作曲家フンメル の作品を聴いてみようか…と言った矢先ではありますが、

ちとそれに先んじて伊福部昭を。


そも10月半ばのEテレ「らららクラシック」で伊福部作品が取り上げられ、

「シンフォニア・タプカーラ」(タプカーラはアイヌ語で「立って踊る」の意とか)に「おお!」と。


さらに11月初めのEテレ「にっぽんの芸能」は箏曲家・野坂操壽を悼む特集でしたけれど、

伊福部は筝曲も手掛けていたのですなあ。


中でも自作の管弦楽を筝曲に置き換えた「交響譚詩」はすごかった。

演奏している様も尋常ではなかったような。

琴といって想像するところを吹き飛ばすものでありましたよ。


とまあ、こうしたことがあったものですから、

どうやら「伊福部はゴジラ ばかりでないぞ」と今さらながらに。

ふと思い立って、市立図書館のAV資料検索をしてみますと、

伊福部の曲を収録したCDがひとつだけ見つかり、借りてみたという次第です。


現代日本の音楽1/NHK交響楽団

「らららクラシック」番組紹介ページの解説だったでしょうか。

作曲家・伊福部昭のことをこんなふうに紹介しておりましたなあ。

北海道で生まれ育った彼は、少年期にアイヌの「歌と踊り」と出会いました。独学で作曲を始めた伊福部は、その後、映画音楽やクラシックの世界で独自な世界を築いていきます。

明治以降、積極的に西洋音楽を受容し始めた日本では、

西洋の音楽語法、西洋の楽器を使って、なお日本オリジナルな作品を作り出そうと

たくさんの人が試みたように思うところですけれど、

そうした中で日本の個性を出すために古来各地に伝わる民謡のメロディーを持ってきたり、

はたまた西洋楽器の中に和楽器を持ち込んだりもしましたですね。


このほど借りてきたCDに収録されている曲の中にも

八木節がフィーチャーされている外山雄三作品「管弦楽のためのラプソディ」や

九州地方の民謡に基づくという小山清茂作品「管弦楽のための木挽歌」といったタイプが

含まれておりましたし。


確かに作曲技法はいわゆるクラシック音楽の、しかも高度なものが使われているとしても

(極めて個人的な感想ですが)どうもちょんまげを頭にのせた昔の日本人に

洋服を着せているような、「うむむ…」感を抱いたりもするところなのでして。


では、CDでそうした曲の後に出てくる伊福部作品はどうかと言いますれば、

先に引き合いに出した紹介文から想像されるようにアイヌの音楽が関わっているかもしれない。

「シンフォニア・タプカーラ」の「タプカーラ」もアイヌの言葉であるわけで。


ですが、そこに聴かれるイメージはどこ地方の民謡とか、あるいは日本のとか、

そういうエリア限定的なものではなくして、遥か時代を遡った原初性といいましょうかね、

そんな想像が湧いてくるのでありますよ。例えていうなら縄文のイメージとでもいいますか。


考えてみれば、「ゴジラ」のテーマはすでに「ああ、これはゴジラね」と

分かちがたく結びついてしまっていますけれど、これを何とかいったん忘れてみれば、

やはり原初的なイメージで受け止めることが可能なメロディーであるなと思ったりするわけです。


そうした点では、他にない独自性の一方で、

ピンポイントでどこのものであるという特定もされないが故の普遍性とを

併せ持っているような気もしてくるのですなあ。


そうした普遍性の側面があってこそ、もともとは管弦楽のために書いた「交響譚詩」を

筝曲に置き換えても全く違和感がないのではなかろうかとも。


これまで何を聴いても「ゴジラでないの」などと流してしまっていたことを

伊福部先生には申し訳なく思ったりもするという再認識の機会なのでありましたよ。