凡夫の一生にあった誰にも語ることがなかった20年間の秘密。

 

 

 その秘密も一本のライン通話とともに闇に消えていく。

 

 

 一人娘の成長や結婚、妻と共に過ごす老後の楽しみについて、少し早いかもしれないが思いを寄せるようになり、自分の人生に第二幕が訪れるような気がしてきた壮一だった。

 

 

 同時に、鋭角的な、このまま死んで悔いはないのかという懊悩も胸中に消えることはなかった。

 

 

 しかし、そのような懊悩も鋭角的ではあるものの、静かに胸奥にしまったおけるようになり、やがては忘れていくものなのかなと、当事者の立場なのに妙に客観的に諦観するようになってきた。

 

 

 ユリとの不思議な断絶的別離が、諦めという感情の向こう側にある新境地を見出した。

 

 

 つまり、ユリのいない人生こそが、自分を心機一転させたような気がしたのだ。

 

 

 学生時代にちょっとだけやっていたバトミントン、もう一度やってみようかな、妻の良子に夕飯時、語った壮一だ。

 

 

 「いいんじゃないの、健康にも。アタシも一緒にやろうかしら。」

 

 

 「それにさ、老後の楽しみで囲碁でも始めようかと思っているんだよ。オモシロイらしいね。」

 

 

 心なし、壮一の面影に生き生きとしたものを見出し、絶えて久しい微笑みの眼差しを浮かべる良子だった。

 

 

 休日も何かと家事やら日曜大工に精を出すようになった壮一だ。

 

 

 年明けから間もない時節だった。

 

 

 門松を外した翌週の土曜日、出掛けた妻の留守中にテレビを観ていた壮一の耳元に、思いきり短いファンファーレのようなラインの着信音が鳴った。

 

 

 スマホのボリュームを最大限にしていたので、隣室のベッドの枕元からでも届いたのだ。

 

 

 妻か娘からかな、悠揚迫らず、充電中のスマホを手に取り、ラインメッセージに目をやろうとしたときだ。

 

 

 うっ・・!

 

 

 声なき悲鳴をあげた彼だった。

 

 

 メッセージの送り主名が、昨年6月から待ちわびてやまず、そして諦めていた、登録名「ユリ」からだったからだ。

 

 

 慌てて、ベッドの上に胡坐をかき、そのメッセージを確認するや、全身の肌が粟立つようなショックを受けたのだった。

 

 

 掌のディスプレイには、概略、こんな文字が躍っていたのである。

 

 

 「はじめまして、私は上崎百合の妹である上崎恵子と申します。とても残念なお話しなのですが、姉百合は昨年の7月脳梗塞の処置が遅れ、亡くなりました。」

 

 

 身の毛がよだつとは、このことか。

 

 

 大きく見開かれた瞳孔が文章を追う。

 

 

 「今、こうしてメールを送らせていただいているのは、葬儀も終わりひと段落が過ぎ、彼女のスマたホから生前親しくさせていただいた人を割り出したからなのです。職場の方や親戚縁者、知りうる範囲で生前の彼女に縁のあった方を探し出しては、訃報をお伝えしたのですが、私たちの注意が及ばず申し訳ありませんでした。恥ずかしながら、スマホの解約をしなければと思いついたのは、つい最近のことだったのです。」

 

 

 そうか、そうだったのか。

 

 

 何か彼女の身の上に事が起きたのではないかと想像していたものの、逝去ということまでは夢想だにしていなかった。

 

 

 彼女の妹からのメッセージは段落を分けて、更に続く。

 

 

 「不思議な話ですが、登録名の橋本さん、貴方様とのメッセージのやり取りが生前の百合においては、もっとも数繁かったにもかかわらず、彼女の周囲からは橋本様の名前は一切浮かび上がらなかったことです。」

 

 

 おそらく、妹は自分とユリとのラインにおけるやり取りを確認しているに違いない、ユリがアルバイトをしていた何らかの店の常連客が登録名橋本だとは知ったはずである。

 

 

 ユリとのメッセージでは、具体的な店の内容には一切触れておらず、ただ、単に今度店に行くからねと伝えるようなものが秘めた愛のギリギリの線だったことを思い起す壮一だった。

 

 

 今、自分はどうしたらよいのだろうか、秘すれば花という言葉は適切ではないが、ここは沈黙を保っているのが、ユリとの間に変わらぬ友愛の虹を見出せるような気がした。

 

 

 しばらく放心状態だった壮一だが、寄せては返す波のような人間の生死というものに、なぜかユリの笑顔を悠久に思い起したとき、悲しみの涙が頬をつたった。

 

 

 自分と最後に会った頃から、きっと体調は悪かったのかもしれない。

 

 

 しかし、脳梗塞は突発的なケースが多いから、病院に行くのが遅れたということも考えられる。

 

 

 救命の連鎖はなかったのか、いずれにしろ、不慮の事故であることには変わりがない。

 

 

 一人暮らしで恋人もおらず両親も既に失くしていると語っていたから、突然訪れた天からのお招きに対し、誰にも相談することはできず、誰にも見守ってもらうことはできなかったということか。

 

 

 しかし、最後に店で会った頃の、昼夜を問わず文字通り身体を張って生きていた彼女の元気な笑顔を思い出すと、慨嘆し、そして胸に熱いものが込み上げてくるのだった。

 

 

 一本のライン通話で一層親密さが増し、そして一本のライン通話における未読の文字が既読の文字に変わったとき全てが終わった。

 

 

 この既読のメッセージは、きっと彼女の彷徨えた魂が天国に安住して後、私に知らせてくれたものだ。

 

 

 私が最後に送信した「元気ですか。今月はいつ会おうか。」というメッセージは、病床にあった最中だったのかそれとも逝去した後だったのか、それはわからない。

 

 

 しかし、この私の最後の送信メッセージに既読の文字がついたとき、確かに彼女の元にそれは届いたといえるのではないだろうか。

 

 

 愛別離苦、掌の中におさまるスマホのディスプレイに、そんな文字が浮かび上がるのを感じる彼だった。

 

 

 そして、このまま何もせずに死んで悔いはないのか、という自分の疑問にも、ユリの訃報を契機に一つの回答めいたものを感じた彼であった。

 

 

 少しでも多くの人のために尽くして生涯を終えたい、それでいいじゃないか。

 

 

 妹を通して送信されてきた突如の驚嘆のメール内容であったが、彼は、一言だけ、妹を通してユリへの別れのメッセージを贈ろうと思った。

 

 

 「いつか天国で会える日を楽しみにしています。ありがとうございました。」

 

 

 どうしようもない悲しみと同時に心からの感謝の気持ちが天高く舞い上がる気がした。

 

 

 

                                 了

 

 

 

 

 

人気ブログランキング

http//blog.with2.net/link.php?566450

http//blog.with2.net/link.php?566450