リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管 J.S.バッハ カンタータ第11番ほか(1973-75録音)

指揮者鈴木雅明さんの言葉。

ところが、バッハを理解するためには、キリスト教の信仰が必要か、と問われたら、ぼくの立場からは、ぜひとも必要ですと応えるしかないんですね。ぼく自身のバッハ理解を自分の口から言う以上、ぼくはキリスト教の立場でものを見ていますからね。だから、バッハはこうです、というひとつの像があるとして、その同じ像を共有したいと思ったら、キリスト教という点を共有しないではありえないんです。キリスト教のことを少しは知らなくてはバッハ理解はできないという人もいますが、そうではないんですね。“知る”かどうかではなく、問題は“信じる”かどうかだけです。前から言ってきていますように、そもそも問題は致死kではないんです。
鈴木雅明著「バッハからの贈りもの」(春秋社)P397

よくわかる。しかし、信仰の対象は何もキリスト教に、否、宗教というものに限らずとも僕は良いように思う。あくまで私見だが、森羅万象、大宇宙を司る妙なる力、働きに対する敬いの念があるなら、それはバッハの、いや、西洋音楽の神髄を理解する大きな助けになるのだろうと思うゆえ。

峻厳なるカール・リヒターのバッハ。
彼が急逝したとき、それが久しぶりの来日直前のことでもあったせいで、日本でも多くの愛好家が哀悼の意を表したことを記憶する。当時の皆川達夫さんの「リヒターの死を惜しむ」という追悼文にはこうある。

そのリヒターがとくに強調したのは、演奏の一回性ということであった。
彼は、作品の解釈をあらかじめ計算するというようなことは、一切しないという。練習は基本的なことにとどめておいて、さて本番のステージにのぼり指揮台に立って、棒をふっているその時に、瞬間瞬間にひらめくインスピレーションによって音楽をつくりあげてゆくという。
具体的に彼自身の言葉を引用してみよう。
〈私が音楽を作る時は、その瞬間瞬間のインスピレーションによって決定してゆきます。舞台の裏で、さてこれからどうやって演奏してやろうなどという計算とか意識は、全くありません。その瞬間瞬間に応じて、インスピレーションがわいてまいります〉

~「レコード芸術」1981年4月号P135

計算のない即興性こそが彼の本懐だということだ。
しかし、スタジオでの正規録音ともなれば、彼の言う「一回性」は幻ともなろうものだが、しかし、彼の遺した演奏は、いつどんなときに聴いても、初めて聴くような錯覚にとらわれるのだから不思議だ。

ヨハン・セバスティアン・バッハ:
・カンタータ第11番BWV11「神をそのもろもろの国にて頌めよ」(1973.5, 1974.1&2, 1975.1録音)
エディット・マティス(ソプラノ)
アンナ・レイノルズ(アルト)
ペーター・シュライアー(テノール)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バス)
・カンタータ第44番BWV44「ひとびと汝らを除名すべし」(1973.10, 1974.1&2, 1975.1録音)
エディット・マティス(ソプラノ)
アンナ・レイノルズ(アルト)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バス)
・カンタータ第34番BWV34「おお永遠の火、おお愛の源よ」(1974.3&5, 1975.1録音)
アンナ・レイノルズ(アルト)
ペーター・シュライアー(テノール)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バス)
カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団

第11番BWV11「神をそのもろもろの国にて頌めよ」は、昇天節のためのカンタータであり、1735年5月19日に初演されたとされる。第10曲ソプラノのアリア「イエスよ、汝が恵みのまな差しをこそ」のマティスの可憐な歌声が感動的。また、第44番BWV44「ひとびと汝らを除名すべし」は、復活節後の第6日曜日のためのものであり、初演は1724年5月21日。短い終曲コラール「さらばわが魂よ、おのがもとに帰り」が、「マタイ受難曲」を髣髴とさせ、あの高貴で哀惜帯びるリヒターのバッハの小宇宙を体現し、美しい。あるいは、第34番BWV34「おお永遠の火、おお愛の源よ」は、聖霊降臨節第1日のために作曲され、初演は1746年、または47年頃とされるが、第1曲合唱「おお永遠の火、おお愛の源よ」が晩年のバッハの敬虔なる祈りの意志を表出するように、煌びやかでありながら厳かでどうにも懐かしい。

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