…ということで、話の流れではヴィッテンベルクからライプツィヒに戻ってきたところからということになりますが、
実際にはイエナから移動してライプツィヒ駅に到着した…というところまで巻き戻して、
ライプツィヒの町歩きのお話に入ることに。いずれにしても、始まりはライプツィヒ中央駅からということで。
今回の旅は何かしら妙に宿の取りにくい状況がありましたけれど、
ライプツィヒでの3泊は中央駅から市の中心部方向へ歩いて数分の、実に清潔なビジネスホテルでありました。
いわゆる日本にあるようなビジネスホテル(つまり本当に必要なもの以外アメニティも無い)がヨーロッパには
あまりないような気がしておりましたけれど、このMotel Oneは2000年の創業以来、結構手広く展開しているようです。
と、かようなホテルに荷物を預け、ライプツィヒの町なかへと繰り出すわけですけれど、
まずもってホテルの目の前には立派な教会があるのでして、取るものも取りあえずそちらを覗くことに。
このニコライ教会、なにもホテルの前にあるからそれで「始まりはニコライ教会から」というわけではないのでして、
1989年10月、やがて「ベルリンの壁」崩壊につながる「東ドイツ平和革命の口火が切られ」るわけですが、
その発端はこの教会での「平和の祈り(Friedensgebete)」が教会外へのデモ行進となっていったことにあるのですね。
その意味でも「始まりはニコライ教会から」というわけです。
国民の自由と開かれた国を求めて1989年10月9日のデモには7万人を超える人々が参加し、
みるみる東独全域に広まったその反体制運動は、その後1ヶ月で「ベルリンの壁」を壊し、
さらにわずか1年後には東西ドイツ統一という激動を呼び起こしたのでありますよ。
上の教会の写真に見える柱はこうした運動の記念として建てられたという「ニコライ記念柱(Nikolaisäule)」でして、
教会内の柱を模して造られているとのこと。では、堂内へと入ってみれば「なるほど」でありました。
ところで、ニコライ教会は1165年に建設が始まったという市内で最も古い教会とされますので、
現代史との関わりがあるばかりではありませんですね。同じライプツィヒ市内のトーマス教会は
J.S.バッハがカントル(楽長というか音楽監督というか)を務めたことで知られますけれど、
14世紀以来、この役職にはニコライ教会の方の音楽も面倒を見るという役割があったのだそうです。
ですので、こちらはこちらでバッハとの関わり深く、「ヨハネ受難曲」や「クリスマス・オラトリオ」は
ニコライ教会で初演されたと言われていたりするのですよね。
そうした歴史あればこそでしょうか、オルガンもまたたいそう美しく堂内に収まっておりましたよ。
さすがにバッハ時代そのままのものではないでしょうけれど、
その代わりに6804本ものパイプを持つというこのオルガンはザクセン州で最大なのだそうで。
一方、内陣を飾る絵画はアダム・フリードリヒ・エーザー(Adam Friedrich Oeser)という画家の手になる作品ですが、
この人はゲーテの絵の先生だったこともあるそうな…と、またしてもゲーテ登場。ま、ゲーテ街道紀行だものですから。