てっきり中国の歴史ものの映画だと思って見てしまいましたら、とんだ思惑違いでありまして。
タイトルが「グレートウォール」とあれば、万里の長城を巡る大攻防戦だと思うではありませんか。
確かに長城を舞台に大攻防戦は展開されるも、攻め来る敵が怪物の群れであるとは想像もできず。
あたかも「ロード・オブ・ザ・リング」の一番面を見ているかのようであったところからも、
「ああ、これはファンタジーだったのだ…」と思い至った次第でありますよ。
世評がどうかは別として個人的にはとまどいを隠せない、そんな印象なのでありました。
そんなところから、この映画を見て気にかかったのは時代背景はいつ頃だったのかな?ということ。
もちろん、ファンタジーなればそのあたりを気にする必要もないわけですが、
欧州地域(のどこかしら)から中国にやってきた登場人物たちの目的は黒色火薬であったこと、
そして彼らは傭兵としてイングランド王ハロルド2世のために戦ったことがあるてなことを拠り所として、
11世紀半ばくらいであるかなと想像するのですね。
ちなみに黒色火薬(以下、火薬と)はよく知られるように、羅針盤、活版印刷術とともに三大発明のひとつとされて、
そのいずれもが元は中国にあることも知っているところながら、ヨーロッパではそのヨーロッパ史観あるがゆえに
(なんでも新しい発明はヨーロッパでなされたと考えていたわけですね)火薬ももちろんのこと、
ヨーロッパ(のどこかは誰も知らねど、そりゃあ、もともとヨーロッパ発ではないのですから)で作られたものと
信じられていたのですなあ。
ですから、11世紀半ばにヨーロッパから中国に黒色火薬を手にいれるために出向くというのは
どうにもありそうもない話なわけでして、ま、要するにファンタジーですから…と考えることに落ち着くという。
とまれ、そんなこんなの思い巡らしの中で、改めて火薬はいつ頃どのように?てなことが気になったものですから、
図書館で見つけた「世界を変えた火薬の歴史」なる一冊を読んでみたのでありますよ。
火薬の歴史をたどるとなりますと、やむを得ないところもありましょうけれど、
だんだんと銃砲の発達史のようになってくるところがありまして、そのあたりはちと読み飛ばしになったものの、
ちょこちょこと興味をそそられる記述もありましたなあ。
そもそもですが、火薬は今思う火薬の効果を期待して作られたものではなかったそうなのですね。
秦の始皇帝もそうですが、皇帝たちはひとえに不老不死を願っていたわけでして、
そのための妙薬作りのためにああでもないこうでもないと、さまざまな物質を混ぜあわれているうちに、
なんか爆発性のあるものができてしまった…という具合のようで。
こうした不老不死の薬作りに取り組んだ人たちのことを、錬金術師ならぬ錬丹術師ということなんですが、
この「丹」とはすなわち「辰砂」であって「硫化水銀からなる赤色の鉱物」(Wikipedia)のことであると。
こうなりますと不老不死の薬とは水銀の成分を含んでいたのか…と思うと不老不死どころか毒ではと思うも、
現在でも漢方薬に使われてもいるとは、やはり化学弱者にはどう考えたものかと思うところです。
とまれ、いろいろ成分を調合したりしているうちに火薬ができてしまった。
それがモンゴルやらインドやらイスラムを介してヨーロッパに伝わったというのが実態となれば、
どこをどう考えたら「火薬はヨーロッパで発明された」との考えが出てくるのでありましょうや。
ヨーロッパで初めて火薬に関する記述がなされたのは13世紀半ば、ロジャー・ベーコンによるとのことですが、
中国で火薬の最初期の形態が登場したのは紀元八800年ころだったと推定できる」のだそうですから、
とにもかくにもヨーロッパにはいちばん遅くに伝わったというべきでしょうに。
さりながら「必要は発明の母」と言われますように、伝わった火薬をどのように使うか(どういう武器を作るか)には
先行地域に猛チャージをかけたのがヨーロッパでもあったような。何しろ戦争に明け暮れる日々がありましたから。
戦争が武器改良の後押しをしたというわけで。
そんなふうに火薬がヨーロッパにもたらした結果として、統治のありようがずいぶんと大きく変わったことを
ちと長いですが、引いておくといたしましょう。
1500年、ヨーロッパには依然として500を超える独立行政区が複雑に混在していた。一部は 非常に小規模で、一都市、一主教区、一弱小国家などだったが、それらはとくに中央ヨーロッパと 北部イタリアに多かった。こうした小行政区の大部分は、火薬時代の到来に際して、効果的な軍隊を つくるのに必要な財源を生みだすことができなかった。そのため、これらの兵器を配備できた より大規模な国家の力と脅威を阻止することができなかった。 四世紀以内に、1500年時点でヨーロッパを形成していた500の国家と行政区は約25に減っていた。
つまり、大国化の道筋は何も領土的野心といったものばかりでなく、
大きな軍隊を作るための財源をスケールメリットで稼ぐためにも大国にならなければならなかったとなりましょうか。
そうしたところへの過渡期には、国が自前で軍隊を養うことが難しいと考え、
もっぱら代わりに戦闘を請け負う者=傭兵の出番が多かったことも。
ちょいと前に三十年戦争とグスタフ・アドルフ王のことに触れましたですが、
グスタフ・アドルフを破ったヴァレンシュタインは傭兵隊長だったのですものね。
本書に曰く「1630年代の三十年戦争のさなかには、400を超える こうした請負業者が営業活動して」いたそうな。
ここでまた改めて言うことではありませんけれど、一般に世界史なるものも相当にヨーロッパ史観にとわれてしまいがち。
やはり批判的に眺めてみるということは、当たり前の歴史と思えるようなことに対しても必要であることを
忘れてはいけんなと思うのでありましたよ。