週末に両親と待ち合わせる前に、虎ノ門にあるニッショーホールに赴いたのでありました。
Eテレ「にっぽんの話芸」で東京の落語が収録されるときには
だいたいこのホールが使われているようですけれど、
丸の内に東商ホールというのがありまして、これが東京商工会議所のビルにあるものですから、
ニッショーホールの「ニッショー」は日本商工会議所のことでもあろうか…と思っていたところ、
果たしてこちらは日本消防会館のホールということなのでありました。
とまあ、そんなことはどうでもいいことではありますけれど、
出向いたのは港区歴史フォーラムを聴くため。取り上げられたのは「忠臣蔵」でありました。
折しも開催日の12月14日は、
その夜半に赤穂の浪士たちが本所松坂町の吉良邸に討ち入りするという日でありまして、
なおかつ会場がニッショーホールというのも、実は赤穂事件にゆかりある場所であるとか。
説明板に曰く、元禄のころニッショーホールのあたりには
大目付であった仙石伯耆守の屋敷があったということなのでありまして。
浅野内匠頭の墓前に仇討を果たした報告をすべく、浪士たちは高輪泉岳寺を目指しますが、
その途次、大目付に自首するよう、吉田忠左衛門と富森助右衛門を差し向けるのですな。
両名は仙石伯耆守の屋敷に到着するや、大目付の邸宅を汚してはなるまいと思ったか、
邸内の井戸で足を洗ったと伝わっているそうな。
そこで、こんなモニュメントがニッショーホールにはありましたですよ。
とまあ、またしても前置きがやたらに長くなってしまいましたが、さてフォーラムのお話。
まず最初は、Eテレ「先人たちの底力 知恵泉」などでお馴染み(?)、
東大史料編纂所の山本博文教授の講演でしたですが、公開中の映画「決算!忠臣蔵」は
この方の著書に想を得て作られたものだったのですなあ。
演題は「『忠臣蔵』の決算書」、映画のもとになった著書と同じタイトルです。
それにしても大石内蔵助という人は智謀派でもありまた武闘派でもある一方で、
ずいぶんと筆まめな官僚的素質も兼ね備えていたとは。
討ち入りに至るプロセスをお金のやりくりから想像させるような、
そんな史料を残していたわけですから。
大石が遺した「預置候金銀請払帳」は箱根神社に遺されていたそうですけれど、
これは、いよいよ討ち入り決行を期して、大石らが江戸に向かう途中の箱根で、
曽我兄弟の仇討成功にあやかるべくその墓に参り、その折、箱根権現にも
大願成就を祈願した…とかいう所縁の故でもあろうかてな話でありますよ。
でもって史料の内容ですけれど、コメディー色濃厚な映画になってしまうのもむべなるかな。
限られた予算を最大限活用せねばならないのに、ことはどうもうまく運ばない。
今も昔も同様で、お金には羽が生えているのでは…と、大石も思ったかもしれませんですね。
その使い道のほどは…著者曰く、映画としての演出は多々あるも、
底では史実に基づいているてなことですので、映画の方で堪能するのがよいのかも。
とりあえず、今から考えて「ほお~」と思いますのは、
当時、上方から江戸へ出かける片道の路銀(途中途中の宿泊・食事やら、川の渡し賃やら)が
少なくとも3両くらい掛ったというのですね。
1両が約12万円と言っていましたので、3両で約36万円とは?!
先日、大阪を飛行機で往復して「結構するなあ」(だいたい新幹線往復と同じくらいでしたが)と
思ったりしていたところへ、元禄のころは片道で36万円だったと聞かされると、
「なんと安くなったものか」と思わないといけませんですなあ。
しかも、所要日数も格段に減っているわけですし。
ところで、話に聞きもらしがあったのかもしれませんですが、
大石には京都で遊興三昧ということがあったわけで、このときの費用のことがピンとこない。
ただ、後に「仮名手本忠臣蔵」という芝居になった際、大石にあたる大星由良之助の遊興は
京都・一力茶屋が舞台とされますけれど、これは芝居興行に際して
どうやら一力茶屋側からの働きかけ(いわゆる広告宣伝費とでもいいますか)があったそうな。
1748年の初演以来、「仮名手本忠臣蔵」は今でも上演され、映画にもなり、
そこでは毎度々々一力茶屋の名前が出るわけですから、なんという費用対効果でありましょう。
他のお茶屋さんは歯がみして悔しがったのではありますまいか。
と、忠臣蔵は芝居、映画のみならず、他の芸能にも取り込まれるわけでして、
そんな一端が講演に続く落語で紹介されたような次第。
上方で作られた「狐芝居」なる一席を桂しん吉師匠の口演は、
しっかり大阪・東京の移動費用の話を枕に振ったりして、
いかにも落語家の当意即妙を見る思いがしたものでありますよ(用意してたかもですが)。
と、フォーラムの最後は監督が登場して映画「決算!忠臣蔵」のPRタイム。
もとより見ようかなと思っていた映画ではありますが、まだしばらくやってますかねえ。
ともあれ、両親に語る蘊蓄を仕入れる絶好の機会となったフォーラムなのでありました。