東福寺 洗玉澗の青紅葉 

 

 昨日10月23日に初めて42.195キロを走った。コースは気ままに選んだ京都市を南北に縦断するコースで、伏見区の鴨川と桂川が合流するあたりから洛北の宝ヶ池までの往復。時間は5時間19分18秒だった(ナイキのスマホアプリによる)。


 木枯らし一号が吹き風が強い一日だった。
 鴨川を土手沿いに走り七条、四条、三条大橋を越え、出町柳からは高野川沿いを行った。
最初はこのあたりまでと目論んでいたのだが、意外と調子がよかったのでそのままピッチを刻んだ。


 山が近づいてくる。五山の送り火のひとつ「妙法」の文字をいただく松ヶ崎の山だ。「狐坂」の急坂が控えている。ここが山場だなと気合を込めた。身体を前傾させ難所を切り抜ける。京都国際会議場が奥に見える宝ヶ池の端を回りきったところで20キロだった。身体の芯はしゃんとしていた。まだまだ行けると自信をもった。


 復路は観光地を行くことにした。川沿いは単調な景色が続き飽きる。視界に変化をつけることで意識が分散する。景色の移ろいは重要なポイントだ。一人マラソンではなおさら。
 北白川通りを行き黒谷から岡崎へ。動物園から平安神宮の前を駆け抜ける。道は知恩院、八坂神社へと続く。石段前は人出で膨らんでいた。東大路通りも高台寺へ向かう道はひどい混雑ぶり。清水寺への坂も人でいっぱいだ。


 左右の脚の付根が痛む。階段を上るとふくらはぎや太ももの筋肉がつっぱって脚が曲がらない。足の裏もずきずきしてきた。このあたりで30キロだった。もう止めようか。十分じゃないか。いやここで止めたら積み重ねて来た30キロはどうなる? 走り続けるということは走ってきた距離に対する執着心なのだろう。残り10キロちょいという根比べへの挑戦と言い換えてもいいかも知れない。3時間半あまり我慢してきた神経が生むバネなのかも知れない。簡単に諦めてもいいのか。


 人の間を縫うように走りそのまま南下。東福寺へ向かう。まだ紅葉には早い名所・洗玉澗の景観を目にして次は伏見稲荷大社へ。鳥居前はすごい人の数。屋台の前も人だかり。
 国道24号線を宇治方面へ向かって進む。観月橋に至り右折、宇治川を左にみながら走った。


 さっきから脚があがらない。地面を擦るように走っている。
 「走行距離41キロを超えました」の音声がウエストポーチに入れておいたスマホから聞こえた。ランニングアプリだ。「もうちょっとだ」と腹に力を込めるが脚は一向に進まない。ずっと前から膝はほとんど上がっていない。棒のように突っ張っている。何時間も走っているせいなのか身体が自然と前に出る。身体の中に弾みがある感じだ。これが惰性というものなのか。奇妙なことだ。


 アスファルトの染みやモノの陰を数え、時間をかせぐ。気持ちがしんどい。これまで残り何キロの引き算だったが、ここから感覚が逆転する。足し算をしていた。時間を積算していた。数を数えているうちに前に進む。これは時間とイコールだ。その分、進んでいるのだ。催眠術にかかったようだった。そう止まりさえしなければ、7分ほどを足せば終わるのだ。


 やがて聞こえた「42キロを超えました」の音声が。スマホ取り出し、画面をにらむ。42.195キロを超えたことを確認すると拳を握りしめた。そこをゴールと定めたスタート地点の東高瀬川にかかる大信寺橋までたどり着いたとき、距離は42.38キロを指していた。


 アプリはナイキのやつで走行距離と時間、平均ペースやピッチを記録し音声で知らせてくれる。消費カロリーも計測してくれる。
 平均ペースは1キロ7分32秒で目論んでいた7分を大幅に超えていた。これはあまり重要ではない。今日は走りきることが目標だったのだ。


