久しぶりにシネマ歌舞伎 を見てまいりました。

今シーズンの月イチ歌舞伎は5月から始まっておりましたので、

ずいぶんとご無沙汰していたものだなと。


月イチ歌舞伎「法界坊」

それはともかく演目は「法界坊」、

正式なタイトルは「隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)」。

幕切れには所作事「双面水照月(ふたおもてみずにてるつき)」という舞踊劇による続編が

付いておりました。


それにしても法界坊という破戒僧がクローズアップされて、

もとより喜劇色の強い作品で悪さはするが憎めないというところが人気を呼んだようす。


それを今は亡き十八世中村勘三郎 が、平成中村座という仮設の劇場でということも相俟って

ライブ感満載で演じていた公演を収録したものですけれど、いやあ、歌舞伎を考える機会にも

なったものですなあ。


どうしても歌舞伎というと、今では様式美であるとかいった部分に目が行きがちで、

今回の「法界坊」のようにアドリブと思しき楽屋落ちのネタが山ほど出てきたうえに

たっぷりと客いじりもある…かような演出は「果たして歌舞伎?」とも思ってしまうところ。

ただ、改めて思い至るのは歌舞伎も観客を楽しませる芝居興行であったことを

忘れてはいけないのかなと。


ですから「歌舞伎は歌舞伎らしくなくては」と思ってしまうのは、

むしろ自分のような歌舞伎ビギナーが陥りやすいところなのかもしれませんですね。


ま、それにしても勘三郎の法界坊は小気味よいともいえる一方で、

破目の外し方がちと行き過ぎではとも思えるところがあったのでなおのことかと。

ですが、この破目の外しどころも芝居がライブであって、客の乗りがよければ

も少し行っても大丈夫かな…という役者の匙加減が働いた結果でもありましょう。


こればかりはその場に身を置くことなしに(ライブ感は追体験するとしても)

同じ状況の中には入り込めないので、再現芸術の宿命でもありますな。


とまれ、伝統と格式にあふれ、様式美をこそ堪能すべきと思ってしまいそうになる歌舞伎も

元をたどれば江戸の庶民を大喜びさせた芸能であると、その原点に返って

その場のお客のようすも見ながら丁々発止のライブを展開したものなのかもしれない。

存外、平成中村座の狙いどころはそこなのかもですなあ。