ベロフのピアノ、マズア指揮のゲヴァントハウス管弦楽団。プロコフィエフの協奏曲の全集です。ヘブライの主題による序曲、束の間の幻影を併録。協奏曲は74年の録音。フランス音楽、とくにメシアンのスペシャリストとして登場したベロフの現代的な感覚にあふれる協奏曲録音です。67年の第1回となったメシアン国際ピアノ・コンクールでの優勝。EMIとの契約が成った70年代。とくにドビュッシーの録音が有名です。ドビュッシーの音楽を20世紀、あるいは現代に連なる音楽としてみるとき。ドビュッシーのもたらしたものの余波はメシアンの音楽にも及び、ドビュッシーはフランス独自の感性で調性から離れる試みを行い新しい音楽への道を拓いたものです。ベロフがドビュッシーを弾くときも、いわゆるヴェールをかぶった雰囲気的な演奏とは異なります。バロック期、しばし室内楽は楽器の指定がありませんでした。そこには音色という概念がまだ希薄なものであったという理由があげられます。楽器の発達とともに作曲家は作品とともに前提となる音色を想定して作品をつくるようになっていきます。ドビュッシーの音楽では、すでにペダルの使用や、音色も作品の前提となっています。ベロフの演奏は明晰で曖昧さを残さないものですが、そこには鋭利なだけではない音色があります。それが現代的な方向からドビュッシーの音楽を捉えても解析的なものとはなっていないところ。とくにベロフの70年代は若きピアニストの新しい感覚の演奏という印象が強いものでした。そのベロフがフランス音楽以外で共感を感じさせていたのがプロコフィエフとバルトーク。ともにピアニスト=作曲家でもあり、そこには奏法という音楽と切り離せない難易度も加わっています。ポリーニにストラヴィンスキーのペトルーシュカ、プロコフィエフのソナタ第7番などを収めた一枚がありますが、それはポリーニの卓越した技巧披露としての盤でもあります。ベロフにも同趣向の一枚があり、卓越した技術披露という外面的効果にも対応しうることを示すものでした。80年代の右手の故障前、プロコフィエフの協奏曲という高い技術への対応の上、新しい感覚をもたらせたセットなのです。

 

いわゆる打楽器的奏法云々はともかく、プロコフィエフの音楽ならではの抒情。プロコフィエフ自身のピアノでの演奏は、モダンで先鋭すぎときに聴衆を煙にまくところがありました。鉄と鋼といった形容や、その筋肉、手といった描写も伝説的ですが、プレヴィンをはじめ抒情に注視する人も多い。ピアノ協奏曲は5曲すべてがロシア復帰前の作品です。とくに第3番が有名ですが、その前2作は学生時代の作品です。野心的な作風は、やはり当時の枠に収まるものではなく論議を巻き起こしました。才気の発散もまたプロコフィエフの一面。第2協奏曲では、ディレッタントであったディアギレフがその才能をかぎ取りました。70年代のベロフの才気もまたこのセットに結実しています。

 

 


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