ジョン・トラボルタと聞いて真っ先に思い出すのが映画「サタデー・ナイト・フィーバー」であるという昭和モノには

その後の性格俳優ぶり?には驚くばかりといいましょうか。「ヘアスプレー」での役柄などを見ても、

(軍人もの以外では)もしかしてロビン・ウイリアムズを意識してるのかと思ってしまったり。

そしてまたこのほど公開された映画でも…。

 

 

「サインが欲しかった-熱狂的なファンの愛がいつしか歪みゆくストーカー・スリラー」

フライヤーにはかように書かれてありまして、ロビン・ウイリアムズにも正に「ストーカー」なる映画があったなと。

 

ですが、「トラボルタ史上最狂」という言葉の方からは、もしかしてコメディーなのか…とも思ってしまったところながら、

その点では大はずれ。最終的には凄惨な事態に立ち至るのですから。

 

しかしながら、これまでに何度か映画になったストーカーものとは、

この映画の主人公ムース(ジョン・トラボルタ)は異なっているのではないですかね。

確かにマニアックであり、ファナティックな登場人物が描かれてきましたけれど、

そこに発達障害的なところを感じさせる人物造形はおよそ無かったのではと思うところです。

 

されど、ムースの挙動(もちろんトラボルタの演技ですが)からはそれらしさが色濃く感じられるような。

落ち着きなく体を前後にゆすっているようすであるとか、物事への執着(それがマニアックであるわけですが)、

その反対に自身にとってのNGワードを耳にしたときの過剰な反応、そしてものの加減の判らないところなどなど。

 

最初のショッキングな場面である最愛の映画俳優宅に侵入し、これを見咎めた家政婦を殴りつけてしまったり、

いつも嫌がらせをしてくるストリート・パフォーマー仲間(ムースはハリウッドブールバードの路上で日銭を得ている)に、

殺してしまうのではという勢いで首を絞めてしまったり、こうしたことはムースにとって万やむを得ない抵抗の、

力加減が判断できていないことによるものと思うわけでして。

 

「やっちゃいけません」ということをやってしまう。それも限度を知らない形で。

その際限の無い執着ぶりというのは、比較するにはあまり適切ではないとは思うものの、

先に見た映画「ぼくと魔法の言葉たち」の登場人物がディズニー・アニメのセリフを全部覚えてしまったりすることとの

近しさを思ったりするのですなあ。

 

と、そんな思いがいったん過ぎってしまいますと、単純にスリラーと割り切って見ることができなくなってしまうという。

繰り返しになりますが、本作の主人公が発達障害なのかもという示唆はおよそ映画紹介の中には出て来ない。

となれば、単なる個人的な思い込みでなのかもしれませんけれど、この映画が見せるところのストーカーぶり、

もそっと違う人物造形があったのではと思わざるを得ないのでありましたよ。