イェフィム・ブロンフマンのピアノ、サロネン指揮のロスアンジェルス・フィルハーモニー。バルトークのピアノ協奏曲3曲の全曲。94年(第2番-93年)の録音です。97年にグラミー賞を受賞。58年、旧ソ連ウズベク、タシケントに生まれたロシア系イスラエル人。アメリカの国籍も取得。ジュリアードではフィルクスニー、フライシャー、ルドルフ・ゼルキンに学んだピアニストは打楽器的ピアノの活用とされるバルトーク作品を現代的な視点から解いています。サロネンもまたブロンフマンと同年の生まれ、フィンランド出身で作曲も為すサロネンの視点にもストラヴィンスキー、バルトークといった20世紀音楽の多くが入っています。ロスフィルという現代の機能的なオーケストラもこうした曲種で効果を発揮します。ときに狂暴なまでの響きを奏でることもあるバルトーク作品から、強力であるのに加え、リリシズムさえ垣間見える演奏となっています。こうした演奏で聞くと、バルトークも現代の先鋭というより、20世紀の古典という面持ちになります。かつてのハンガリー系の指揮者たち、フリッチャイはアンダと、セルはルドルフ・ゼルキンとの間に録音していました。それより下るとショルティはアシュケナージと、I・フィッシャーがコチシュ、シフとハンガリーの二人の間に録音しています。コチシュのものでは弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽から、ピアノと管弦楽のためのラプソディ、作品2のスケルツォといったものも含めています。ハンガリーのピアニストにとって、バルトーク作品は特別で、管弦楽の配置にこだわったり、ヨーロッパ系の音楽の伝統といったバルトークの音楽が生まれた出自から解いていきます。バルトークがコダーイとともに採集した民謡は、その音楽の生命力に連なるようになりました。ストラヴィンスキーと並んでのリズムを活用した独自の語法の開拓。そして、バルトークも国を追われてアメリカへと移ります。第3協奏曲は、45年、3曲中唯一のアメリカでの作品。病はバルトークをむしばみ、最後の17小節を完成させることができませんでした。

 

バルトークは潔癖でアメリカでの生活は困窮し、聴衆も前衛には無理解なものでした。支援を差し伸べたのが、ハンガリー出身者とメニューインをはじめとしたユダヤ系。ハンガリー系の出身の指揮者がアメリカの多くの機能美を鍛え、音楽をダイナミズムでとらえ、すぐれた録音技術で音響的にも優秀なレコードを制作してきました。ブロンフマンはバルトークのヴァイオリン・ソナタでスターンとの共演。ミンツとの間にも共演を果たし、独奏でもプロコフィエフのソナタ全曲や、協奏曲といったモダンが並びます。アメリカという新興国では、これらは20世紀に革新をもたらした音楽。スリリングな演奏で一気に聞かせます。

 

 


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