立たない。
泥棒が喜びそうな環境ではある。
しかし、神社・戦時でも手を付けなかった対象、当然に迷いはあったが、1枚位なら・・・。
しかし、元来母親が必死ででかくしたお菓子を、ほんの少しならとの思いが、少なくとも
1/3は食べてしまっていた犯歴、盗癖は一回で終わらず、よーく気を付ければ遠目にも
銅板が剝がれていることがわかる程となり、残念ながら屋根は諦めた。
鉄くず屋に銅板をそのまま持って行ったのでは、いかにも怪しい。
おそらく曲げるなどして、さらに少量ずつ売っていたのだろう。
銅は他の鉄くずの数倍の値段で売れた。
付加価値の高い銅板は鳥居にも貼ってあった。
しかし、神社の正面で入口に位置し。目立ってリスクが高い。
だがポジテブ少年は都合よく考え、方法論を一生懸命考える。
鳥居の近くの欅の木がの上部の枝が、都合よく鳥居の最上部に
伸びていた。そこで夕方こっそり失敬したが、あまりにもリスクが
高く、効率も悪いため3回3枚で中止。
だが、数か月後ふと鳥居を見たら、全部の銅板が無くなっていて、
丸裸ではないか。
正しく泥棒しない輩が居たのだった。
【塾の先生に貢物】
終戦直後のわが部落に英語塾が出来た。
農家の空き家を利用して、市内から日本人講師と、黒人も来るとの事である。
スマホもTVもない時代。電話すらなかった。
子供の娯楽はせいぜい漫画を読むか、神社で野球をやるくらいの時代。
塾が出来る事と勉強意欲とはまったく関係がなく、遊び場が出来たとの認識であった。
同じようにそろばん塾もできた。やはり同様に、みんなが行くから俺も行く。
英語塾では満足に授業がなく、アメリカの黒人は来たことがなかった。
ある日、先生に胡瓜を腹いっぱい食べさせたくて、自分ちの畑に採りに行ったのである。
あいにく数が少なく、隣のはんくろうの畑を覗いたら、形の良い胡瓜が沢山ぶらさがっていた。
知人の畑でもあるのでごく気楽収穫し、両手一杯にして畑を出たところ、突然父ちゃんが現れ、
『やっぱお前だったか』と、初めてなのに再犯であるが如きの一言があった。
『じゃー返すわね』と言って、全部を渡したが『オレ初めてだからね』と一言申告したものである。
家に帰り事の顛末を母親に話したら、同行ではんくろうに謝りにいった。
母と一緒に頭を下げたが、実感がなく不思議なひと時であった。
【獲物がリヤカーでやって来た】
終戦後であり、道路の運搬手段は自転車かリヤカー。
そのリヤカーに蓮根を満載した八百屋のおっさんが、少し坂になっている橋を登れないで
苦労していた。
蓮根は生でも食べられるとして、リヤカーを眺めていたが、そこでキラッと光った。
弟にも手伝わせて、リヤカーを押しながら、蓮根を引き抜き草むらへ投げて隠した。
3本ほどと思う。
そして小学校へ登校。
午前中の授業中に校長先生から呼び出し。
校長室には弟と八百屋のおっさんが待っていた。しまったと思った。
校長先生から何らかのこごとがあったはずだが、全く覚えていない。
ただ、八百屋のおっさんが弟にだけ『あんたは悪くないからご褒美』と言って10円を
渡したのであった。