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「源氏物語(3)」
「源氏物語」(3)です^^!
次回の「源氏物語(4)」、いよいよ「宇治十帖」に入る予定でしたが、次回も光源氏の女性たちになっちゃいそうです^^!!(5)もそうなるかも~~ですぅ^^!!
って、きっと、わき道、寄り道が多いからそうなっちゃうんですよね^^。
と、書きながらも冒頭からわき道~~~~~~~です^^!!
「源氏物語(1)」でも触れましたが、「源氏物語」は、原本は残っていません。写本のみで、多くの人が書き表しました。途中での書き足しや書き換えもあっただろうと伝えられてもいます。
その中でも一番信憑性のあるものは、藤原定家が校訂した「青表紙本」であり、これが原本替わりとなって現在に至っています^^。
作者の紫式部は、この「源氏物語」を書くまでは、藤式部(ふじのしきぶ)と呼ばれていたんです。
父の藤原為時が式部丞という官職に就いていたから藤原の式部で藤式部なんですけど^^。
本当にこの時代の女性への名前って、実にいい加減ですよね^^。
「源氏物語」の中の光源氏がこよなく愛した紫の上が多くの読者に親しまれて、藤原公任(きんとう)が「若紫や侍う(若紫さん~、いらっしゃぁい~~)」って、呼んだことから、紫式部と言われるようになりました^^。
前にも書きましたが、平安の貴族社会の恋愛は、強姦もどき、不義姦通の連続^^ではありましたが、まじめに恋愛をしようと思ったら、かなり骨の折れる仕事でした^^。
女性からのアプローチは、ほぼゼロに近く、すべてが男性の方から行われていました。
初潮が始まるころから、女性は男性に顔を見せることはありませんでしたし、出来ませんでした。兄弟でも見られなかったんですよ~~^^!
すべては、噂だけが頼りでした^^。その噂を聞いて、男性がその女性の屋敷に通うのですが、御簾(みす)があり、御簾越しにしか相手を見ることはできません^^。
結婚前は、ミスと言うだけに御簾なのでしょうか^^(おいおい^^)!
そこで女性の雰囲気や匂いを想像して、その想像に合わせて花に歌(和歌)を付けて贈ることから始まります^^。
その歌を返すのは、すぐに本人からと言うことはあり得ず、教養のある侍女たちが代筆をしていました^^(おいおい^^)!
そのやり取りで、気に入ったらやっと本人から返事が来ました^^。
男は、贈る紙から文字、花、そしてなによりも歌と匂い(香り)に英知のすべてを賭けた勝負の場でもありました。もちろん、侍女への賄賂の付け届けも忘れてはなりません^^。
侍女を飼いならすために、その侍女と関係を持つこともしばしばあったそうですって、メチャクチャな話ですよね^^!
香りは、重要なポイントでもありました。貴族たちはこぞって、中国やインドから入ってくる麝香(じゃこう)、白檀(びゃくだん)、沈香(じんこう)などを手に入れ、自分の匂いをブレンドして作ったりしていました。それがまた、財力の証でもありました^^。
どうして~~ここまでぇ~~するのかと言うと、権力社会には、力のある財力もある後ろ盾が必要でどうしても家と家を結んでおく必要があったと言われています^^。
教養と財力は男だけではなく、女性にも求められました。
万葉集や古今和歌集は暗記して、先方からの歌にウィットを込めて返事で詠うことも必要でした^^。
それから、やっと夜這いを許されます^^(おいおい^^)!
でも、朝起きて、顔を見たらとんでもない、いえいえ、豚(とん^^)そっくりのとんでもない女性であることも多くあったようです(おいおい^^)。とんでもあったわけです^^(こらこら^^)!!
それは女性とて同じなんですが^^!!
三日連続して夜這いにくれば、婚約成立で、その翌日は披露宴となります^^。
このとき、初めて女性の両親や親族を見ることになります。
まぁ、披露宴の朝に始めて男は三夜を過ごした女性の顔を見ることもありましたので^^。
男の親は、それをお付の者や文や噂などで知ることになり、まず女性の家に挨拶に行くことなんかありませんでした。
その日から、男は、そこでの生活が始まります。自分の家に帰ることはしないのです。
もちろん、衣食住はすべて女性の家で面倒を見ます。その男性は、妻が一人ではありませんから、今日はこっち、明日はあっちって、今の世では考えられない生活でしたぁ~~~~~^^。
ここで、冒頭のわき道がやっとぉ~~終わります^^!!
