風 俗 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

皆さんも、一度ならず入ったことがあるのでしょう。

 混浴風呂

私も経験がありますが、忘れられないのは青森の八甲田山系に位置し、よく積雪の多さでニュースに登場する、日本最古の国民温泉・〝酸ヶ湯温泉〟。

中でも千人風呂は有名ですが、ここは入口が男女別で中は混浴。

 

    


それを内緒で女房を連れて行って、「じゃあ、後で」 と別々に入り、湯船にやってきた彼女に

「あれ、何でお前ここにいるの?」

「それはこっちのセリフょ。 なんでアンタがここにいるの!?」

「だって、ここ混浴だもん。」

それを聞いた瞬間、叫び声をあげて脱衣所に逃げ帰った彼女を見て腹を抱えた笑った私が、後できっちりお仕置きされたのは言うまでもありません。
あせあせ

まぁそれはともかく、この混浴は銭湯が大衆化した江戸時代には当たり前の風習でした。

ところがその銭湯では垢すりや髪すきのサービスを湯女(ゆな)にさせる銭湯が登場し、やがて売春行為に発展したため、松平定信が風紀の乱れを是正すべく〝寛政の改革〟で混浴を禁止。(1791年)

その後も何度か禁止令が出されたのですが、それでも混浴はしぶとく生き残りました。

そしてこの習慣が、ある歴史上の人物を大いに驚かせました。

それは黒船で日本にやってきた、あのペリー提督

 

        

 

彼が記した 『日本遠征記』 には、

「男女とも赤裸々な裸体を何とも思わず、互いに入り乱れて混浴しているのを見ると、住民の道徳心に疑いを挟まざるを得ない。

他の東洋国民に比べ道徳心が遥かに優れているにも関わらず、淫蕩な人民である。」

と、挿絵入りで記しています。(↓)


    

 

昼日中に公衆の面前で平気でキスする彼らに淫蕩などと言われる筋合いはないですが、これも民族性の違いなんでしょう。

ペリーにそう指摘されたから・・・と言うわけではないでしょうが、明治維新直後の今からちょうど150年前の今日・1869(明治2)年2月19日、東京府が男女混浴の禁止令を公布。

そして明治末期には、全国的に男女混浴が禁止になったとか。

現在も
厚生労働省が出している公衆浴場や旅館業における衛生等管理要領では、浴室・更衣室は男女で分けるよう指導され、概ね10歳以上の子供を混浴させないこと、とされています。

 

(※子供の年齢については、各自治体の公衆浴場条例によって6~9歳と制限に差があります。)
 

では、なぜ前述の酸ヶ湯温泉など全国に混浴風呂が現存するのか?
それはそれらの法律が出来る前から存在していた故の経過措置。

ですから一旦混浴を止めてしまうと、復活できないのです。

日本全国に現存する混浴風呂には、今後も頑張って営業を続けてもらいたいものですネ。


では最後に質問。

貴方は、混浴風呂に入りたいですか?

私は、風呂は1人でゆっくり入りたいので、パスしますけど。
あせあせ ホントカ?

 

 

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