昨年末に訪ねた神奈川近代文学館で獅子文六展を見たものですから、

久しぶりに何か作品を読んでみようと考えていたわけでして、ちと時間は経ってしまったものの、

図書館から借り出してきたのが「七時間半」という一冊でありました。

 

七時間半 (ちくま文庫)/獅子 文六

 

1960年、「週刊新潮」に連載された小説でして、タイトルの七時間半とは東京・大阪間の列車による移動時間。

1964年には東海道新幹線が開業して、東京・新大阪間を3時間10分で結ぶことになる。

これはその前夜でありますなあ。

 

もっとも、7時間半で走る電気機関車牽引特急「ちどり」(小説内での列車名ですが)は

当時最速というわけではなくして、電車特急の「こだま」がすでに6時間で走っており、

「ちどり」がなくなろうとしている運命もまた物語に関わってくるのでありますよ。

 

神奈川近代文学館での展示で、獅子文六という作家が実は演劇畑の人であったことを知ったものですから、

この「七時間半」という時間枠、そして基本的に全ては走る特急列車の中での出来事という設定は

非常に演劇的でもあるかなと思い、本書を手にしたわけですが、あらすじはかくのごとし。

東京‐大阪間が七時間半かかっていた頃、特急列車「ちどり」を舞台にしたドタバタ劇。給仕係の藤倉サヨ子と食堂車コックの矢板喜一の恋のゆくえ、それに横槍を入れる美人乗務員、今出川有女子と彼女を射止めようと奔走する大阪商人、岸和田社長や大学院生の甲賀恭男とその母親。さらには総理大臣を乗せたこの列車に爆弾が仕掛けられているという噂まで駆け巡る!

さまざまな思惑やら事情やらを抱えた者がひとつところに集まり、関わりができたりできなかったり…。

映画でいうならば「グランド・ホテル形式」のストーリーであるわけですね。それだけに当然映画化も…と思えば、

小説を読み終えたとたんに映画化作品を見る機会にもめぐりあわせるとは。

 

映画の方は「特急にっぽん」というタイトルのもと、むしろ当時としては最速の電車特急「こだま」を舞台に。

そのほか独自の人物を付加するなどオリジナルはあるにせよ、ベースの展開は小説をなぞるものでしたな。

そこで思うところは(映画の尺ゆえやむを得ないところはあるにせよ)小説の書き込みのたっぷり感でしょうか。

 

実は小説を読み終えたばかりの段階では「まあ、面白かったけれど…」というくらいなものであったのが、

むしろ映画を見ることによって人物造形や情景設定に十分なものがあるなあと思ったものでありますよ。

 

映画としては映画なりの語法を用いて、コメディとしての出来を全うしているとは思うものの、

小説というフォーマットが同じ物語を描いて、十二分に深みを与えられるものなのだなと改めて。

 

もっとも映画には映画なりの分があって、書き言葉で語り尽くすことができない分、

役者の演技で補い、また演出の妙を尽くすということでもあるのでしょうけれど。

 

残念ながら、この作品をもって獅子文六の作品世界を分った気になるのは誤解の元かもしれませんですが、

映画以上に世相を敏感に盛り込んで物語を、人物を作り出したからこそ、

その時代に大いに受けたことが偲ばれるような気はしたのものでありますよ。

 

ま、いっとき獅子文六と並び称されたりしながらも今ではすっかり過去の人となっている源氏鶏太の作品も、

折を見て読んでみたりしましょうかねえ。