テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

マンハッタン物語

2019-11-21 | ラブ・ロマンス
(1963/ロバート・マリガン監督/ナタリー・ウッド、スティーヴ・マックィーン、エディ・アダムス、ハーシェル・ベルナルディ、トム・ボスレー/103分)


ロバート・マリガン監督の「マンハッタン物語」を観る。製作はアラン・J・パクラ。ご存じパクラ=マリガンプロダクションの作品でありますな。前年度に「アラバマ物語」というヒットを放った二人は、この2年後にも「サンセット物語」をナタリー・ウッドとロバート・レッドフォードの共演で作っている。タイトルに「物語」と付いているのは日本の配給会社の二匹目のドジョウを狙ったモノでしょうが、さてさてその辺はどうだったんでしょうかネ。
 マンハッタンで暮らすイタリア系男女のひょんな出会いから始まる恋物語で、タイトルは知っていましたが今回が初見。ツタヤの発掘良品の1作であります。【原題:LOVE WITH THE PROPER STRANGER】

スティーヴ・マックィーンは「大脱走」と同じ年。ナタリー・ウッドは2年前に「ウエストサイド物語」、「草原の輝き」という名作を撮ってまさに青春スターとして絶頂期にあった頃でしょう。この作品でもクレジットのトップに名前が上がっていたし、25歳の美貌は初々しさが輝くばかりでした。

*

ニューヨークに住むロッキー・パサーノ(マックィーン)は売れない楽士。踊り子のバービー(アダムス)のアパートに転がり込んで気ままに暮らしているが、お金は欲しいので今日も「ニューヨーク音楽家協会」の“仕事斡旋会”に行って忙しいふりをして何とか今夜の仕事にありつくことが出来た。忙しい=需要がある=仕事が出来る奴というわけだ。すると、そこに彼を探す若い女性が。
 見覚えが無い女だったので適当に相手をしていたが、彼女はロッキーとの赤ん坊を妊娠していておろすので医者を紹介して欲しいと言う。女性の名前はアンジー・ロッシーニ(ウッド)。
 アンジーが嘘を言っているとは思えなかったが、何しろロッキーは彼女の顔を覚えてなかった。ロッキーが自分を覚えていないのに気付いたアンジーは踵を返して帰りかけたが、追いかけたロッキーは連絡先を聞く。アンジーはメイシー百貨店の5階で働いていた。

6年後のピーター・イェーツ監督作「ジョンとメリー (1969)」の主人公達と同じように、多分初対面で酒場か何かで知り合ってそういう関係になったんでしょうな。
 「ジョンとメリー」は互いに名前も知らずにスタートしたけれど、この映画は「ジョンとメリー」のような知り合った時点の回想はない。だからそこは想像するしかないんだけど、物語はその後の男女の危なっかしいお付き合いの過程を描いていて、愛なき肉体関係から愛が育まれるという「ジョンとメリー」の先取りのような作品でありました。ただ、やはりニューシネマのリアルな感覚よりはロマンチックな(そして少しのユーモアもある)展開を狙っているのが時代の違いを感じさせるところであります。

アンジーの家は母親と3人の兄とのアパート暮らし。イタリア系は家族愛の熱いのが定番で、特に八百屋をしている長男(ベルナルディ)は妹が心配で週に4回はメイシーにやって来てはランチに誘ってくるし、お得意さんの料理人(ボスレー)がアンジーに気があるのを知ってからは彼との付き合いを勧めてくる。ベッドはあっても自分の部屋もなく何かと干渉してくる家族にもうんざりしているアンジー。姉妹がいない彼女には妊娠の事を相談する相手もなく、家族の目はただの束縛としか感じられなかったのだ。
 数日後、アンジーの職場にロッキーがやって来る。なんとか医者を見つけて次の日曜日に予約したけれど施術費用として400ドル必要らしい。二人は200ドルずつ出し合う事にして、次の日曜日の午後に待ち合わせ一緒に行く事にした。

