フィッシャー=ディースカウ ブレンデル シューベルト「冬の旅」(1985.7録音)を聴いて思ふ

シューベルトの何? やっぱり「冬の旅」! 10歳の頃から—いや、10歳だからこそ「冬の旅」には強烈に惹かれた。明るいシューベルトは、あとから見つけた。すぐ思い出すのは、「春の夢」と「辻音楽師」。こういうシューベルトは、先生にもらったり、親にあてがわれたり、などというものではなかった。10歳で自分で見つけて憧れた。「ライアーマン」に、結局、自分の一生は導かれてきたのかも知れない。
「さすらいの芸術=芸術家のさすらい」
前田昭雄著「カラー版作曲家の生涯 シューベルト」(新潮文庫)P80

少年の頃の瑞々しい感性が本物を見分けたことがすべての始まりだ。
その後、生涯をかけてディートリヒ・フィッシャー=ディースカウは「冬の旅」を表現し続けた。

シューベルトの何がそれほどの魅力を放つのか。

あの優しい、安らぎのトーンはどこからくるのだろう。それは危機を知らない。シューベルトの美そのものが、いうなら危機の現象だろう。
自然は、暗いときは暗いが、明るいときは明るい。そして、暗くて明るいことも、明るくて暗いことも・・・といえば、シューベルトのトーンのようだ。
シューベルトはまったく自然だ。

~同上書P81

この最後の一節は一つの真理だ。例えば、モーツァルトのトーンも同じようなものだが、シューベルトの場合、モーツァルト以上に明暗両極の振れ幅が大きい。

僕は「冬の旅」が好きだ。
中でも、幾種もあるフィッシャー=ディースカウの「冬の旅」はいずれも絶品であり、外せない。

・シューベルト:ヴィルヘルム・ミュラーの詩による連作歌曲集「冬の旅」D911
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
アルフレート・ブレンデル(ピアノ)(1985.7.17-24録音)

知性が前面に出る彼の歌は、このときばかりはピアニスト(の知性)に押されてなのか、頭脳プレイというより感性が先んじているようで、とても興味深い。

「冬の旅」第1部は1827年2月に完成される。ベートーヴェンの死の1ヶ月前である。
ディートリヒ少年の心を捉えた第11曲「春の夢」は、ブレンデルの可憐で清楚なピアノ前奏で始まり、節毎に激変する音調を上手に歌い分け、まるで良き少年時代を回顧するように情感をこめて歌い上げられる。

また、第2部は同じ年の11月に完成。この頃、すでに健康を害していたシューベルトは、1年後に31歳で天に召されるのである。同じくディートリヒ少年の心を鷲づかみにした第24曲「辻音楽師(ライアーマン)」の、絶望の音調に垣間見える生への希望は、彼の名唱をもって悟りの境地を開くよう。

だが老人はすべてを
なるがままに任せて
ただ回す、そして彼のライアーは
決して静まることがない。

(石井不二雄訳)

自然の流れに任せよとさすらい人は直観する。しかし、回し続けなければ何も起こり得ない。自力1割、他力9割ということだろう。初秋の夜の「冬の旅」。

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