昨日のジョージアに関する記事をツイッターにアップしたところ、即座にティムラズ・レジャバ駐日ジョージア臨時大使代理がリツイートしてくれました。
ちょっと驚きましたが、これもネット時代ならではの出来事ですネ。(↓)
https://twitter.com/TeimurazLezhava/status/1218770680881152000
さて。今でこそ海外旅行はご家族で気軽に行けるレジャーとして定着していますが、1ドル=360円という超円安時代には、そうそう簡単には行けませんでした。
私たち庶民にその海外旅行を身近にしてくれたのが、
ジャルパック
JALPAK
いわゆるパッケージ・ツアーの草分けです。
この画期的商品の発売開始が、今から55年前の今日・1965年1月20日のことでした。
第1回会員募集の新聞広告
戦後著しい経済復興を成し遂げつつあった日本は、外貨獲得高が急成長。
1964年・東京五輪の年に海外渡航制限が解除されたことを受けて、日本航空が航空券やホテルまで一括で予約し、日本語の話せる添乗員と共に海外へ出るというパッケージツアー・全7コースがIATA(国際航空運送協会)加盟旅行代理店47社を通じて全国一斉発売されたのです。
そしてジャルパック第1号として1965年4月に出発したのは、ヨーロッパ16日間コース・・・当時の価格で675,000円。
当時大卒の初任給が約2万円、サラリーマンの年収が約45万円という時代の675,000円は、現在の貨幣価値に換算すると約700万円!
まさに高嶺の花・・・私が子供の頃は、鶴のマークが入ったバッグを肩にかけて飛行機に乗るのが憧れでしたが、長野の田舎者にとっては東京に行くのでさえ大騒ぎ、残念ながら海外旅行なんて夢のまた夢。
とは言え、この年海外(※返還前の沖縄を含む)に出た日本人は20万人いたそうですから、ジャルパックはまさに海外旅行の先鞭をつけたと言えましょう。
かつて保険会社勤務時代に 『ハワイアン・オープン観戦&ゴルフツアー』 を企画した私・・・地元旅行社に協力してもらったとはいえ、ツアーの手配は大変でした。(↓)
それに比べれば予め行程が決まっているパッケージツアーは、パスポートさえ取得すれば誰でも単に参加でき、添乗員も同行しますから初心者でも安心して旅行できるメリットがあります。
もっとも、行きたくもないお土産屋に連れて行かれたり、日程がタイトでゆっくりマイペースで観光できないのが欠点ですけどネ。
ジャルパックによって日本人の海外旅行客は飛躍的に増えましたが、一昔前の団体旅行客は〝農協ツアー〟などと海外でバカにされた時期がありました。
海外の慣習を知らない人々が、パンチ一丁でホテルの廊下に出たり、キーを持たずに部屋の外に出て戻れなくなったり、風呂場を水浸しにしたり、洋風トイレの使い方が分からずに便座の上に乗ってしゃがんだり ・・・今なら考えられない珍プレーの数々。
海外旅行初心者を引率する添乗員さん、さぞ大変だったでしょうネ。
そんな苦労話や珍談・奇談を、こんな本で楽しませてもらったことも。
『添乗員騒動記 世界の果てまでお供します』
(岡崎大五・著 角川文庫・刊)
「旅行が大好きだから」 という理由で旅行会社に就職して希望通り添乗員になれたものの、数年後にストレス過多で退職してしまった知人がいましたが・・・その苛酷な仕事ぶりをこの本で知れば、とても旅行好きなだけでは勤まらないことが良く分かります。
成田空港で旅行客から吊し上げられている添乗員を過去2、3人目撃したことがありますが、只でさえ自分勝手な日本人が増えている昨今、ますます厳しい仕事になっているのかも。
〝旅は恥のかき捨て〟・・・これが死語になる日は、果たしていつやってくるのやら?