ということで、堺市博物館 でいささかの学習ののちに向かったのは

百舌鳥古墳群最大の、という以上に日本最大である大仙陵古墳でありました。


とはいえ、その呼び名は昔々の歴史の授業で習ったときには仁徳天皇陵であったわけで、

今でも宮内庁的には百舌鳥耳原中陵もしくは仁徳天皇陵であり、

堺市博物館でもその呼び方にあれこれあるとは触れず、

結構はっきり仁徳天皇陵とされていたような。


肝心な点は被葬者がはっきりしていないところから、

「誰の」という部分を決めつけるのはよろしくないというところなのでしょう。

ですので、とりあえずここでは大仙陵古墳と言っておこうかというだけで、

それ以上の見解は持ち合わせてはおりませんです、はい。


ところで、その大仙陵古墳に向かった…といって、

いったいどうあれば「大仙陵古墳に行った」ということになるのでありましょうかねえ。


まあ、「行った」という事実がほしいわけでもなんでもありませんけれど、

とにかく一般的に足を向けられておりますのはこちら、拝所と呼ばれるところでしょうか。


大仙陵古墳拝所

さりながら、個人的には古墳の大きさをなんとはなし感じることが

「行った感」につながるような気がしておりまして、

本当はこんなような姿が望めたならば大いに感興きわまるところであったのですが…。



かつてはその大きさを見せつけるために造られたものでもありながら、

1500年あまりも経ってみるとその全体像を目の当たりにすることができないとは

異なものでありますな。


ですので、平面的にその大きさを窺い知るには陵墓の周囲に巡らされた濠から

想像してみるということになりましょうかね。



これは前方部の末端中央に位置する拝所から見た濠ですけれど、

要するに短辺の半分がこの長さであるとは、やはり大きいものだということは分かります。

ちなみに外周を一周すると約2.8Kmだとか。


まあ、一周するとそれなりの満足にはつながるかもしれませんですが、

ここは古墳群を展望するにいいとされる堺市役所の展望ロビーへ移動する道すがら、

長辺の半分だけを歩いてみることにいたしました。

ま、どこからどうみてもひたすら木立しか見えなかったんですけどね。


とまれ、やってきたのは堺市役所の展望ロビー。ただ、21階から見下ろせるということ

にちと過度な期待を抱いてしまっておったなとは思うところです。


堺市役所展望ロビーから大仙陵古墳を眺める

やっぱり森にしか見えませんものね。

ただですね、大仙陵古墳がどんなふうに見えるかということよりも

「そうかぁ、そうなんだよなあ」と思ったのは背後に連なる山並みが

思ったよりも近いということなのですよね。


堺市役所展望ロビーから田出井山古墳を眺める

向きを変えて田出井山古墳(伝・反正天皇陵)の方を見ると、さらに山並みは近く見えますなあ。

これがどうやら生駒山地で山の向こうは奈良になるわけですが、

関東人だからと言い訳するわけではないながら、

奈良と大阪(大和と難波がというべきでしょうか)がかほどに近いということを

ようやっと認識できたような次第でありまして。


奈良と大阪は背中合わせ、奥の盆地に政治中枢があり、手前の海沿いに港湾機能がある。

そしてその距離は決して遠くはない。そんなことに「なるほど」と思ったものなのでありました。