せっかく東京都現代美術館を訪ねたならば、やはり当然にして「コレクション展示」の方にも目を向けることに。
「MOTコレクション いまーかつて 複数のパースペクティブ」と銘打った展示の中で、
このほどちと目を止めたのは戦争画なのでありました。
折しも先んじて、オダギリジョーが藤田嗣治を演じた映画「FOUJITA」を見たところでありまして、
第二次大戦の開戦前夜、帰国した藤田は軍部の依頼によって戦争画に手を染めるわけですが、
これが戦後にはバッシングのもとになり、パリへと戻って行ってしまう…そんなようすを見ていましたもので。
もっとも戦時中に、いわゆる戦争画を描いた(描かされた)画家はたくさんいたわけでして、
それが軍部の要請どおりに国威発揚的な絵をどれほど確信的に描いていたか…これはそれこそ
人によってさまざまであったことでしょう。
そんな思いも持ちつつ戦争画を眺めるときに、いかにも勇ましい艦隊や航空機編隊と見える絵であっても、
その意図するところは別にあったのかも…と思ったりもするのでありますよ。
展示の中にあった藤田作品を見てもしかりです。
まあ、後世から見た時にそうも見えるということではありますけれど、
例えば向井潤吉描くところの「影(蘇州上空)」(1938年)では、前年から始まった中国各地への空爆で
蘇州もターゲットのひとつになっていますので、そのイメージ化であろうものの、
瓦屋根の平屋が建ち並ぶ蘇州の町に爆撃機と思しきひとつの大きな機影が覆いかぶさっているさま、
これが士気を高める絵とは考えにくいところです。
向井が「影」を描いた45年後の1983年、岡本信治郎が制作した「銀ヤンマ(東京全図考)」は
皇居を真ん中に置いた東京の地図の上に大きなトンボの姿が描かれているのですね。
そして、上空からは浮世絵の線描による篠突く雨でもあるかのように、たくさんの線が描かれている。
投下された焼夷弾の軌跡でもありましょうか。
二つの作品は、片方は爆撃する側の立場で描かれ、もう片方は爆撃された側の立場で描かれているという、
これ以上無い逆の立場であるものながら、両者に共通したものを感じるのは絵柄だけではないような。
向井作品の方でも爆撃の現実は描きこまれていないにせよ、町にのしかかる黒い影は
(味方の雄姿というよりも)不穏なものとしか見えないところですから。
ところで、藤田が戦争を主題に初めて描いたとされる「千人針」(1937年)を展示で見ましたですが、
千人針は出征兵士の武運長久を祈り、軍部でもこれを戦勝祈願に見立てて奨励するようになるのですから
これを題材とすれば「戦争を主題とした作品」と言えるにしても、その雰囲気から戦争を思い浮かべるかといえば、
全くそんなこともないように思うところです。
そういえばちょいと前、Eテレ「日曜美術館」で「ヨコハマトリエンナーレ2020」を取り上げた際、
千人針をモティーフにした作品はした作家の話に曰く、千人針のそもそもには
弾に当たらないことでの武運長久以前に、徴兵に当たらないことの祈願があったというなのですね。
ですから、「政府は、日露戦争の頃には…(千人針などを)歓迎していなかった」(Wikipedia)とも。
果たしてそうしたことを藤田が意識して描いたかどうかは分かりませんけれど、
藤田の戦争画としてよく知られている「アッツ島玉砕」などを思い浮かべてみても、
どうにも戦意高揚につながる画面とは思えないわけでして…。
おそらくはと思い付きで言うのもなんですが、
戦争と呼ばないままに始めてしまった戦いの、最初のうちの勝ちムードに人びとが酔っていた、
そんな時期に戦争画に手を染めたものの、泥沼化の状況にだんだんと考え直していったのではないですかね。
戦後フランスに戻り、やがてフランスに帰化、その後に日本に帰ることはなかったわけですが、
亡くなるまで広沢虎造の浪曲を愛聴していたことからも日本への思いは残していたように思われるところでありますよ。