覚醒とは。 | ノラ家の日常・非日常

覚醒とは。

 

 

こんばんは、ノラドラです。

いつも読んでくださり、温かい応援をありがとうございます。

 

「みんなも?」の続きです。

 

バースト!」のSさんや前記事の人々は

特別感受性の高い人だからそういうことになっているのではないか、

と思うかもしれませんが、

もとから自覚のあったSさん以外は、

まさか自分がそうなるとは思わなかった、という人々ばかりです。

 

そして、私も本人も、なにも意図していなかったのです。

(私は後半になにかしようとはしていません)

 

 

実際、9月以降、それまでなにも感じなかった方にも

いろいろ起こってきてるんです。

 

 

えーっと…

 

 

一体化(粒子化)できるのは

相手の方もそうなっているからなのです。

 

そうなったときは、私が見ているビジョンと

その方が見ているビジョンは非常に近く、

同じではなくてもかなりシンクロしています。

 

 

逆に、別になにもない、「ふつう」のときも(眩しいだけのときも

自分がちょっとビジョンを見ているときも)

その方がどういうふうな状態かわかります。

 

信頼度合いもわかります(笑)

 

施術が良かったか悪かったかなんて聞かなくてもわかります。

 

 

最初はね、やっぱり緊張があるので

(緊張=怖れなので)ガードがかかってます。

 

また、初回や、回が浅いと思考が止まらない方もいます。

回を重ねて、ついに思考が止まると、

光や景色などなんらかのビジョンを見るようになってます。

 

思考している状態というのは自我がバリバリですから、

すごくガードがかかってるんです。

 

 

 

9月のある日の施術で

 

「あらら…」と思う思考状態の脳を感じ、

すごく珍しかったので聞いてみました。

(ごめんね、どこのだれかわからないから描かせてね)

 

 

最初思いだされなかったけど

「あー、」

 

なるほどー

ものすごくぐちゃぐちゃした

思考状態の(残像が残る)脳だったので。

 

思わず「合ってないよ~^^;」ってお伝えしました。

 

その方はすごく良識的で謙虚で良い方なんです。

でも最初は思考優位で交感神経優位でガチガチでした。

(今から思えば過剰適応かな)

 

 

思考優位、交感神経優位というのは、

宇宙と調和する在り方と反対で、

個として「孤立」する在り方なんです。

病気の方はもれなくそうなってます。

 

自然とか宇宙とかに対して開かれていない、閉じている、

ゆえに受信機、受容器としてはいまいちなのです。

 

 

でも、その方は4回目くらいかな?突然開きました。

私にとってもまさかの突然さでした。

 

このとき、ちょうどお遊びで「判定。」をし始めたときだったので、

私も、この方、宇宙由来の魂だとわかったのですが

ご本人もビジョンを見てわかったそうです。

 

 

それまでなにもおっしゃらない落ち着いた方だったけど

そんな記憶があったのネと逆に驚くわたくし。

 

それ以来、その方、本当に定まって強くなられました。

 

 

実はお相手の方がいろいろなものを見られますが

どんなビジョンが見えたかは、

(自分が光の洪水を見たり、

宇宙を見たりするのもそうですが)

さほど気にしないのです。

 

その方の前世やルーツに関係あるかもしれないしないかもしれない。

(おそらく関係あると思いますが)

 

要は施術中そういうビジョンが見える状態というのは

私から感じられるのは我の手を離して信頼し受動的になったときだけなんです。

そのとき、それまで自我で制限していたエネルギーが

気持ちよーく、ふんだんに入ります。

(いろんな段階はありますけどね)

 

(ちなみに、自分から「神秘体験をしたい」と思って瞑想するのは

隙があって微妙に危ないこともあると思ってます。

我の手を離して結果的にそうなったのと、

それを目的にするのはちょっと違うので。

自分が「すごくなりたい」「すごい体験をしたい」というのは危ないと思う。

神秘は「目的化」しないほうがいい。)

 

話を戻しますが

施術中に見た内容は、そのときその人が見たもので、

素直に受け取り、分析せず、こだわらず、「ああそうか」でOK。

 

 

 

大事なのは在り方がどうなったかだけ。

 

見違えるほど落ち着き、軸がしっかりして、晴れやかになって、

どっしりと安定されたってことが大事^^

すごく怖れが減る。

 

そういう意味では

よかったのか悪かったのかははっきりしているんです。

なんというのか…

「内的確信」というものが存在を落ち着かせるというのはあります。

 

そう、本当に「内的確信」なんです。

 

 

余談ですが

この方はまさに幼稚園のお母さん方の人間関係で悩まれてたそうで

ここまで追い込まれなかったら私に連絡をとらなかったそうです。 

だから今では追い込んでくださった方々に感謝しているとのことでした。

(11月の記事「ひとりじゃないよ」の方とシンクロしてますね)

 

 

 

お越しになるときは、みんなものすごく調子が悪いからお越しになっていて
「もうだめだ」と思って来られているので 
そこから逆転ホームランのようなことが起こるのを結構見ます。
 
この人、確か、前、すごく調子悪かったよな…というのも忘れてしまうほど
もう別人です。
 
「出会い」というのは本当にうまくはからわれていると思うし
 「苦難」というのはチャンスなんだと思います。
「苦難」は本当の自分を思い出させる触媒なんですね。
 だから、苦難が来たら革命祭りですよー^^
 
「覚醒する」というのは、
前世や自分の正体を思いだすという意味(だけ)ではなく、
自我の手を離したときに宇宙とか大いなるものと繋がった体験をして
「もともと繋がった存在だった」ということを思い出すことではないかと思うのです。
 
それで、結果的に具体的に思いだしたりもするんでしょうね。
それは一番いいタイミングで起こるまでは
あえて封印されて守られているんだなあと思ったりもします。
 
そして「覚醒する」ことと「不調が治る」ということは
私にとってはかなり同じです。
 
 

他にも最近どんどん展開が早くなって秋から「覚醒祭り」のようになってます。

 
 
とりとめがなくなってきたので

今日はこのへんにします。

 

 

ーつづくー

 

本当に言いたいことはまだ1回あるので

コメント欄は閉じておきますね。

 

 

いつも応援ありがとうございます。ご縁のある方につながりますように。

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