さてさて^^、今回と次回は、「源氏物語」を読まなくても、これが「源氏物語だぁ!」「光源氏だぁ~~!」って、知ったかぶりができるものにしていきたいって思っています^^。
あはっ、私も知ったかぶりなんですけどね^^。
光源氏が、愛した女たちや関わった女たちを中心に^^。
前回、「中宮藤壺」を軽く書きましたが、今回は、ちょっと掘り下げてみようかと思います。
序章である第一帖の「桐壺」で、早くも光源氏は、結婚をします。12歳の時です。相手は、「葵の上」。光源氏、初めての結婚であり正妻でした。4歳年上の才気煥発、美しさにも鼻高々の父を右大臣、母を天皇の妹君という血統書つきの娘でありました。この葵の上、本当は皇太子(光源氏の兄)のお妃候補だったのですが、親の思惑から政略で光源氏に嫁ぐことになりました。
しかし、この結婚は最初から上手くいきませんでした。
政略結婚だったかこともあったのでしょうが、政略結婚は当時ではかなり当たり前のことで、それよりも葵の上のプライドの高さが、光源氏の心にはどうしても馴染めませんでした。
何よりも、光源氏にはその時、すでに愛している女性が存在していました。って、光源氏は、まだ12歳だぞ~~~~^^!(おいおい^^)!!
それが、「中宮藤壺」です。
幼いときに母を失って、母を求めてきた光源氏には、藤壺が母以上の存在になっていました。
藤壺は光源氏よりも5歳年上ですから、正妻の葵の上とほぼ一緒にも拘わらずです^^!
そしてそれが若さゆえに爆発をしてしまいます^^!!
ついに藤壺が里帰りをしているときに無理やり~~襲うのです。
藤壺との出会いは、一帖の「桐壺」ですが、襲うのは五帖の「若紫」になります。
光源氏、18歳の時でした。
しかし、藤壺も藤壷で、光源氏のことを想っていました。しかし、義母であることで一線は守られていました。
それが、出来てしまったのです!!
さぁぁて、藤壺が身体を壊して実家に帰った時のことです。
宮中では会うこともできなくなった光源氏の思いは募るばかりです。「チャンスは、この時しかないと!!」と、なんとか手を尽くしてやっと会うことに成功しました。
もう目の前にいる藤壺に、「この女性しかいない!」と、ただただ涙ばかりの光源氏でした。
「見てもまた あふ夜にまれなる 夢のうちに
やがてまぎるる わが身ともかな」と光源氏が歌を詠みます。
(今夜はお逢いできましたが、再びお逢いする夜ができるでしょうか、できるなら今宵の逢瀬の夢の中に、そのまま紛れ込んで消えてしまう我が身でありたいものです。)
それを読んだ藤壺が、あまりにも可哀想な光源氏に歌を返します。
「世語りに 人や伝へむ たぐひなく
憂き身をさめぬ 夢になしても」
(あなたは夢と言われましたが,またとないほど辛い私の身を,たとい永久にさめない夢にするにしましても,後の世の語り草に人が伝えはしないでしょうか、私達の切実な愛を・・・。夢の中で育てて、夢を見続けてきた愛、もう 夢は見たくありません。)
このあとの一行が紫式部の凄さを思い知ることになります。
「命婦の君ぞ、お直衣などはかき集めて来たる」とあります。
そして、どこにも光源氏と藤壺の一夜の 睦(むつみ)ごと、秘め事を書いている箇所はありません。
この一行がすべてなのです。
「王命婦(帝側近に仕える婦人)が、光源氏の衣装をかき集めて持ってきた」、これで光源氏が裸で藤壺を接したことが読めるのです。
ねっ、紫式部って凄いですよね^^!
そうなんです^^!
この日に二人は出来ちゃいましたぁ~~~^^!
でも、その日から藤壺の後悔と苦悩は続きます。
帝である夫を裏切ったことが悔やまれてならない藤壷は、それから光源氏が求めてきても、一切応じようとしませんでした。
なんと、そのあと、子供まで~~~^^できちゃいました(おいおい^^)!!
それが、後の天皇になっちゃうんです^^。霊泉(れいぜん)帝です。
このことを知らない天皇桐壺は、藤壺の懐妊にめちゃくちゃ喜びます^^!!
桐壺帝は、最後まで自分の子供だと疑わないままあの世に行っちゃいます。
少しどころか、かなり哀れですよね^^。なによりも、藤壷のそれからは、日増しに女性として母として、ひ弱さは影を潜め、強くなっていきます。
その藤壷の凛とした強さは、また後に書くことにして、光源氏は、いったいどれだけの女性と関係を持ったのでしょう^^。
光源氏の最初の女性は、おそらく12歳の時の結婚相手「葵の上」だったと思います^^。
「源氏物語」に出てくるはっきりと男と女の関係があった女性を挙げていきますね^^。
確実に光源氏と関係のあった女性です。もちろん、推測ですが、侍女と^^や合コンでの一夜床もあったでしょうね^^(おいおい^^)!