 日曜日。二人が落ちあった場所に一台の車がやって来る。運転席からは年配の男がひとり。堕胎は違法なので、そういう医者を闇で仲介する人間がいるのだ。
 男は400ドルは医者に払うお金で別に仲介料の50ドルが要ると言う。持ち合わせが無かった二人をその場に置いて、男は医者の待つ場所を教えて去って行った。男曰く、4時迄に50ドルを持って来ないとこの話は無かった事になるぞ。
 50ドルを工面する為にロッキーは何年かぶりに両親に会いに行く。勿論アンジーも一緒だ。ロッキーの予想通り両親はいつもの公園で仲間と一緒にくつろいでいた。疎遠になっている親子関係だが、そこはロッキーの家もイタリア系。父親は「ママには内緒だぞ」と言いながら、母親は「パパには秘密よ」と囁きながら息子にお小遣いをそっと握らせるのだ。流石、イタリア系の家族愛はアツイ。
 するとそこにアンジーの兄達が現れる。
 最近の様子を心配していた長兄が近所の子供を使ってアンジーを尾行していたのだ。アンジーとロッキーは走り出し、かつて知ったるビルの一室にあるパサーノ家具工房の中に入っていった。ロッキーの父親の仕事場だ。

 アンジーの兄達をやり過ごしながら、狭く埃っぽい部屋で二人は隠してあったワインをグラスに注いで語らった。出逢った夜の事。さっき会った幼馴染の事などなど。壁に貼られたロッキーの子供時代の写真を見てアンジーは奇妙な感じがした。ロッキーには家庭が似合わないと感じていたが、確かにその写真には家族の愛があったからだ。
 『愛されてるのね』
 『バカを言うな。久しぶりに会ったからだ。数か月も一緒にいれば空気のような存在になるのさ』
 そう言いながらもロッキーは一呼吸おいて『家族に愛されるのは苦しい』と言った。
 アンジーはその言葉にどこか自分に通じるものを感じたのだった。

 どうにか約束の時間に間に合ったが、男が待っていたのは住人の居ない(当然家具も無くガランとした)アパートの一室だった。紹介された医者は普通の服装をした怪しげな女で、服を脱ぐように促されたアンジーは怖くなって泣き出してしまった。ロッキーはそんな彼女を抱きしめる。男と怪しげな女はバタバタと出て行った。
 アンジーは精神的にも追い詰められていたのだろう。眠気に襲われた彼女をタクシーに乗せて、ロッキーはバービーのアパートに連れて行きベッドに休ませた。眠るアンジーをそっと見守るロッキー。
 長い夜が終わり、朝がやって来た。
 帰宅するバービー。外でアンジーの長兄に捕まるロッキー。ロッキーは責任を取って結婚すると言うが、結婚を望んでいない人となんか一緒に暮らせないわとアンジーは申し出を断るのだった・・・。

*

60年前の映画だけど男女の結婚に纏わる普遍的なテーマでありますな。それを正面から取り上げていて分かりやすい。
 結婚は人生の墓場だと立ち止まる男と、白馬に乗った王子様を待つ女。それを乗り越える二人の物語であります。
 アーノルド・シュルマンのオスカー候補になった脚本は省略を活かしたモノだったけど、僕の感覚から言うと省略する箇所がちょっとずれてる感じがした。例えば二人の出逢いについてももう少しヒントが欲しいし、ロッキーとアンジーの長兄が初対面で衝突したシーンも観たかった。アンジーと料理人に関するエピソードもも少し欲しかったかな。
 あと、ロッキーの音楽家としての紹介シーンが無いのも変な感じだった。なんで入れなかったんだろう?
 尚、シュルマンは「さよならコロンバス (1966)」でも脚色賞候補になったそうです。これも観たいなぁ。

ウィキでは152センチと紹介されていたナタリー・ウッドが好演。「草原の輝き」に続いて2度目の主演オスカー候補になったそうです。





・お薦め度【★★★=一見の価値あり】 テアトル十瑠
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