日露戦争に勝てたのは小学6年生の女子のおかげ!! | 長袖が半袖に見えるほど腕、伸ばしたい!!世界初の驚異の腕伸びブログ。読めばあなたの腕が、あと50センチ、グングン伸びる!!

日露戦争に勝てたのは小学6年生の女子のおかげ!!

 
ボクは小池都知事じゃダメだと思うよ。無責任すぎる。おとついの 感染拡大要警戒 のあの言い方。あれ、カンカンカンカンバンサンカン の節で言ったでしょ? 歌うように カン・セン・カク・ダイ・ヨウ・ケイ・カイ って。ふざけすぎ。まじめにやって。じゃその裏に隠されたメッセージは、、、焼き肉焼いても家焼くな ってこと? それはそれで大事だが、いまじゃない。いまはコロナ。
 
 
 
これ、読んでた。360人もの元工女の老婆を取材!! 力作!! 
 
日清戦争に勝ったのも、日露戦争に勝ったのも、奇跡でも大和魂のおかげでもなかった。国力。戦艦が揃ってたの。いや、揃えたの。揃えなきゃ負けるから。じゃ、そのお金、戦艦代は誰が払ったの、どこから調達したの?
 
その答えが製糸。生糸こそ明治日本の最大の輸出品だったのだ。外貨を稼ぎに稼いだ。それを作っていたのが女工。しかも下は12歳からよ。12歳っつたら小学6年生よ。日露戦争に勝てたのは小学6年生の女子のおかげ!!
 
 
いまいちど、この表紙をルックルック。雪道歩いてるでしょ? なんで? 工場が諏訪湖のあたりに集中してたの。そこへ、岐阜の高山から工女が動員されるの。当時はまだ高山本線などない時代。徒歩で。
 
ずーっと働かされてやっと、お正月におうちに帰れるの。稼ぎに稼いだお金をもって凱旋帰宅。お父さん、お母さん、会いたい。みんなまだティーンネイジャー、まだまだねんね。いまだったらタピオカとか飲みたいお年頃。
 
時代がほのぼのしてた頃は11月の末くらいに帰れたんだと、でも資本の理論が入ってくると、企業側もビジネスですから、そこはギリギリ年末まで働かせたい、だから帰京の時期が豪雪期とマッチングー。
 
で、雪山を死の行進で帰ることに、、、ああ、野麦峠。じゃ、貴重な目撃談をみてみましょう。
 
 
>オレはあのころ木曾へ「流しの稼ぎ」(筏流し職人)に出ていたが、暮れに帰る時、野麦峠まで来たら大荒れの峠を越えていく工女衆に会った。何百、何千という工女がお互いに体をひもや帯で結んで、大きな声で励まし合い、念仏を唱えながら峠を越えていくのをみた。
 
 
念仏!!
 
もっと楽しい歌はないのか(ジングルベルとか)? 否、楽しい歌など歌ってる場合じゃないのだ。命懸けなのだ!!
 
で、製糸工場賃金台帳 ってのが巻末資料4についてるのだが、それによりますとトップの工女の名前が牛切トメさん、そしておつぎが江馬トウさん。これがツートップ。やっぱ名は体を表す。牛とか馬とか馬力のありそうな名前の人が、よく働いていた模様。いや、ほんとおもしろネームだけ抜粋したんじゃない証に本文引用。
 
 
>まず「糸目」という欄に注目されたい。それによると一番多い岐阜県大野郡久々野の牛切トメは一年間に一七貫二七四匁。高山町の江馬トウは一六貫七〇三匁の糸をひいているのに、たった二貫匁、三貫匁というものが相当数いる。(P123)
 
 
この 江馬トウ さんが199ページでもう一回登場するのだ。
 
明治42年の第二製糸の工女賃金台帳、、、ここには工女の借金額までばっちり記されているのだ。
 
 
>これでみると、借金の多い者は、高山町江馬トウ四十一円五十三銭、江馬エイ三十一円四十銭、江馬ユウ二十七円七十五銭、この三姉妹の合計百円六十八銭を、
 
 
なんと借金女王でもあったとゆー。しかも三姉妹で。
 

 

 

文庫が1988年の本だったんですけど、当時の 角川文庫名作100 のしおりがそのまんま挟まってた。時代はわたせせいぞう。

 

 

いまも100選とかあるけどちゃらちゃらしてるでしょ。88年頃はまだ時代の良心が残ってた模様。渋いセレクション。夏目漱石が15冊も入ってる。

 

 

読者プレゼントがミニコンポ(ソニーリバティ)。写ってないけどC賞はディスクマン。CDがそのまんま再生できる夢のウォークマン。

 

 

このしおりも当時もの。つぼ八 全国に433店舗。洒落たヨーロッパスタイルの小粋な居酒屋。