 ちなみに消費カロリーだが今日のランニングで2,672キロカロリーだった。
 下記のサイトでは、体重別、負荷別にカロリー消費量が紹介されている。ちなみに体重61キロ(小生の今)の人がランニングしたケースもわかる。時速8キロで走ったら5時間1分ほどで2,572キロカロリー消費すると出た。今回5時間20分かかってフルマラソンを走った。時速約8キロだった。2,672の値は大きく差はない。
 一番短時間で同程度のカロリーを消費するのは水泳のバラフライで2時間54分と出た。時速4キロぐらいでゆったり歩く場合では16時間以上かかる。距離は64キロと稼ぐが食事や眠る時間を考慮すると一日では終わらない計算になる。

 https://funcity.work/diet/info/calorie/2572kcal/burn

 

 またどれぐらい食べたら2600キロカロリーぐらいになるのか調べてみたら牛フィレ肉で19.8人前(1人前100g130キロカロリー)、ごはんだと4.9合分と出た
(卵で28個、ラーメンで5杯半、天丼で4人前)。
 男性で一日2200キロカロリープラスαだというから5時間のマラソンで一日分のエネルギーを使い果たしていたのだ。
 夕飯に鉄板焼きを食べ、お肉もご飯もやたらと進んだのは、身体が欲していたせいだったのだ。
https://funcity.work/diet/info/calorie/2572kcal/intake-meal


 服装は短パンにTシャツ、その上から黒のウインドブレーカーを来ていたが両袖とも真っ白になっていた。汗が乾いて塩を吹いていたのだ。すれ違う人が目つきを変えたり眉をひそめる人もいた理由がわかった。「汚い格好でどないしはったん?」か「ずいぶん走って来たのね」のいずれかだろう。コロナ明けで賑わった観光地へ門外漢のおやじランナーが飛び込んできたのだ。無理もない。
 靴はナイキのエアズーム・ペガサスだが踵は左右とも底が剥げてしまっていた。半年ほどしか履いていないがクッションも弱りかけている。今年1月から今日まで1,090キロ走っている。そろそろ買い替えか。 

 

↑三条大橋の景観 

↑京都国際会議場を奥にみる洛北・宝ヶ池


北山通りに架かる高野川北泉橋から望む

(高野川の桜)

 

30キロチャレンジ

 

【コース】

 今日はチャレンジデーということで30キロ走った。

京都は洛南の、いつもの鴨川と桂川の合流点から一路洛北の北大路通りを往復。

 

【スタート】

 20キロは2時間15分前後で走れるようになってきた。気持ちもスタミナもそこそこ余裕をもってフィニッシュできている。20キロ近くになるとバテバテになっていた2月初め頃と明らかに差が出てきた。体力がついてきた感じがしていた。

 10時過ぎにスタート。キロ6分45秒くらいを意識してピッチを刻む。明るい陽射しに輝く川面。花のあるところには人出。眩しそうに見上げるその表情まで明るく見えた。

四条大橋の手前あたりで10キロ。1時間7分42秒。悪くない。しんどくもないし脚に痛みもない。

 

【フォーム】 

 マラソンに出ようと練習を始めた頃フォームを意識しすぎて身体に力が入り気持ちもしんどかった。

 2週間ほど前10キロ走ったときだ。そんなにがんばらないぞとのんびり走った。太ももの裏を意識して、頭のてっぺんを意識してとか教則本に書かれていることは頭の隅に追いやった。

 ぼちぼち走っているつもりでもキロ7分は切っていた。5キロ過ぎたら6分30秒に。

 力まないでいることのほうが大事なんだな、そんな風にマラソンを理解した。姿勢としては腕を後ろに振ることだけを意識するようにした。自然と胸が前に出る。三つも四っつも意識できない。なにかおかしいなと思ったら腕の振り方だけを注意したらよい。ひとつだけというのは気持ちの上で楽だ。

 

