70年代に結成されたシュレーダーを中心とするエステルハージ弦楽四重奏団。時代楽器によるはじめてのモーツァルト、弦楽四重奏曲、ハイドンセットの6曲全曲です。79~80年の録音。エステルハージの名前がハイドンが楽長として仕えた名家に由来します。ハイドンによって確立された四重奏を、時代をしぼったところから厳選し、能う限り当時の様式に近づける試み。ホグウッドのモーツァルトの交響曲全集は78~85年に制作されました。モーツァルトの時代当時、交響曲の番号に大きな意味はなく、分野も発達の途上にありました。ハフナー・セレナードをはじめ、機会音楽との境界も曖昧で、ホグウッドは学究の成果をいれながら偽作も含め71曲という拡大されたところからとっています。その傍らにはヴァイオリンのシュレーダーがありました。たとえばモーツァルト時代のピアノ(クラヴィーア)も発達途上の楽器であり、音域も狭ければ、鍵盤も現代のものに比べて半分ほどしか沈まない。タッチも軽いもので、そうした楽器の性能は音楽の表現にも影響を与えています。クラリネット協奏曲の前提となった楽器が現在のものと違うように、新しい動きに敏感で常に知識を摂取していたモーツァルトは当然、新しい響きを引き出すことも常に追求していたのでした。モーツァルトのピアノ演奏を聴いたベートーヴェンがツェルニーに語ったという「ポツポツと音を刻むようでレガートではなかった」。それは、当時の再現がそのまま現代人に届くことの難しさの問題をも提起しています。弦楽器の場合はまずビブラートに顕著です。父モーツァルトの「神の欲するところだけにつかうべき」は戒めとしても、感情過多なロマンの時代を経て、ビブラートは通常のものとなりました。モーツァルトもベートーヴェンも当時としては時代の先端にありました。とくにモーツァルトの時代にはフリーランスの音楽家は自立しにくい状況。その中で職人としては時代の好みに対応していました。時代を経て、最先端の音楽ではなく、古い音楽を専門として演奏するようになるのは特殊な状況です。レコードという形で演奏が残る弦楽四重奏演奏も時代の好みに合わせて変性していました。

 

エステルハージ四重奏団の提起は、正しさの標榜ではありません。使用楽器、奏法、ピッチの選択、いくつもの要素があり、正解は見出しにくく、また、それが為されたところで現代人の耳に届くとは限らない。古楽器の演奏とは、そういった要素をできうる限りに検証しながら現代人の耳に届ける行為です。扱う音楽は「心より出て、心に向かう」もの。モダンの演奏が、楽器の性能を引き出し、美しさを追求していったように、時代楽器という楽器の性能を引き出すことにも留意しています。モーツァルトのピアノがレガート主体でなかったのは、おもに楽器によるものですが、弦楽器の場合も同様のことがありました。当時は長いフレーズ把握は行われず、ダイナミクスを主体に表現されていました。音量も現在のものよりも小さく、大きなホールで演奏されることもない。演奏される場もそういものでした。モダンに馴染んだ耳には違和感をも醸すものですが、その多くは慣れの問題でもあります。その素朴もまた心打つもの。好評をもって迎えられた演奏でした。ハイドンの成果を受けてのモーツァルトの探求も、おもに作曲家としての衝動にかられてのものでした。セットという形もハイドンにならったものです。

 

 


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