国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

紀勢本線を走った夜行列車のお話 第19話

2019-04-27 08:29:19 | 国鉄思いで夜話
おはようございます、更新が遅れ気味ですが、昭和59年の紀勢本線旅客列車の変遷と言うことでご覧いただこうと思います。
本日用意したのは、昭和59年1月の時刻表と、12月号を用意してみました。
夏場の時刻表がないのですが、紀勢本線の季節による旅客流動の差が大きいことがわかります。
国鉄は改革のさなかにあり、地方ローカル線の廃止などが行われる反面、「サロンエクスプレス東京」や「サロンカーなにわ」に代表されるジョイフルトレインと呼ばれる客車列車が各管理局で誕生して、臨時列車に投入されて積極的な増収活動などが行われていました。

国鉄では、2月1日に貨物輸送の大幅な改変が行われヤード系輸送が全廃され、操車場と言われた貨車の仕訳施設は、小型の2軸貨車と呼ばれる一般貨車共々その役割を終えることとなり、機能を停止した操車場に留置されることとなりました
現在ビッグホエールや、ビッグ愛と呼ばれる建物が建つ付近は国鉄時代には和歌山操駅と呼ばれた地域であり、和歌山駅【東和歌山】駅他の貨物設備を集約して設置された貨物駅でした。
現在ビック愛があった付近とその駐車場が貨物の仕訳場であり、検修設備があり貨車の修理などが行われていました。

現在のビック愛やビックホエールが建つあたりには,このように貨物駅が広がっていました。

さて、そのような前置きはこのくらいとして、早速当時の時刻表を参照してみますと、「急行きのくに」と「特急くろしお」の二本立てであることに変わりはないのですが、意外に少なく感じます。


数えてみますと、特急は、季節臨3本、定期列車9本、急行は、季節臨3本、定期列車4本となっています。
さらに、夜行列車924列車の後続で走っていた急行列車も無くなり、かなり寂しく感じるのですが、元々季節波動が大きい路線ですので、まあこんなものかもしれないですね。




さらに、この2月1日の改正では、寝台列車の連結が中止され、それに伴い「はやたま」の愛称も消えています、時刻表を参照しますと、移り変わりダイヤで1月31日の天王寺発の「はやたま」から寝台車が連結されない旨が記されています。


この改正で、今までの旧型客車から12系客車に置き換えられることになりました。



ということで、夏場のダイヤは見えないので割愛しますが、12月の時刻表見ますと、年末年始ということで、一転して多くの臨時列車が運転されていることが判ります。
さて、昭和59年12月の時代とは?ということで見てみますと、
山手線のATC化が行われたほか、0系新幹線のスピードアップ 210km/h→220km/h運転に向けての試験が12月7日~12/18にかけて実施されたと記されています。
参考:国鉄があった時代

さて、紀勢本線の時刻表を見てみますと、1月号では運転されていなかった夜行急行列車が「きのくに62号」として運転されているのが目立ちます、ただし、以前のように殿を務める列車ではなく、旧臨時「はやたま」を踏襲したダイヤのようで、10分前に出発するものの、後発の924レと7分しか変わりません。




というか、普通列車の方が3分追い上げている計算になります。
ただし、昼行列車はかなり臨時列車の本数が増えており、特急は季節臨・臨時列車合わせて6本、定期列車は9本となり、急行は、季節臨・臨時列車合わせて5本、定期列車は4本となっており、特急シフトとは言え、急行列車も残され選択肢は残されていることが判ります。


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