45.day of Memories アカンバまーちゃんの人生


45.day of Memories アカンバまーちゃんの人生



艦隊では通常の勤務はつまらないので、俺はすぐに特艇員を希望した。

つまりカッターの要員だ。

滅多に演習はなく競う物も少ない中で、特艇員は朝から晩まで訓練のチャンスが多く、キツイけど俺は日常の勤務はあまりに退屈すぎて耐えられなかったのだ。

まぁ、しかし予想以上に訓練は厳しく、俺は手の皮は両手とも500円玉ぐらい肉まで剥けるし、ケツも同じくベロっと剥けるし、それでしばらく休めるなと思って翌日は班長に包帯で巻いた手を見せ、”班長、手もケツもやられてます”、と見せると、班長は、”開けてみろ”、と言うので包帯を解き、血の滲む500円玉程に剥けた手を両手を揃えて見せると、班長はすぐに持っていたムチでピシッと叩いたのだ。



それはそれは無茶苦茶猛烈に痛くて、俺はウッと唸って肩をすぼめると、班長は、”中山死んだか”、と聞くので、”生きてます”、と答えると、戦場では生きてりゃ戦うしかないなと言うのだ。

そして、”乗れ”、と言うと、俺に指定の場所を指差したので俺は指定の場所に座った。

勿論座る時もケツは猛烈に痛み、ウッと唸り死ぬ思いで座ったのだが、恐る恐るあのデカイオールをそっと握ったが又ウッと痛みに堪えていると、班長がスタートのベルを吹いた。

あの重いオールを死ぬ思いの痛みで血の滲む手で漕いだら、もう痛みがドッと頭の先から足の先まで全身を取り巻いたのだった。



20分も漕いでいると血か、汗か、波しぶきか知らんがヌルヌルツルツルするしで握力が限界を突破する寸前で俺は必死に漕いでいた。

波を切るあのデカイオールを持つ手には、もう持つ力も残り少ないと言うかもう限界を越えていたが、もう俺には何も考える力もなく、ただ体を夢中で使い続けていた。

やっと艦まで戻って来た時は手の痛さもケツの痛さも忘れ、ただどっと疲労が襲って来ただけだった。

班長が、”中山生きているか”、と聞いたので、俺は、”生きています”、と答えた。

不思議なもので数日で手の傷もケツも治っていたのだ。



それ以来俺は傷は治るから、大して治療しなくなったのだ。

要は思い込みで人間の体はかなり左右されるってわけで、大変と思えば大変になるし、どうって事ないと思えばそうなるもんだと分かったわけだ。

実際傷に厳しく辛い思いをさせ続けたら、いつの間にか短期間で治ったのは事実であり得ない事が起こったのだ。

要はじっとしているか暴れ回るか、兎に角傷や病に負けない覚悟が大切ってことだ。

特艇員は演習の時も、終わると港がまだ見えないうちから船から吊り下ろされて自力で港に帰って来なければならず、低気圧で海が猛烈に荒れ、風も波もうねっている時も艦を下されるし、それはそれは無茶苦茶な訓練が待っていたのだ。



毎朝の体操と腕立て腹筋は300回400回はさせられたし、つまり100、200なんてちょろいもんで、腹筋も6つに割れていい体になったもんで、もう少々の事ではビビらなくなっていた。

俺は或る日キッチンで床下に食用の保管庫がある事を知り、ある夜偲んでキッチンへ行き保管庫の扉を開け地下室へと入ってみた。

そこにはチョコレートからケーキなども各種のお菓子やらハムやらご馳走の宝庫だった。

つまり尉官クラスにはこういうご馳走も振る舞われるわけだった。



俺はそれの中からチョコレートなど目ぼしい奴をこっそりと持ち帰り、ベッドの下に隠して親しい奴数人に分けた。

みんなそれはそれは大喜びでパクリついたものだ。

何せ艦の中ではお菓子なんて一切なかったので、街に出たときに食うだけだったのだ。

そして日曜日には班長にも、お菓子を色々と子供へのプレゼントにと持たすと班長は大喜びで、”中山ありがとうな”、と喜色満面だった。

親しい奴らは当然俺がどこかキッチンの中から盗んでいるとは分かっていたが、毎日1つや2つはお世話になるので、その喜びの方がずっと大事だったってことで、班長も毎週日曜日にはお土産があるので大喜びで、その入手については何も問われなかったのだ。



ま、俺は調達係だったが、艦のお偉いさんとコック共は特権で食ってる奴だし、それを俺が俺たちの分け前としていただくのに何の躊躇もなかったのだ。

大嫌いなお勉強はしないでいいし、体が鍛えられるし、俺は特艇員として食事は5割増しだし、夜中にデザートのお菓子はあるし、まぁ俺にとって海上自衛隊は天国だった。

それにしても自信過剰で腕相撲はちょっと負けないぞと思っていたわけだが、艦では特艇員の班長ともう1人めちゃくちゃタフな奴がいて、あのデカイオールを漕いで折るぐらいのパワーがあるのだ。

これはテコが波だから動くので、簡単に折れるもんじゃない。

握力、腕力、腰腹、腿、脛、兎に角体全体のパワーが揃わないとあのオールは折れないな。

奴らは特別だが、ま、俺たちも特別な短艇員ってわけだ。

いつもパワーが満ち溢れていたな。



2020年 7月12日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…

https://kamosan.ti-da.net/e10459057.html



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