88年録音。ドヴォルザークのスラヴ舞曲集。マゼール指揮のベルリン・フィルのものです。地域、民族性を強く意識させる作品は50年のスプラフォン、ターリヒの録音にはじまり、ノイマンやコシュラーといった演奏に溢れるのは色彩感です。リズムは伸縮し、独特の躍動感をもたらすのは本場の正当を強く意識させるものです。ドヴォルザークの交響曲はすでに国際的なレパートリーとして定着しています。チェコの演奏という本場だけでのものではなく、ドイツ系の指揮者たちはブラームスに連なる楽曲の形式の構築性を引き出してきました。スラヴ舞曲集の生まれた経緯もブラームスに連なるものです。ハンガリー舞曲集で成功を収めていたブラームス。つながりのあった楽譜出版のジムロック社が、同様のものを当て込んでの依頼から生まれたのでした。ピアノ連弾として書かれ、次いで管弦楽編が行われた点も同じです。ブラームスはハンガリー舞曲集を第1、3、10番と3曲のみを自身で管弦楽編としましたが、シンフォニストとしてはブラームス以上のものがあったドヴォルザークは第1集、第2集と8曲ずつ16曲をすべて自身で管弦楽編としました。今日、とり上げられるのはほとんどが管弦楽版です。第1集と第2集の間には8年の開きがあります。多忙という事情もありましたが、第1集のもの以上のものとしたいという創作意欲から第2集も生まれることになりました。地域性を感じさせることはもちろんですが、この舞曲も交響曲を演奏する指揮者たちがとり上げてきた曲目でもあります。チェコを離れたクーベリック。50年代にウィーン・フィルと録音したものもありますが、70年代のバイエルン放送響の録音は楽曲を聖なる舞曲としながらも交響的な興趣を引き出したものでした。そこには民族性以上に、管弦楽の魅力が引き立ち、何より作曲者自身が全編の管弦楽編としたことでアルバム全体の統一感が出てきます。モーツァルト、ベートーヴェン演奏で知られたセルは、ドヴォルザーク演奏では、鄙びたものをも拾い出していました。そのスラヴ舞曲演奏も、国際的なものではありますが、交響的な性格が強く出ています。

 

マゼール盤もこうした国際的な性格に裏打ちされたものですが、ベルリン・フィルという機能を生かした一頭地抜けた快演で知られます。異常な熱気と、ドイツのオーケストラとしては珍しい曲種。このときレコードとしては同楽団のはじめての録音となりました。ウィーンフィルのポストを追われ、ベルリン・フィルのシェフとなることを信じてやまなかった時期。この突き抜けた感覚と外連味は管弦楽のサポートを得ていますが全編みなぎるものはマゼールの個性です。実演と録音の間にも多いなる差異があるマゼール。ときにみせる録音での異様さは、才人であることを感じさせつつエキセントリックなもの。強い押し出しがあります。

 

 


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