74年、ストコフスキー92歳の録音となった最晩年のブラームス録音。第4交響曲は唯一のステレオ録音となりました。管弦楽はニュー・フィルハーモニア管弦楽団。ブラームスの交響曲を全集という形で残したのはストコフスキーの20年代後半から30年代前半にかけての録音にはじまります。きわめて広範なレパートリーを持っていたストコフスキー。印象的なものは管弦楽の機能を生かした音響にあり、それは今日的な管弦楽の配置によってもたらされました。録音という方法を積極的に活用し、時には演出をも加える。機械吹込み式の時代には大編成である管弦楽の集音には不向きなものでしたが、音の缶詰ではなく、そこから聞こえる音に最大限、配慮するという点ではレコード芸術の太祖ともいうべき位置を占めていました。ヴァイオリンに、オルガンといった楽器を学んだストコフスキー。たとえばバッハのトランスクリプションでは「トッカータとフーガ ニ短調」があり、シャコンヌなどの独奏曲も管弦楽に移しています。展覧会の絵も独自の編曲があり、こうした響きへの介入と手腕が、演奏にも反映しているのでした。ストコフスキー節ともいうべきもの。それはストコフスキーに限らずとも、往年の巨匠たちにも共通したものでした。トスカニーニはトスカーニの響きを確認でき、フルトヴェングラーにもフルトヴェングラー節がある。1882年生まれという点ではクレンペラーよりも3つ上でしたし、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、ライナー、E.クライバーといった人たちにもわずかに先行します。録音が難しいとされたグレの歌をはじめ20世紀作品の紹介者でもあり、アメリカ初演や、初録音といった類もきわめて多く、それは音楽的理解と実力の上に成り立っていましたが、巨匠というよりは管弦楽の色彩を引き出す魔術師。厳格な作品では際物扱いされることもありました。音響的な興趣、それでも音楽を媒介を通し伝えるのもエンターティナー的な資質であり、それは生涯を通じて貫徹されました。

 

90歳を超えたブラームスも枯れた老人のそれではなく、端正なフォルムをもっていてシューマンほどではないにしろ色彩が混合的なブラームス作品にさえも色彩を感じさせます。ブラームスが存命中のその友人たちも3楽章の外面的効果を批難しました。第1、4楽章が大作。第2楽章は小規模ですが枯淡の表情、第4楽章がパッサカリアとなっていて、すでに古い音楽への志向がある作品。古い録音ですが、フォルムの明瞭は作品を一気に収束させ、ここでは第3楽章も外面的なものとはしません。作品には諦念が反映されている、悲劇的な色調があるといったものも文学的な修辞であり、解決は音楽的です。端正を通したカラヤンの晩年には、やはり晩年の様式がありました。メディアに音楽を広めたストコフスキーは、その先駆であったかもしれませんが、100歳になっても活動を続けるつもりもりであったストコフスキーの在り方は人間としても驚異的。

 

 

 


人気ブログランキング