銀行員が家を買うときに自行ではなく他行で住宅ローンを組むことはよくある。自行で借りると退職するときに一括で返さないといけないとか、ローンセンターでなく銀行の人事部に申し込むから嫌だとか、他行の方が融資が楽に下りるからだとか、いろいろ言うが何が事実かは知らない。彼らはいつも適当なことを言うから真に受けても仕方がない。彼らも顧客だから、いいように解釈しておく。真実には二つある。どうしても突き止めなければならないものと、知ったところでどうでもいいものだ。

だいたい、銀行の中にデスクがあるから銀行員とは限らない。不動産の営業担当並みに不安定な境遇の人もいる。関連会社だったり、非正規労働者だったり。土日のオープンハウスを私服で回って来る銀行員もいる。月曜の朝から失礼なくらいい明るくて嘘っぽい笑顔で不動産各社を回ってくる。彼らも数字に追われているし、せいぜい2年で所属部署が変わる。銀行員の名刺くらい持っていて意味のないものはない。いつの間にかいなくなるからだ。

新任の担当者が來ると、この店には何人の営業担当者がいて、誰がマンションを触り、誰がどのエリア担当かを探り、誰が高額物件、紹介案件を扱うかを知りたがる。デスクの配置や誰が話しやすいかを見極める。たいてい若い。そして銀行内では不遇な人たちであることが多い。出身の学校を聞いてみれば中の上くらいで、いわゆるエリートではない。満たされぬ不満が燻ぶっているような印象を感じないか。無論、彼らには親切にする。お茶くらい出すし、他社の状況も教えてやる。他社のローン案件の価格相場も正確に伝える。利用されたり利用したりするのはお互い様だから。

銀行はお高くとまったところで所詮は金貸しで、融資担当者は顧客の顔など見ていない。自行の内部だけに向き合っているものだ。それでも住宅ローンもいろいろな魅力のある商品が出てきたことはいい。ずいぶん前だが、一軒の家を買うのに公庫、年金、銀行ローンと3本もローンを組むことがあった。公的融資は物件価格の8割までで、それも実行日が異なり、つなぎ融資だの先行登記など手続きが大変だった。地場の業者が面倒だと案件ごとくれたこともあった。ずいぶん楽になったものだ。彼らもまた、濃紺のスーツにエンジのネクタイを締めて、朝晩の通勤電車に揺られながら老人になり、50歳で事実上の定年を迎える。夢のない仕事のようについ思えてしまう。

職場は居場所だが、そこにいるのは運命ではない。抗っても構わない。あきらめる必要もない。人生一度きり。立派な看板や有名企業のロゴマークの入った名刺のほしいものはそうすればいいし、何かに働く喜びを見出せるなら移っても構わない。虚栄心が強く身勝手で支配したがる上司もまた不安だらけなだけだ。怒鳴り声は泣き声でもある。怒りをぶつける場所でもないし、誰も守ってはくれないから自分で判断すればいい。それだけのことだ。司法書士の補助者やラーメン店の店員はずっとそこに居ようとは思っていない。仕事を学ぶために不遇な数年を我慢しているが夢があるだろう。銀行員だから安泰なわけでもない。まして不動産屋ではないか。公務員のような不動産屋が目に付くのはあまり愉快ではないな。

DSC_0206













今年の暑さはことのほか堪える。充電式の小型扇風機を持って歩く人をあちこちで見かける。マスク一枚でこうも変わるものか。そんな中、安倍総理が持病の悪化で辞任か。惜しいな。民主党政権3年の失政で疲弊した国を立て直した功績は大きい。病気になるのは癖だと言った愚かな議員もいるが、率直に感謝の意を表したい。ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。