休日になるたびに都心ではあれこれの展覧会などもやっているのだよなあと、
いささかの迷いは生ずるものの、相変わらず多摩に閉じこもって一向に都心に出ることも無く…。
状況が好転しているのか、それとも悪くなっているのか、はたまたこれがコロナの時代の生活であるのか、
釈然としないでおるわけですが、取り敢えず今回も近いところで府中市美術館へ。
「東京近郊のんびり散歩 江戸時代から現代まで」と題したコレクション展を開催していたものですから。
江戸時代からということで、古いところでは同館自慢のコレクション?司馬江漢の作品などの展示もありますが、
広重の「江戸百」などがあるではないので、ここはちと端折って明治から注目することに。
まずは「光線画」とも言われたように光と陰を描いた小林清親とその弟子、井上安治の作品をじっくりと。
江戸から明治へと時代が転じた中で、東京となった街並みを描き出すわけですが、
それぞれに情趣を感じながらも時として見慣れた感から見流してしまうあたり、
あたかもモーツァルトを聴き流してしまうが如し…とは、我ながらずいぶんと不遜な物言いですが(笑)。
さりながら、作品現物と向き合う機会から遠ざかっていたこともありまして、
改めて目の当たりにするとあれこれの面白さに気付かされたりするのでありますよ。
清親が描くところの「武蔵百景」のうち「王子稲荷社」などは、高台の神社での意味ありげな男女の交錯、
女連れと思しき男はなぜか顔を隠しているようであり、手前に後ろ姿で描かれた女性の背中からは
何やら物語が渦巻くようで…とは、2時間ドラマの見過ぎでありましょうか。
とまれそんな清親の、同じ「武蔵百景」のうちから「目くろゑんひう蔵」(目黒焔硝蔵)や「鴻ノ台市川乃遠景」などからは
まだまだ東京圏は狭く、周辺部は畑が広がり、また森や山だったことが偲ばれるのですなあ。
とりわけ、最初のものは目黒の坂上から西側を見晴らし、遠く富士が大きく見える手前側はもっぱら畑ばかりという具合。
「武蔵百景」は明治17年(1884年)の作ですけれど、
ご存知、国木田独歩の「武蔵野」が綴られたのは明治31年(1898年)でして、
独歩の旧宅があった渋谷のあたりがまさに武蔵野の趣であったというのですから、
(独歩の住まいは今でいえばNHK放送センターのあたりであったそうな)
目黒の西側など当然に狐や狸が出たことでありましょう。
安治描くところの「東京名所図」から「愛宕山」を見てみれば、東京市中こそ家々が立ち並んでいるものの、
今とは異なって建物の高さが見事に均一、すべてが木造家屋(平屋か二階建てかまでは分かりませんが)で
埋め尽くされているのでありますよ。
こういったようすを見ますと、確かに市中は過密であったものの、一歩外へ出れば実に広々としている。
仮に伝染病が市中に蔓延したとしても、封じ込めはやりようがあったような気がしたものです。
ということで、話はすっかり小林清親と井上安治を見ての時空散歩になってしまいましたが、
次のコーナーで見かけた不同舎の画家たちによるスケッチのお話もしておきたいところでありまして、
ひとまずは「続く」ということに。