まず葵の上、藤壷、六条御息所、花散里、朝顔の姫君、明石の君、夕顔、源内侍、朧月夜、末摘花、空蝉、軒端荻、女三の宮と13人になります。
この中で空蝉(うつせみ)は、身分とか、性格などで紫式部が自分を書いたって言われてるんですよ^^!!
何故、でも光源氏はこんなに好色なんでしょう~~~~^^!
それは、公職にあったからでぇ~~~~~~~す^^(おいおい^^)!!
しかし、これは、先天的なものではなくて、第二帖の「帚木」の影響なんです^^!!
「帚木」は、「ははきぎ」と読みます、「帚」は、掃除をする「箒(ほうき)」と同じです。
その「帚」に「木」を付けた「帚木」は、「遠くからは見るとあるように、近づくと消えてしまうという伝説の木」のことです。意訳すると、情けがあるように見えて実は虚であるとか、姿は見えるのに会えないことなどの例えにも使われる言葉なんです。
主題の「帚木」は、あとのほうに出てきます。
掻い摘んで話すと、雨の日に悪友4人が集まって女の品定めをして盛り上がるという場面です^^!修学旅行で就寝時間が過ぎても、ひとつの部屋で、「お前、誰が好き?」「あいつ、いいよなぁ~。」「あ~、あの先生とキスしたいぃ~~^^」って話している光景を想像してくださいね^^!!ただ、この悪友は光源氏よりもみんな年上で、それなりに女性経験も豊富な年上の友達なのです^^。高校生くらいの年齢の光源氏を前にして、女性論結婚論を話し合います^^。
頭中将(光源氏の正妻葵の上の兄)と左馬頭と藤式部丞の4人です。
でも、この光景、「雨夜の品定め」と言って「源氏物語」では重要でかつ有名なシーンなのです。
この会話がなければ、好色光源氏は生まれなかったのかもしれません^^!
原文で書いたら、きっと眠くなっちゃいますから、現代珈琲貴族風で書いてみますね^^!与謝野晶子現代訳を大幅に脚色しますね^^。
でも、今の世の中でもきっと日常茶飯事、このような会話がどこかで話されているんじゃないかなっています。
頭中将「おい、光ちゃん、妹の葵の上とどうなんだぁ。上手くいってないのはわかるけど、まぁ、あんな妹を光ちゃんに嫁がせてごめんねだけど、家系を大事にしたいから、なんとか面倒みてよ^^!!」
って、話が最初にあったかどうかわかりませんが(おいおい^^)、義兄の頭中将は光源氏の手紙の山を見てしまいます^^。そこから、雨夜の品定めが始まります^^!
雨夜の品定め =====
季節は梅雨、御所に宿直の夜
頭中将「光ちゃぁぁぁん^^!!これは誰のラブレターだ!筆跡からみたら、あの姫か^^、おお、これはあの姫かぁ~~?それにしても山のようなラブレターの数だな!!」
光源氏「お義兄さんほどじゃないですよ^^!お義兄さんのも見せてくださいよぉ^^。」
頭中将「あははは、俺のは読む価値のない女ばっかりだよ^^。」
頭中将「でもな、完全な女なんていないって気づいたよ。乳母日傘で育って、身分が高くて顔がきれいという女だって、そうでない女だって同じだよ。何一つ才能がないし・・・まぁ、そうは言っても女にも上中下があるからな。」
光源氏「女性で、ひとつも才能もない人なんているんですかぁ!それに上中下ってどんなランク付けなんですか。いろんな境遇でそんなの変わっちゃうでしょ!」
頭中将「まぁ、そんなにごちゃごちゃ言わないでも^^。女が高貴なところに生まれちゃうとすべての欠点が消えてしまうこともあるでしょ^^!」
そこに左馬頭と藤式部丞がやってきます^^!
左馬頭と藤式部丞「なんの話をしていたんですかぁ~~^^。」
頭中将「どこかにいい女がいないかってね^^」
左馬頭「あははは、お二人のような貴公子にはそんな女いるわけないじゃないですか^^!
