私のような昭和世代の方なら、彼女が出演するドラマをご覧になった記憶があるはず。
今日は、お茶の間で〝日本のお母さん〟と言われ愛された女優、
京塚 昌子 さん
1930(昭和5)年、東京に生まれた京塚(本名・平塚マサ子)さんは、高校卒業後 『劇団新派』に入団。
東芝日曜劇場 『カミさんと私』 に出演し、人気を博します。
そして何といっても彼女のイメージが確立したのは、1968年から72年にかけてTBSで放送されたドラマ 『肝っ玉かあさん』 でしょう。
平均視聴率で30%以上を叩き出したというオバケ番組でしたが、我が家でも毎週のように家族揃って観ていた記憶があります。
ストーリーは全く憶えていませんが、ありふれた日常をドラマ化したという感じだったでしょうか。
ブラウン管の向こうで演じられている家族の姿が、
「あぁ、ウチと同じだ!」
というような、ある種の共感・安心感を視聴者に与えたことが、お茶の間の高い支持を得たのかもしれません。
「割烹着姿が最も良く似合う」 と言われた京塚さんは、まさに日本のお母さんのイメージそのもの。
ポッチャリした体型に安心感が漂ってました。
しかし、元々京塚さんは痩せ型だったそうで、20代の頃受けた盲腸の手術で体質が変わってから、急に太り始めたとか。
ご本人はそれを大変気にしていたそうで、あるドラマで共演した当時子役だった杉田かおるさんがお腹の肉をつまんだことに大激怒。
結局杉田さんが降板させられた、なんてこともあったそうな。
どんなに売れっ子になっても、いくつになっても変わらないのは乙女心?
その後も 『ありがとう』 などの人気ドラマやCMに数多く出演。
しかし糖尿病を患ってからはテレビ出演から遠ざかり、1994(平成6)年9月23日・・・心不全により64歳で天に召されました。
台所に立って肉じゃがを作っている肝っ玉母さんをイメージしながら、京塚さんのご冥福をお祈り致します。