外国映画の邦題のつけ方についついああだこうだと言ってしまうことがありますけれど、
これはわりと秀逸な方ではありませんでしょうかね。
原題は「The death of Stalin」。これに付けられた邦題は「スターリンの葬送狂騒曲」でありました。
旧ソ連の独裁者スターリンの死を扱っていますけれど、
全体にイギリス流ジョークが散りばめられた作りでもって
まさにスターリンの葬送を見送る取り巻きたちの狂騒が展開するわけでして。
何かにつけて行動が記録され、それが積み重なって
シベリア送りのリストに載ってしまう、粛清リストに載ってしまう。
スターリン健在時には、それを恐れて何とかそつなく立ち回ろうとする人々の姿を
皮肉る導入部の狂騒もいいつかみですけれど、ほどなくスターリンが死に瀕して始まる
跡目相続争いは本人たちは至って真面目でしょうけれど、見ている側は笑うしかない。
もちろん、この映画では積極的に「笑う」姿勢で描かれていますけれど。
1953年にスターリン独裁が終わると、その後のソ連は集団指導体制であったように
世界史(のほとんど飛ばされる現代史)に出てきていたような。
一応、マレンコフを首相にフルシチョフ、ベリヤ、モロトフ、ミコヤン、ブルガーニンらが
政治の中枢を握るわけですが、なかでもフルシチョフとベリヤの争いは
子供の喧嘩のように描かれたりするわけです。
そうなってしまうのもマレンコフがどうしようもなくボケをかましまくる人物なのであって、
またフルシチョフとベリヤ以外の人物たちも頑ななスターリン信奉者なだけであったり、
はたまた日和見であったりと、策謀に長けた(よく言えば大局を見通せる)人物は
フルシチョフとベリヤだけだったということになるのですな。
それぞれの策謀は他の人たちを巻き込んで右往左往することになりますが、
ひとつひとつのエピソードを全て笑いに持っていく方向性は比較的遠くない歴史を描いて
むしろ清々しいとでもいいますか、徹底ぶりは気持ちの良いものです。
細かな笑いのツボを披露していきたい気もしますが、それはご覧になってのお楽しみでしょう。話の流れの行きつく先は歴史が示しているとおり、フルシチョフに権力が集中していきますが、
そうした落ち着きを見せる終幕、フルシチョフのすぐ後ろにはやたら眉毛の濃い、
でっぷりした人物の姿が見える。ブレジネフですなあ。
後にフルシチョフが失脚すると、ブレジネフ、コスイギン、ポドゴルヌイの3人が
いわばここでも集団指導体制をとるわけですが、やがてブレジネフが権力を掌握する。
その過程でまたスターリン死後の狂騒のようなことが繰り返されたのでありましょうかね。
まあ、実際がこの映画のように運んだはずもありませんけれど、
スターリンに限らず古今の独裁者の死にあたってはその場の人は大まじめとしても
傍からみると呆気にとられて笑うしかないという事態が繰り返されてきたような気も。
「歴史は繰り返す」ことのひとつとして、単なるふざけた映画と片付けられないものが
ありそうですなあ、この映画は。