房総半島の名山・鋸山は日本寺の境内でもあって、とは先にも触れましたけれど、

そうしたところだけに、そして山が岩で出来ているということもあり、

摩崖仏が彫られていたりするのでありますよ。山の中に忽然と大きな仏さまが姿を現すあたり、

以前登った三浦半島の鷹取山を思い出したりもしますなあ。

 

まず、入り口から「地獄のぞき」へと続く登り道と分かれて、平たんな方を奥へ奥へと進んで行きますが、

これがかような切通しでありまして、かつて採石場があったことの名残でもありましょうかね。

 

 

岩の回廊の奥の方、ちょうど「地獄のぞき」を下から見上げることのできるあたりに

ちょっとした広場があるのですよね。見上げれば、地獄のぞきが飛び出しています。

 

 

そんな広場の岩壁に大きな観音様が彫られておるのでして、その名も「百尺観音」と。

どうやら本当に30m余りあるような話ですので、単に語呂がいいから「百尺」と言っているわけでもなさそう。

確かに大きいですなあ。

 

 

大きいのも大きいですが、ずいぶんと奥まったところに彫られておりますね。

おそらくはこの場所も採石の結果として、かようなスペースができたのかもしれません。

その奥まり感が反って厨子の中に納められた仏像のような印象につながるところはあるといえるかも。

 

実は日本寺、大きな仏像はこれだけはないのでして。しばらく山道を下ったところに…といって、

訪ねた時は山道が台風被害で寸断されておりましたから、車でもってひとつ下の駐車場へ移動したという。

こんな状況ですものね。

 

 

ともあれ、少し下がったあたりは頂上部の岩、岩、岩…のようすが、やや穏やかになった気がしましたですが、

その平らかなところに大仏様が鎮座しておられましたですよ。

 

 

パッと見では自立しているようにも見えましょうけれど、

脇へ回ってみれば光背含めて背中が山と一体化しておりますので、やはりこちらも摩崖仏といっていいのでしょうか。

 

 

元々は天明三年(1783年)、大野甚五郎英令という石匠が棟梁となって3年がかりで彫り上げたのだとか。

あいにくと江戸末期には風蝕による亀裂が入るなど荒れ果ててしまったということで、

房総のこの場所が昔から風害を被る地域であったことが偲ばれたのでありますよ。

 

現在の姿は復元工事の末、1969年に完成を見たそうな。

座高で比べて奈良の大仏が15m弱であるのに対してこちらの大仏は21.3mもありまして、

日本一の大仏さまなのだということです。惜しむらくは再建だということですなあ。

 

ということで、摩崖仏を見て回った日本寺の次には…と、移動にかかって「あ!」と。

あらあら、本堂を訪ねてないでないの」といってももはや後の祭り。
気を取り直して、鋸山ふもとの美術館へと向かったのでありました。