さて、知多半島の半田にありますMIZKAN MUSEUM

最初に案内されるのは「大地の蔵」という展示施設でありました。


ミツカンの創業者である中野又左衛門(中埜とするのは明治になってから)が始めた粕酢造り、

その江戸時代の製造過程を昔ながらの醸造蔵らしいセットの中で紹介しておるのですなあ。



まず第一の工程は「粕熟成」といいまして、

原料の酒粕を大きな桶で長期間寝かせ、熟成させるところから始まるようで。





お酢の製法自体はすでに4~5世紀頃には伝来していたそうなのですよね。

穀物や果実を原材料にまずはそれを発酵させて「酒」が出来、さらに発酵させると「酢」になると。

ですから、米酢の場合、米を原料に酒にし、さらに酢にするということになるわけです。


中野又左衛門のひらめきは酢を仕込む原材料を酒粕にしたことですな。

そうしますと、米から造った酒はそのまま酒として使えることになりますから、

「一粒で二度おいしい」という状況が生じるという。


そうであればこそ、安価で提供できたのではありますまいか。

江戸で握り寿司ブームが巻き起こる背景には安価な酢の提供があったのではと思うところです。


ところで、熟成させた酒粕に水を加えて攪拌しますと、一週間ほどで「もろみ」に変わる。

これを袋に入れて搾るのですが、昔は圧をかけるのが大変だったでしょうなあ。



右側に見えるのは酒船でありましょう。

この圧搾で搾り出された液体は「酢もと」と呼ばれるようながら、

この段階はアルコール発酵、つまりはお酒の段階でありますね。


続く作業は「沸かし」というもの。

出来た「酢もと」の半分を大釜に入れて温め、「わかし汁」を作るのですな。



いよいよ「仕込み」となりまして、わかし汁にしたものとそのままの酢もとを半分ずつ、

仕込み桶に投入するわけですが、仕込み桶には前回発酵させたお酢が残してあって、

その酢酸菌の作用でもって酢もとがお酢に変わっていくというなのですな。



2階部分にある仕込み桶におくことひと月ほど、出来上がったお酢を

階下の貯蔵桶に半分だけ移す。残りの半分は次の発酵用ですものね。

なお、貯蔵桶ではさらに2~3カ月寝かせるとか。味がまろやかになるそうです。



その後は灰ごし桶を何度もくぐらせて濾過し、樽詰め、梱包していよいよ出荷ということに。



てな具合に、江戸時代の粕酢造りの工程が紹介されていたわけですけれど、

面白いことにはその展示施設の階下には、現代の本物の醸造施設があるようで。



もっともここでは限定生産の純酒粕酢「三ツ判山吹」なる1ブランドを造るのみで、

一般的なミツカンのお酢は栃木と大阪の工場で造られているのだそうな。


東京にヘッドオフィスを構えつつも、本社はあくまで愛知県半田市。

そして、その本社脇の小さな醸造場で造るのは

ミツカンブランドの第1号だったという「三ツ判山吹」だけであるというのは

こだわりであり、心意気であるような気もしますですなあ。

てなことを思いつつ、ミュージアムの奥へと歩を進めてまいります。