池袋の東京芸術劇場で読響の演奏会を聴いてまいりました。

イタリアの古楽演奏団体「イル・ジャルディーノ・アルモニコ」からジョヴァンニ・アントニーニを

指揮に招いてバロックをバロックらしい小編成で演奏したりというのが今回のプログラム。


ヴィヴァルディバッハハイドン という並びを見て、どうせバロックで攻めてくるならば

最後にはハイドンでなくしてヘンデル の「王宮の花火の音楽」とか「水上の音楽」で

締めてくれれば…なんつうふうにも思ったりしたのですな。

(ある程度大がかりな曲も入っていないと、オケの皆さん、暇してしまうでしょうから)


読売日本交響楽団第211回土曜マチネーシリーズ@東京芸術劇場


マンドリン協奏曲ではアヴィ・アヴィタル が登場、

昨年春にヴェニス・バロック・オーケストラとの共演を聴いて

鮮烈な印象を残してくれたアヴィタルのマンドリン・ソロと、

加えてリコーダー協奏曲では指揮のアントニーニ自らの独奏でと

いずれも妙技を見せてくれましたですよ。

ですが、先に触れましたプログラミングの点では

聴きながらつらつらと思いが巡ったところによるとだんだんに「なるほどハイドンね」と思えたり。

そのあたりの思考回路をたどっておくことにしようと思うのでありますよ。


1曲目に演奏されたヴィヴァルディの協奏曲RV577は

作曲年代不詳ながら「ドレスデンのオーケストラのために」と書いたとされておりまして

「1716年にドレスデンから宮廷楽団のメンバーによる室内楽団がヴェネツィアに派遣され」た折、

ヴィヴァルディと交流があったところから生まれたとの話でもあります。18世紀初頭ですな。


この頃の音楽家にとって宮廷御用は大事な生業となったことでしょうし、当時のドレスデンは

ザクセン選帝侯でアウグスト強王とも呼ばれた君主を戴く羽振りのよい時代、

ヴィヴァルディもこれを機会とコネクション作りを考えたとしても不思議はないような。


弦楽合奏主体が多いヴィヴァルディの協奏曲にあって、

フルート、オーボエ、ファゴットがそれぞれ二人加わって彩を添える曲となっているのは

ドレスデンの宮廷楽団は管楽器パートが充実していたそうで、

まさに「ドレスデンのために書きました」と言わなくでも分かるところでもあったろうかと。


そうは言っても今のオーケストラから考えれば全体的な編成は相当小ぶりであって、

それもそのはず大きなコンサートホールで隅々にまで音を響かせるような必要がなく、

むしろ宮廷の限られた範囲での楽しみとして提供されていたのでしょうから。


1725年に作曲されたというマンドリン協奏曲、やはり作曲年代未詳のリコーダー協奏曲、

これらは特定のソロを伴うだけあってそれぞれの楽器に秀でた人物が近くにいたのかも。


そうした曲作りというのは宮仕え仕事というよりも、

作曲家のオリジナリティーを発揮できるところとも思われるところで、

宮廷お抱えというばかりでない音楽家のありようとして

音楽興行という形が広がりつつあったのかもしれませんですね。


バッハのチェンバロ協奏曲第1番(昨日はアヴィタルによるマンドリン版編曲で演奏された)は

少し時代が下った1738年頃の作品で、ライプツィヒのコレギウム・ムジクムの演奏会用とか。

コレギウム・ムジクムといいますのはアマチュア・オーケストラのようなものらしいですので、

音楽の裾野がじわじわは下層にも広がっていっていることが感じられますよね。


そして相当に時間をすっとばしますが、ハイドンで演奏されたのは交響曲第100番「軍隊」。

1793年~94年に作曲されたので、18世紀末でありますな。


いわゆるザロモン・セットの一曲でして、興行師ザロモンの招きでロンドンに赴き、

そこで開く演奏会用に書かれたわけですけれど、

ヴィヴァルディ、バッハに比べれば格段に楽団規模が大きくなっています。


以前触れましたようにロンドンは一般大衆向けの演奏会 という形を

17世紀末以来作り上げてきた町で、ようするに入場料さえ払えば身分の上下に関わりなく

音楽を楽しめるとなれば、おそらくはホールの器も徐々に大きくなり、ひいてはおのずと

楽団編成も大きくなっていたのではありませんですかね。

ハイドンがかつてエステルハージ家に仕えていた頃の楽団とは大違いだったことでしょう。


音楽史的には作曲技法などの点で18世紀、19世紀は革新を重ねたということになりますが、

一方でこうした取り巻く環境の変化も大きく関わっていたですよね…てなことに思いを馳せると

何やら今回の演奏会の終わりは「なるほどハイドンね」と受け止められるのでありましたよ。