「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの随想:「天気の子」を観て

2019年07月28日 | 時事随想

 関東地方の梅雨明けも間近となりました。台風6号(ナーリー)が過ぎれば、例年よりも遅い梅雨明けとなるでしょう。7月21日(日)、教室では夏期講習がスタートする前日、新海誠監督の話題作「天気の子」を、小5の娘と観に行きました。メガヒットした「君の名は」の影響もあり、多くの方が関心を寄せている作品です。



 
どういった理由かは語られていませんが、高1の夏に離島の自宅から家出して東京にやってきた帆高。ある事情を抱えて、弟と二人で暮らす陽菜。その二人の出会いから物語は展開していきます。陽菜は、「祈る」ことで空を晴れにできる不思議な能力を持っています。その能力を使って、晴れを希望する人たちの願いを叶えて利益を得る仕事を始めます。

 しかし、その能力使用の代償として、陽菜の身体は次第に薄く透明になっていきます。最終的に人柱として彼女が犠牲になることで、雨が降り続く異常気象が収まるという伝承のとおり、陽菜の身体は地上から消えてしまいます。陽菜が人柱となったことで天候は回復し、2か月ぶりの晴天が東京を照らすようになります。

 
陽菜がその能力を得たというビルの屋上に設置された神社の鳥居を帆高はくぐり、はるか上空へとワープし、積乱雲の上に囚われていた陽菜を救い出すことに成功します。2人が地上に戻ると元通りの豪雨が東京を覆い、それから止むことなく3年降り続き、東京を水没させます。

 
社会の幸福を願って、自分を犠牲にするという主題の映画が多い中で、「天気の子」は自分たちの幸福を優先して、社会の不幸に目をつぶるという決断を、二人は天空で人知れずします。家庭や社会からドロップアウトした二人が、自分たちの幸福を願って行動するのは当然なのかもしれません。



 青春の淡い恋心、緻密に描かれた背景、幾重にも織りなされた物語、至るところに散りばめられたサプライズ、新海誠監督らしい映画でしたが、どうも主題が私に語りかけてくる力が希薄なように感じました。監督自身が、この映画を制作するに当たり、最も重圧を感じていただろうことは想像に難くありません。ジブリ映画のような世界的かつ世代を超えて影響を与える主題の力強さと比較すると、イマイチと言った印象を受けます。新海誠監督には、そこを乗り越えて進化してほしいと思います。

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