56年録音。ソロモンのベートーヴェン、ピアノソナタ選集。ここでは「ワルトシュタインソナタ」を挙げます。あらえびすの『名曲決定盤』のソロモンの項は「未来の人・忘れられた人」として扱われ、「技巧の冴えは驚嘆されている」としてチャイコフスキーの協奏曲と、リストのハンガリー狂詩曲が挙げられていました。SPという制約から、採り上げられる曲目は限定されているとはいえ、このイギリスのピアニストに充てられた頁は少なく、ソロモンの名前を特別なものとしているベートーヴェンはまだありません。イギリスのベートーヴェン。とはいえクララ・シューマンの弟子ヴェルンに学び、10代でデビューした神童(ロンドンでのデビューはチャイコフスキー)。その後、パリではマルセル・デュプレとラザール・レヴィに学ぶ。つまり、ヨーロッパで音楽的下地がつくられたのでした。その中核ともいえるベートーヴェン録音も不遇が続きます。56年脳梗塞による右手の薬指、小指が自由に動かなくなる。キャリアの中断により18曲にとどまり未完となりました。それがソロモンを「幻のピアニスト」としてしまいましたが、幻の扱いは、今日にも及びます。国内盤も出ていますが、扱いは小さくディスクも潤沢に出ているわけではないのです。

 

吉田秀和の評論でも「芸術は長く、人生は短い」として、レコードとして残るものと、キャリアの中断からソロモンが取り上げられています。そこにはヨーロッパでの扱いと、日本での扱いの違いなどがつづられます。「私の考えでは、二十世紀の代表的ピアニストの一人であり、特にベートーヴェン奏者としては、ごく少数のトップ・クラスにしか数え入れようもない音楽家である。それが、日本ではまったくといっても良いほどに評価されていない」。ホロヴィッツ来日を「ひびの入った骨董品」、エッシェンバッハのショパン「前奏曲」を「黒の詩集」、グルダ、グールド評価などと綴ってきたこの評者のソロモン評もまた特筆すべきものとなっています。日本での評価、たとえばケンプは日本で愛された演奏家でした。人間性といった演奏の側面。ソロモンは時に冷たいとされ、その客観性、怜悧といったところは楽曲に即したものとはいえ、理解されにくいところでした。強奏に向かう楽曲の構成原理。ときに、前のめりになることさえあるシュナーベルの演奏は深い。ソロモンではたとえ強奏でも、濁らず明晰なスタイルを貫きます。あえていえば、ベートーヴェンの真意を霊的なところまでえぐったシュナーベルに対し、知的な展開をソロモンは示します。そのシュナーベルもロマンに彩られたところから、主情を配し、作品と客観的に向き合うところから出立したのでした。それは、演奏の変遷だけではなく、聞こえ方の変化でもあります。それは今日ソロモンを聞くと、吉田秀和評のうちにあった質実剛健というものより、品位と同時に人間性をも浮かび上がってくるものと思います。

 

強奏も、楽曲全体に置いたときに、定量や数値としてあらわされるものではありません。演奏行為のうちに、音のない休止部分にさえ、構成原理が反映します。そこには奏者の考えもそのまま反映し、客観といっても主体を欠いた演奏はありえません。ベートーヴェンとしても、中期の典型的な音楽です。そのピアノソナタの創作は楽器の進化の途上をとどめることになりました。ワルトシュタインこそ、そのベートーヴェンにピアノを与えた一人。ボン時代の作曲家はまだ将来の可能性しか見出せませんでした。ウィーン進出前に「ハイドンの手からモーツァルトの魂を受けたまえ」。円熟にあったもっともベートーヴェン的な作品の一つ。ソロモンを幻のままとどめておくのは惜しい録音です。

 

 

 


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