ワイマールを一日巡り、バウハウス博物館 を訪ねたのを最後に、

まだまだ足を向けた場所はあるのに…の思いを振り切って、イエナの宿に戻ったわけですが、

ここからはちとイエナのお話を。


余談ですが、イエナというのはドイツの地名ですけれど、

個人的にはそうと知るより以前にその名を耳にし、目にしておったのですな。

かつて銀座にあった洋書専門店「イエナ書店」として。


知ったのは中学生のころで、

ちょうど映画にかぶれて日比谷の映画街や築地に松竹セントラルや東劇という

銀座界隈の映画館に足繁く通っているころでありました。


銀座4丁目の交差点からほんの少々数寄屋橋交差点方向に行ったビルの3階。

1、2階は普通の書店であって、その上に地味にひっそりとあったのがイエナ書店でありました。

映画関係の本が充実していたような気もしますけれど、そのイエナ書店で

生涯初めてのペーパーバック購入に及んだのでありますよ。

その頃はまだ外国は遠かったですなあ(と、遠い目…)。


ということで、イエナ書店がドイツとどれほどの関わりがあるのかはわかりせんけれど、

なんとなく感慨深く感じながら訪れたイエナの町。

観光的にはそれほど多くの要素があるわけでもなさそう…とは、

ガイドブックの紹介ページの少なさから窺えるところながら、

束の間の街歩きに及んだ次第でありました。


そんなイエナにあって、もっとも有名なことは何かとなりますれば、

世界的に知られる光学機器メーカー、カール・ツァイス社の創業地ということでしょうか。


創業者のカール・ツァイスは1816年ワイマールの生まれ。

父親が宮廷の技師を務めていたことから、当時は親の職業を息子もということが多いわけで、

見習いに出たイエナでは1558年創立の由緒あるイエナ大学で様々な理系科目を聴講したとか。


その後、自らイエナに工房を開き、顕微鏡作りを始めるのでして、

これが後に世界に知られる光学機器メーカーとなっていくのですけれど、

顕微鏡作りで生計を立てられると踏んだということは、

当時のイエナ大学などの研究機関がそういうものを必要としていたということになりましょうね。


Wikipediaによりますれば、工房を開いた翌年の1847年には23台を売り上げ、

1866年までに通算1000台を生産したといいますから、

需要もさることながら、カール・ツァイスの作った製品が認められもしたのでしょう。


イエナはご存じのようにかつての東側に位置することから、

会社も分断の煽りを受け、現在の本社は南ドイツにあるのですが、

イエナはやっぱり創業の町だけに光学博物館があるというので出かけてみたのでありますよ。


光学博物館@イエナ


イエナ西駅近くの宿から町の中心へと向かう途中にあるものですから、

イエナ歩きのまず最初にと思ったのですが…。



全く新しい施設に生まれ変わるための工事中ということでありました。

これもWebサイトを見ておれば予め分かったことだったんですけどね。

いやあ、幸先悪いイエナ歩きの滑り出しになってしまったのでありました。