現在では広く聞かれるようになったニールセンの交響曲。全集についても多く制作されています。かつてはニールセンといえば第4交響曲のことを指しました。不滅と付された帯は重厚で、内容も重厚で堅固なもの。「運命」「悲愴」といった帯に付されたものと印象が直結するようなものだったのです。実際のタイトル Det Uudslukkelige は「不滅」ではなく「滅ぼし得ざるもの」。今日では、原題がとりあげられることの方が稀なものとなりました。バーンスタインの「不滅」が録音されたのも70年と、このニールセンといえば「不滅」といった時代の録音です。多調生が採用され、調性は起債されていない。作品も1916年と、すでに20世紀音楽です。表現主義の時代にあって交響曲という分野は終息しつつありました。作品はベートーヴェンに連なる器楽形式の最大のもの、鳴り響く形式としての交響曲の典型といったものとなっています。プラトンの示したイデアは「真の姿」や「原型」を語源としていますが、ニールセン作品もまた交響的分野の典型的な作品なのです。20世紀音楽は、交響曲にもさまざまなものを持ち込むようになりました。自ら作曲も為したバーンスタインの場合は、声楽や、ピアノなどの導入です。長大な演奏時間、編成といったものに対して、多調ということから、急進的な書法にかかわらず保守的な内容として響きます。デンマークとう中欧にあっては辺境にある地。フィンランドのシベリウスもまたそうでしたが、器楽形式としての交響的なものとして、作品構造が追求されました。遅れてきた地としてロマン的なものをも多分に残しています。ニールセンは洗練を嫌い、「不滅」もまた抽象的な楽音だけが表現できる抽象的な音楽です。
バーンスタインは黎明期からのニールセンの伝道師でした。シベリウスも全集としてとりあげることも珍しかった時代にとりあげ、ニールセンの交響曲も4曲録音しています。NYPの寒い国の作品、シベリウスの交響曲第2番、ショスタコーヴィチの交響曲第5番などと並び、この期のバーンスタインは熱情がありながら、全体は引き締まったストイックなものをもっています。たとえば、シベリウスの第2交響曲の後年の濃厚な色彩の録音とは対照的です。バルビローリ、マルケヴィチ、マルティノンといった「不滅」「の時代から、ブロムシュテット、ヤルヴィ父、息子の二代の全集へと移ると、バーンスタインの熱さは特異なものですが、これこそがバーンスタイン。多くの目をニールセンに向けることとなった契機となった共感の深さはすぐに理解されます。
 


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