ヴェルディ 「リゴレット」の「女心の歌」が聴こえてくると、

ついつい「日立の冷凍冷蔵庫!」と唱和してしまったりするとか、

ショパン の前奏曲で「太田胃散」を連想してしまうとか、が思い浮かんでしまうとか、

チャイコフスキー の弦楽セレナーデでは「おお人事、おお人事」を思い浮かべるとか…。


CMに使われることでクラシック音楽のメロディーが身近になると同時に

刷り込み効果の故か、素直に曲を楽しめなくなるような気もしますですな


こうしたCMと同様にと言っていいのかどうかですが、

かつてNHK教育テレビ(その当時Eテレと言っていたか自信が無いもので)で放送していた

「音楽ファンタジーゆめ」という番組(子ども向けなんですけどね)もなかなかに罪つくりでして。


カニをフィーチャーしたビゼー の「ハバネラ」だったり、

ペンギン がすいすいと歩く映像でブラームス のヴァイオリン協奏曲第3楽章が

流れたりと(このブラームスは「ニコ動」で見られるようですなあ)。


いずれにしても、それぞれの曲を耳にすれば

頭の中でカニやらペンギンやらが動き出してしまうわけなのでありますよ。


と、やおらかようなこと思い出しましたのは、

ブラームス・プログラムの読売日本交響楽団 演奏会を聴いてきたからなのでありますよ。


読売日本交響楽団第221回日曜マチネーシリーズ@東京芸術劇場

曲目はブラームスのヴァイオリン協奏曲(見事に第3楽章でペンギンが浮かんでしまい…)と

交響曲第2番でしたですが、実に実にたっぷりとした演奏なのでありましたよ。


指揮者のユーリ・テミルカーノフ は、どうしても超カリスマ指揮者ムラヴィンスキーの

後釜に座った人ね…という印象に縛られてしまっていたところがありますけれど、

読響ほか日本のオケを振った演奏に何度か接するうちに「うむむ…」と思い始め、

今回「ブラームス、かくありなむ」といった、何と申しますか、

非の打ちどころのない(とって、単に優等生的とかいうことでない)演奏であったなあと。


ブラームスが作った曲のありのままを鳴らせば「こんなにいい曲なんですよ」と示すあたり、

職人的な要素を持った(巨匠とは違うかもですが)名匠なんでないの、この人はと思った次第。

全くもって今さらながらかもしれませんけれど…。


なんでも、今を時めくゲルギエフの若い才に注目したのもテミルカーノフなら、

ムラヴィンスキーの後にレニングラード・フィル(当時)の首席指揮者に

楽員たちから請われてなったのもテミルカーノフとか。

(ソ連時代にこんな民主的な決まり方は珍しいのそうで)


才能を見抜く目利きでもあり、楽員に慕われるシェフでもあり、

そして見事に名曲を見事な演奏で提供する匠であったりと気付かされると、

今までの単なる思い込みをそそくさと払拭したような次第でありますよ。


演奏終了後には、オケの側でも指揮者を讃えるといった場面がよく見られますけれど、

このときのようすは「よくまあ、これだけの演奏を引き出してくれました」という感謝と敬意が

籠っていたような。


なんとも豊かな日曜の午後を過ごすことができたのでありましたよ。