さて、東京都現代美術館に赴いて、オラファー・エリアソンの展覧会コレクション展示とを見て回った後、

「はて、屋外展示への出入り口であったかな…」というところで、こんなリーフレットを発見したのでありますよ。

 

 

「道草のすすめ…?」

冷房の効いた館内から外へ出るのはいささかの勇気が必要でしたけれど、

どれどれと扉を開けて屋外へ。「暑い!」(笑)。

 

幸いにして建物の陰になっている部分はいくらかしのぎやすくはありましたですが、

さてここでどんな展示が?と思いますれば、上のリーフレットに見えている丸いプレートが

ぽつりぽつりと置かれているのですなあ。

「点音(おとだて)」は、環境のなか置いたひとつの音符です。耳と足の形をもじったマークの上に佇み、耳澄ましてみる時、貴方はオーディエンスであると同時にコンダクターでもあり得ます。

この作者の言葉に釣られて、「点音」マークの上に乗り、しばしあたりの音に耳を傾けてみましたところ、

まず聴こえてくるのは「ぶろろろろー」という車の通りすぎていく音だったりするものの、

東京の下町には珍しく木立の多い木場公園に隣接するというロケーションがら(といって、人口の植栽ですが)

木々を通り抜けるかすかな風のそよぎが聴こえてきたりするのでありまして。

 

もちろん、通り過ぎる車の音や人の話し声などが消えてなくなることはありませんけれど、

楽曲の中でも、それだけ取り出せば不協和音である音が実は効果的なアクセントになったりする、

そんなようにも受け止められる状況になるという。それだけ心がゆったりできたということかもしれません。

 

日常生活の中でせかせかと動き回っているときには、いわゆる雑音、騒音としか感じられないような音世界の中で

ふと足を止めて無心に耳を欹ててみれば、思いがけずも普段とは異なる音体験ができたとは、

この「点音」なるマークがなければそんなことをしてみようとは思わないことへの背中を押されることになり、

「ほお…」という気付きになるとは、まさにインスタレーションとはかくなるものでもあろうかと思ったものでありました。

 

せかせかをいったん休止して生活音に耳を傾けてみようとは、作者言うところの道草的行為であるわけですが、

音を感じることにおいて意識の転換が図られるという点では、ジョン・ケージの「4分33秒」にもつながるところがあるも、

それをさらに小難しさの無いところで誘ってくれるのが「点音」であったと言えましょうか。

 

 

いったん気付きを与えられますと、美術館の建物のこんな、何の変哲もない片隅であっても、

「ああ、水のさざめきが心地よいな…」と思えたり。いろいろな意味で「やさしい」現代アートなのでありました。