グリーン車と1等車
現在はグリーン車という言い方をしていますが、今から50年近く前の1969年5月の運賃改定で従来の2等級制を廃止して、運賃を1本化するとともに旧の1等車は特別車両としての使用料金を徴収する方式に変更したのでした。
それ以前は、2等運賃の約2倍が1等料金と定められていました。
計算上も面倒であったことや実質的な値下げ(長距離ではかなり安くなった)こともあり、昭和44年5月から昭和45年3月までのグリーン車乗車人員を前年同期の旧1等車乗車人員と比較すると1240万人に対して1600万人となり29%増加した。
と国鉄の監査報告書では書かれています。
等級制が廃止されて。運賃のみのシンプルな構成になった運賃表示
これに、更に特別車両料金が付加される計算方式となり窓口事務の簡素化も図られることになりました。
さて、当時のグリーン車と呼ばれた車両はどのような車両だったのでしょうか?
1等車と呼ばれた車両のシート,種類は?
まず、グリーン車料金が、普通列車用と特急・急行等の優等列車用に分けられていました。
準急行という種別は昭和43年には急行に統合されていましたので準急行のグリーン車料金は設定されていません。
普通列車用・・・・・・回転クロスシート(サロ110・サロ111)
特急・急行用・・・・・リクライニングシート
国鉄151系2等車車内
画像引用 Wikipedia(特急電車のリクライニングシートは、他の客車や気動車と異なっていました。また、シートラジオが試行されたのも151系でした。)
サロ110は、旧サロ153の113系併結改造されたもの
と分類されており、昭和30年代まではリクライニングシート車は特ロ(特別2等車、昭和35年7月以降は特別1等車)それ以外の車両は並ロ(2等車、昭和35年7月以降は1等車)と呼ばれていた車両であり、回転シート以外に、転換クロスシートも並ロとして扱われていました。
JR西日本の221系以降の転換クロス装備車は並ロ扱いですね。笑
所得水準の向上と連動して向上して変化したサービス
グリーン車が導入された背景には、国民全体の所得向上と富裕者層の鉄道離れがありました。
昭和30年代、鉄道が陸上輸送の主たる地位を占めていた国鉄も飛行機の出現で、航空機に一部の利用者が奪われ始めます。
すなわち、1等寝台車の利用が激減することとなったのです。
当時は政策的に飛行機の運賃は高く設定されていてある意味手厚い保護がなされていたのですが、それでも運賃値上げなどで、飛行機の運賃よりも1等寝台車を利用すると飛行機よりも高くなるという逆転現象が生じました。
そこで、昭和32年には1等寝台車が2等寝台車に格下げ(この時旧1等寝台車の個室をA室とし、開放室をB室。従来の冷房が無い2等寝台車をC室としました。古い時刻表などで1等寝台でA・B・Cという表現があるのはそのためです。)
今回の1等車を廃止して2等車にしたのもそうした意味で時代の要請であったと言えましょう。
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日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代
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それ以前は、2等運賃の約2倍が1等料金と定められていました。
計算上も面倒であったことや実質的な値下げ(長距離ではかなり安くなった)こともあり、昭和44年5月から昭和45年3月までのグリーン車乗車人員を前年同期の旧1等車乗車人員と比較すると1240万人に対して1600万人となり29%増加した。
と国鉄の監査報告書では書かれています。
等級制が廃止されて。運賃のみのシンプルな構成になった運賃表示
これに、更に特別車両料金が付加される計算方式となり窓口事務の簡素化も図られることになりました。
さて、当時のグリーン車と呼ばれた車両はどのような車両だったのでしょうか?
1等車と呼ばれた車両のシート,種類は?
まず、グリーン車料金が、普通列車用と特急・急行等の優等列車用に分けられていました。
準急行という種別は昭和43年には急行に統合されていましたので準急行のグリーン車料金は設定されていません。
普通列車用・・・・・・回転クロスシート(サロ110・サロ111)
特急・急行用・・・・・リクライニングシート
国鉄151系2等車車内
画像引用 Wikipedia(特急電車のリクライニングシートは、他の客車や気動車と異なっていました。また、シートラジオが試行されたのも151系でした。)
サロ110は、旧サロ153の113系併結改造されたもの
と分類されており、昭和30年代まではリクライニングシート車は特ロ(特別2等車、昭和35年7月以降は特別1等車)それ以外の車両は並ロ(2等車、昭和35年7月以降は1等車)と呼ばれていた車両であり、回転シート以外に、転換クロスシートも並ロとして扱われていました。
JR西日本の221系以降の転換クロス装備車は並ロ扱いですね。笑
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グリーン車が導入された背景には、国民全体の所得向上と富裕者層の鉄道離れがありました。
昭和30年代、鉄道が陸上輸送の主たる地位を占めていた国鉄も飛行機の出現で、航空機に一部の利用者が奪われ始めます。
すなわち、1等寝台車の利用が激減することとなったのです。
当時は政策的に飛行機の運賃は高く設定されていてある意味手厚い保護がなされていたのですが、それでも運賃値上げなどで、飛行機の運賃よりも1等寝台車を利用すると飛行機よりも高くなるという逆転現象が生じました。
そこで、昭和32年には1等寝台車が2等寝台車に格下げ(この時旧1等寝台車の個室をA室とし、開放室をB室。従来の冷房が無い2等寝台車をC室としました。古い時刻表などで1等寝台でA・B・Cという表現があるのはそのためです。)
今回の1等車を廃止して2等車にしたのもそうした意味で時代の要請であったと言えましょう。
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