それにしても眠れないのだ

日々の眠れない出来事を虚実織り交ぜて

それにしても「人を傷つけない笑いを押し広げてみる」なのだ。

2020-05-13 18:06:03 | Weblog
 最近のお笑い界では“人を傷つけない笑い”が注目されている。これまでは、誰かを笑いものにしたりツッコミと称してきつい言葉を吐きかけたり頭を叩いたりして笑いを取ることが普通だった。で、そういうのがなくても十分に笑いを取ることができるから、そういう方が良いんじゃないのか・・・みたいな感じだ。
 これに関して、世間は賛否両論のようだけど、筆者的には、きつい言葉を吐きかけたり頭を叩いたりすることは、子供の教育上も、一般の生活上も決して良くない行為だから、今後はコンプライアンス的にテレビではそういうのは御法度になっていってもおかしくないなぁ・・・なんて思ったり。ま、でもテレビでやれなくても、お笑い界にはそういったツッコミは当たり前のツールとして今後も残っていくのだろうし、閉じた世界であれば外野もそれが残っていくことを許容していくんだろうなぁ・・・なんて思えたなら、あることが頭に浮かんできたのだ。それは、子供の教育機関である学校全てに『お笑い界式教育』を導入したら良いのでは!?ってことだ。
 で、これは何かと説明する前に教育現場の現状を把握しておこう。現在の教育現場では、叩く等の体罰に厳しい目が向けられている。なんなら、先生が生徒の体にちょっと触れただけでもアウト判定が出ることもある。先生はそれにおびえて行動が萎縮し、生徒は増長して先生を軽んじて、教育の現場が荒れがちになっているなんて話も聞く。結局、自分から必要性を感じて能動的に通学して勉強している生徒なんて殆どいないので、縛り付ける物が弱まればどこまでも堕落していく。子供の真の自主性なんて全く当てにできないのだ。
 ・・・そんな現状を打破するのが『お笑い界式教育』だ。これは、みんなが楽しく笑いながら勉強をしていく・・・なんて物では決してなく、例えば授業中に生徒が答えを言い間違えたり、朝礼中に変な行動をしたら、先生は「なんで間違えたんだ!」「変な行動するヤツは精神病院へ行け!!」といった厳しい言葉を吐きかけたり、頭とか体を叩いたりといった“ツッコミ”をいれることが普通に許される行動となる教育方法だ。これは、基本的には体罰じゃない。愛の鞭とかいう訳のわからない物でもない。でも、度を過ぎれば体罰になる。その基準は、一つは“表面的に傷つけるかどうか”という点だ。これにより先生は、人を傷つけない叩き方やなじり方を勉強しなければならなくなるだろう。生徒は、人を叩くことや暴言を浴びせることがどういうことか強く意識することになるだろう。あ、ちなみに、ツッコミは絶対やる必要はなく、あくまで教育の一ツールでしかない。
 こんな教育現場に一石を投じるアイデアは、現状ではなかなか賛同を得ることができなさそうだと思われ、いきなり俎上に載せても排斥されてしまう可能性が高そうなので、まずは方々に根回ししようと思い、それはどこが良いのかじっくり考えようと思うので、今日は寝ることなんてできなさそうなのだ。
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