1932年(昭和7年)5月14日、チャールズ・チャップリンが来日しましたですね。

東京駅にはチャップリンを一目見ようと4万人もの人々が詰めかけたとか。

その一方で、なんとその翌日にはあの「五・一五事件」が起こるのでして、

何だってそんなタイミングで起こったとなれば、チャップリンもまた襲撃目標だったからと。


当時、戦意に逸る海軍の若手将校たちはチャップリンを襲うことによって

日米関係をギクシャクさせることができ、戦争への近道となるてなふうに考えたようです。


来日翌日にチャップリンを招いて開催予定とされた首相官邸での歓迎会を狙えば

政府要人ともども片付けられる…てな目論見でいたようながら、

チャップリンは歓迎会より相撲が見たいと会はお流れ。

やむなく首謀者たちがとった行動は歴史が示しているとおりということになったのですな。


この話、全ては先月放送されたNHK「歴史秘話ヒストリア」の受け売りでありますけれど、

広くその名を知られた人物の来日が及ぼす波紋は、思わぬところにまで及ぶようでありますね。


時は10年遡りまして1922年(大正11年)、アルベルト・アインシュタイン が来日したという。

世界的物理学者への世間の関心はチャップリンには及ばなかったかもですが、

奇しくも前年にノーベル物理学賞受賞という話題性があるだけに、

アインシュタイン来日が人々に及ぼした波紋もさまざまにあったのではなかろうかと。


そのあたりをあたかも「バタフライ・エフェクト」的に、

一見関わりなさそうなところに思わぬ影響が出る形で市民の姿を描いたのが

演劇集団円による「アインシュタインの休日」なる芝居なのでありました。


「アインシュタインの休日」@シアター✖

話の中では、チャップリンの時と同様に?時の人アインシュタインを一目見ようと

人々が東京駅に押し掛けるようすが出てきますけれど、実はこの芝居、

タイトルに反して?アインシュタインの姿はただの一度も出てこないのですな。


まさにアインシュタイン来日が平凡な浅草のパン屋一家に

じわりと波紋を投げかけたさまを描いているわけで。


それにしても、日本人は今も昔も流行物が好きなのでしょうかね。

こうした国民性(と、くくることに科学的根拠があるかどうかは分かりませんが)は

ともすると右と言えば誰もが右、左と言えばこぞって左を向いてしまうようなところに

つながってしまっているかも…と思ったりするところですが、それはさておき。


アインシュタインに関しては野次馬的に眺めやるというだけでなくして、

招聘元たる出版社の改造社が前年に出した「アインシュタインと相対性原理」に

いろいろな人が手を出してみた(結果的にちいとも分からなかった?)てなこともあったようす。


登場人物のひとり、パン屋の次女・輝子も興味津々で、

父親が投げ出した一冊を見つけ「読みたい」と父親に申し出るのですな。

だいたい本を読む許可を親に求めること自体、「そういう時代だったのだな」と思いますが、

父親はこの申し出をとりつく島もなく拒絶。「女が本を読んでもろくなことにならない」と。


タイトルは「アインシュタインの休日」ながらアインシュタイン自身は常に陰の存在であって、

来日当時、大正後期の日本の家族、人間関係のありようが細かく描かれているところこそが

見どころという気もするのですね。


パン屋に下宿する大学生たちの勉学に臨む姿勢は、

大学生が当時のエリートであり、あたかも命をかけて学問するんだといった気概を感じる。

(もっとも遊ぶときには大いに羽目をはずして遊びにも命をかけてしまうような所がありますが)


陸軍将校のもとに嫁いでいた長女は出戻ってきてしまいますが、

これは結婚生活が長くなっても子供の生まれる気配のないことを姑からこぼされてのこと。

どうぞ世継ぎの産める別の嫁をもらってくださいと身を引いてきたのですな。


パン屋のオヤジには、当時「東西屋」と呼ばれていた露天商、テキ屋を生業とする弟がいて、

多分に風来坊的であるも女房には逃げられて娘を抱えているその弟をパン屋のオヤジは

一家の家族として接し、面倒をみているのですな。


昔の大きな家族の中には必ずと言っていいほど、食み出し者のおじさんが一人はいたような。

仕方がねえなあと思いつつも、突き放しはしない、そんなこともがあったのではと。


そんな時代にやってきた「アインシュタインの休日」という台風のような現象、

人々の中に何かしらのさざ波を立たせ、それがいつしか収まってしまった人もいれば、

自分のうちで波を増幅させていった人もいたことでありましょう。


翻っていえば波紋の元は必ずしも有名人ばかりであることもなく、

日々、すれ違いの中で誰かしらが誰かしらに何らかの影響を及ぼしたりもしていようかと。


その点では、ふと出くわしたブログの記事が思わぬ興味関心、好奇心を

見た方に及ぼしているかもしれんなあと、改めて考えたりしたものでありますよ。

これもまた「相対性」の原理と言えましょうかね(笑)。