家柄もよく綺麗で性格もいい女を捜すんでしょ^^。私なんかの身分でもそう見つからないものですよ。だから、身分や器量なんてどうでもいいです。偏った性格でなく素直であれば^^」
藤式部「それって中流ってこと?」
左馬頭「そうだね。中流が一番だね。地方の県知事の娘とかのほうが、いい女がいるもんだよ^^。」
光源氏(心の中)「そっか、中流の女か~!(メモメモ^^)」
ここから昔の女の話が本格化します。
左馬頭「昔、とんでもない不細工な愛人がいましてね、少しは一緒になろうなって考えたこともあったんですが、でもね、この女、器量が悪いって知っているから、私になんでもしてくれるんですよ^^。私のためにここまでしてくれるかって思うくらい愛してくれて。それが疎ましくなって。そしたら指を噛まれた~~!
だから頭にきて、<手をおりて 相見しことを 数ふれば これ一つやは 君がうきふし・・・・(貴女との生活を振り返ってみて、指を噛まれることが一番イヤなことだった)>を詠って彼女を捨てました。彼女は<憂き節を こころ一つに 数へきて こや君が手を 別るべきをり・・・(今まで貴方の仕打ちに耐えてきました、でも、これでもう終わりなんですね)>と泣き出しましたがね。本当は別れる気はなかったのですが、しばらくしたら彼女は嘆いて死んだそうです。そんな思いで死んでいった彼女に冗談は言えないですけど。」
左馬頭「もう一人の女は、風流でちょっといい女でした^^。琴が上手くてね^^。そこそこの家柄と才女で、世話噛み付き女が飽きるとそっちに行っていたんですが、相手をしない間に同僚と出来ちゃって^^、それを口実に別れちゃいました。二人の女を比べると、風流な男好きの女には気をつけることですよ^^。」
頭中将「私の女は・・常夏の女で・・・。父親がいなくて、私だけに頼らなければと思っている女でね、でも、可憐な女で^^。そんな女だから、私の妻の家からの嫌がらせもあって、それは可哀想なことをしたと。私との間に子供もいて。いろいろ悩んだと思うよ。そしたら、女から手紙が来てね。」
光源氏「それは、どんな手紙でした?」
頭中将「大した手紙じゃなかったよ^^。<山がつの 垣は荒るとも をりをりに 哀れはかけよ 撫子の露・・・(山家の垣根は荒れていても時々は かわいがってやってください撫子の花を)>と書いてあってね。私のことはいいから、子供には可愛がってくださいね、だって。参っちゃったよ^^!!」
光源氏「それから、どうなったんですか!」
頭中将「歌を返したよ。<咲きまじる 花は何れと わかねども なほ常夏に しくものぞなき・・・(どんな花が咲き乱れても どれもが美しいかもしれないけど それでも私は唯ひとつ 子供よりも常夏の お前が好きなんだよ。)、ってね。撫子が娘なら、常夏は床を一緒にする意味の女と例えたのさ^^。女は何も言わずにそっと泣いてたよ。それからしばらくして私の前から消えてしまって。それから撫子と詠んだ子供も可愛かったので探したけど、未だに手掛かりはなくって。」
頭中将 「左馬ちゃんの二人の女も、私の女も良いところだけ取って、悪いところを捨てれば、でも、そんな女は何処を探してもいないし、もし居たとしてもそれはそれで、吉祥天女のような仏法臭い女になってしまう^^!
次は、式部丞!面白い話を^^。」
式部丞「えっ、下の下の身分の私に面白い話なんかありませんよ。強いて話すなら、教養のあり過ぎる元妻のことぐらいですかね。私が学生時代だったんですが、漢文の先生の娘で、とにかく教養をひけらかして。手紙もすべて女のくせに漢文なんですよ。かなは一字もなしで。まあ、学生の身の私はありがたかったんですけど。でも、寝物語も漢文で^^。 疲れ果てました^^。だから、しばらく通わなくて、数日経って言ったら、部屋に仕切りを作っていて、私は風邪で薬草の韮(にら)を食べたから臭いのよ、だからここから中に入らないでって言われて、素直にそれじゃぁって帰ろうとすると、韮の匂いがなくなったときに来てねと。そしたら走ってきて、<逢ふことの 夜をし隔てぬ 中ならば ひるまも何か 眩ゆからまし・・・(毎日逢っていたなら、韮の匂いなんて何でもないでしょうに)>と厭味な手紙を渡されて^^。もう、三史五経の学問を始終引き出されてはたまりませんよ。そのくせ社会常識には疎い。そんなに学問をわざわざしなくても、社会常識を身につけてほしいですね。」
頭中将「へぇ~~~面白い話があるもんだね。さぁて、最後は光ちゃんだよ~~^^!」
そのとき、光源氏は、原文には
『君は、人一人の御ありさまを、心の中に思ひつづけたまふ。「 これに足らず
またさし過ぎたることなく ものしたまひけるかな」と、ありがたきにも、いとど胸ふたがる。』
と、あります。
「源氏は心の中でただただ一人の想いの女性のことで心が溢れていました。あの愛しい藤壼の宮は、足りない点もなく、才気の見えすぎる方でもなく、そてつもなく素晴らしき女性だとうなずきながらも、その人を思う気持ちで胸が苦しみでいっぱいになった。」
のです^^!!
