なんとなあく見始めてしまったら「ああ、これ見たことあった…」という映画「アントマン」。
小さな小さなヒーローのお話ですな。
マーベル・コミックが原作のヒーロー(時にアンチヒーロー)ものがおよそSFとは見られないように、
その映画化作品についても、あまり科学的な裏付けなどを考えてみても詮無い話ではありましょうけれど、
ちとひっかかりましたのは、どんどん小さなサイズになって原子のサイズまでに入り込むと
量子世界にはまり込んで戻ってこられなくなるというあたり。
背景は全く異なるものの、宇宙ものの話の中でブラックホールに入り込むとどうなるか…てなことと
似ている気もしないでもないわけでして。
そこはそれ、主人公たるアントマンはしっかりと帰還を果たす(といってはネタバレですかね)のですが、
考えどころはそのストーリーではなくして、どんどんひたすらに、限りなく小さくなる…ということに関してなのですね。
小さくなり続けることはどういうことであるか、ということも気にならなくはないものの、
それよりも小さくなると相対的に回りが大きくなるわけで、こうした状況を小さな視点から見るか、大きな視点から見るかで
大いに世界の見え方は変わるのだよなあということでありまして。
今、世間を騒がしている新型コロナウイルスは「50~200 nmほどの大きさ」と言われておりますけれど、
「nm(ナノメートル)」は「0.000001 mm」ということですから目に見えるわけもない大きさで、
仮にヒトがそのくらいの大きさ、つまりはウイルス並みになることを想像したとき、
逆にミクロからマクロに見方を変えますと、ふと「地球にとってはヒトがウイルスみたいなものだなあ」と思い至ったわけです。
時宜に適った例え話ではないかもしれませんが、地球環境を蝕む現況がヒトなのでもあろうかということ。
もちろん、ヒトの側にはヒトの側の考えなり思惑なりがあって、端から地球に悪さをしてやろうと思ってはおらないものの、
翻って考えればウイルスもまた自分の側の理屈(それを考えているとはいいませんが)でもって、
他の生き物に寄りかかっているのであるなあと。
だからどうだという話ではありませんので、尻切れトンボ的な思いつきにはなりますが、
こうしたウイルスとヒト、ヒトと地球といった関係をさらにさらに引いたところから巨視的に眺める存在があるかも…と、
想像する先に「神」なるものをヒトは思いついたのであろうなあとも思ったりしたものでありますよ。
大きなものが小さなものを手玉にとるという構図、
ヒトに都合の悪いことが起こったりした場合には神の意に添わなかったから…と考えたりするのは、
ある意味、ものごとを受け止めやすくするのかもしれませんし。
それだけにアントマンは(と、やおら話は戻ってきましたが)小さなものが大きなものを手玉にとってもいる。
この逆転の発想は考え方のひとつとしてあってもいいのかもしれませんですね。
全てが他からの働きかけ(それが神と呼ばれるものであるかどうかはともかくも)で決まってしまう…てなところに
陥って抜け出せなくなることもあるとすれば、逆転の発想に多少なりとも意味はありそうな気もします。
ま、考えの使い方を間違えてはいけないということは常に付いてはきますけれど。