この4人の話は、筋脈絡もなしに朝まで続きましたとさ^^!!
=====雨夜の品定め 終わり~~~~~~~~^^!!
この雨夜の品定めで、今までセレブの中のセレブ女性としか、夜を一緒にしなかった光源氏は、中流という女性に異常に興味を示します^^。
なによりも、この頭中将の愛人であった「常夏」にも興味を持つことがなったでしょうね。
「常夏」、この女性は光源氏の前に「夕顔」となって現れます^^!!
「第三帖 空蝉」と「第四帖 夕顔」は、「雨夜の品定め」の続編として、「帚木三帖」と呼ばれているものです。
皆さんが、彼氏や彼女のデートで源氏物語の話が出たとき、光源氏の関係のあった13人とこの「雨夜の品定め」さえ覚えておけば、もう安心ですよ~~^^!!(おいおい^^、ほんまかいな^^)!!!
でも、デートで「源氏物語」の話がメインなんてないですよね^^!!
「第二帖 帚木」は「光源氏17歳 夏」と多くの書物に出てきます。他の帖にも光源氏の歳が書いてあります。私も、ここで光源氏の歳を記してきましたけど、光源氏の歳は、その多くは推定なんです。
それぞれの帖に歳が書かれている書を見ますが、「源氏物語」には歳は、そんなに書かれてないんですよ^^。
最初に、「第一帖 桐壺」で、「十二にて御元服したまふ」と書かれた後、次に光源氏の年齢がわかるのは第一部の一番最後の「第三十三帖 藤裏葉」の「明けむ年、四十になりたまふ」という場所なんです。
すべて、「藤裏葉」の帖から逆算をしているに過ぎないんですよっ^^。
さて、ここでやっと「藤壺」から、やっと2人目の女性に話が進みます^^!!
「空蝉」でぇ~~す^^!!
空蝉との出会いは、「雨夜の品定め」の翌日です^^!!
この空蝉の出会いが「帚木」の主題に通じるのです^^。
「おいおい^^、その翌日かよ~~~^^!!」って、言いたくなっちゃいますよね^^。
翌日、久しぶりに妻のいる左大臣家を訪れた源氏は、その夜、方違え(帰る方向が悪いと方角を変えてどこかに一泊をすることです)のため紀伊守の別宅に行き、そこで伊予の介という老人の若い後妻「空蝉」と出会います。
光源氏は、みんなが寝静まったあと、その閨に忍び込みますが、空蝉は意外な抵抗を見せます。でも、若い光源氏に勝てるわけがありません。犯されてしまいました。そのあとも光源氏は若妻の身体を求めて言い寄りますが、拒み続けられます。光源氏は、そこで「自分を拒否する初めての女性」を知ることになるんです^^!!
本当は、空蝉は、光源氏が好きで好きでたまらなかったのですが、背も低く見栄えもあまり良くなく、なによりも身分が不相応であることを理由に逃げ回ったのです。
光源氏は、逃げ回る空蝉に歌を詠みます。
「帚木の こころをしらで 園原の
道にあやなく まどひぬるかな」と。
(帚木の木は、遠くから見るとあることは間違いないのに、近くにいくと見えなくなってしまう、そんな冷たいあなたに、帚木の木を探して迷ってしまったよ)
これに対して空蝉は、
「数ならぬ 伏し屋に生ふる 名の憂(う)さに
あるにもあらず 消ゆる帚木」と返します。
(粗末の所に生えている帚木のような身分のあばら家に住んでいる私には、あなたのような高貴な方とお付き合いできるはずもありません。ただただ消えるのみです)
涙涙ですよね^^!
ここで、「第二帖 帚木」も終わりとなります。
「源氏物語(3)」も終わりとなります^^(おいおい^^)!!
「源氏物語(4)」は、どうして空蝉が空蝉と呼ばれるようになったか、そして、そのあとに出てくる夕顔、そして夕顔の呪われ死と、「第三帖 空蝉」「第四帖 夕顔」と話を進めていきますね^^!!
お楽しみに~~~~~~~~~^^!!