【桜並木】

 賀茂大橋に差し掛かる。ここで給水。自販機で小さめのポカリを買い飲む。300mlなどあっと今に飲み干した。ゴミ箱を探すのに手間取り時間をロス。

 賀茂川と高野川の合流点。高野川に道を取る。長い桜並木が青空に映える。学生時代ここでよく寝そべったものだ。お昼前。大勢の花見客。シートを広げお弁当を食べている。大人数、カップル、家族連れ、お年寄りのグループ、お母さんにおにぎりを食べさせてもらっているベビーカーの中の子供。缶ビールに焼き鳥を頬張る家族連れも…。

 

【折返し】

 北大路通りの高野橋にタッチして折り返す。スタミナの方はまだまだ大丈夫。

 陽射しがつよくなってきた。暑い。四条大橋まで帰ってきて20キロまでの10キロは1時間7分55秒。最初の10キロと大きな差はない。でもまあここからだ。くたびれて来る前にもう一度給水。水分補給が大事だ。タイミングよく飲めば筋肉が生き返る。七条大橋近くの自販機で再びポカリ。500mlしかなかったので飲み切れない。飲みながら走る。飲み終えたが捨てるところがない。しょうがないからパンツのお尻側に挟んで走る。

 スマホのNIKEアプリはキロのラップを音声で教えてくれる。23キロ過ぎから7分を少し越えた。腕を振りもう一度戻す。25キロ。さすがにスピードが落ちてきた。でもまだ気力はある。脚を動かしていさえすれば終わるのだと言い聞かせる。

 最後の二キロはバテバテ。7分30秒台に落ちた。腹も減りなにか食いたい食いたいと思いながら走った。ラーメンか蕎麦か中華かなあ。などなど料理が目に浮かぶ・・・。そんなことを考えているうちに30キロが近づいてきた。

30キロ 3時間26分36秒

伏見のランドマーク 松本酒造の佇まい 今日のスタート

 

 宇治川左岸からみる伏見山 ぽつんとした小さなでっぱりが伏見桃山城(むかしキャッスルランドがありましたね)

 

 2月23日(火祝) 
 【淀川マラソン中止】
 宇治川河川敷を8キロ走った。一昨日鴨川沿いを三条大橋までの往復20キロを走ったあとだったので無理はしないでおこうと思った。
 ほぼ3週間前の1月31日、宇治川大橋からみえる河川敷は一面の葦の群生だった。そこに重機が入り刈り取りの最中。重機が通ったあとはまるでバリカンを入れたようなあとがくっきりと残っていた。この日に橋を渡っていくとほとんど「丸坊主」になっていしまっていた。季節は動いている。

 

丸坊主となった葦の原(宇治川大橋から)

 

 3月21日に予定されていた淀川マラソンがコロナで中止になった。ハーフをエントリーしていた。フルマラソンに出るひとつの通過点にしようと意気込んでいた大会だった。3月の終わりにもうひと大会あるが異動の時期とも重なっていて判断が難しい。
 仕方がない。
 個人の計測で走ったハーフと公式に完走証明がもらえるハーフとではやはり値打ちが違う。ハーフはフルへの通過儀礼だとしても、ちゃんと大会に出場したという記録が欲しかった。残念。
 

【腸脛靭帯炎】
 先週はろくに走れなかった。
 右膝を痛めていた。
 膝は複雑な仕組みでできている。太腿は付け根から外側に沿って伸びる長い筋肉があって膝で接合しており、腸脛靭帯(ちょうけいじんたい)という筋肉を形成している。膝の外側に小さなでっぱりがある。膝を動かすと腸脛靭帯とこの骨のでっぱりとで摩擦を起こす。
 これがひどくなると神経痛のような痛みを引き起こす。腸脛靭帯炎という。これに罹っていた。
 2月13日に京都御苑を2周(8キロ)したあとピリピリ来て、階段の上り下りすらできなくなってしまった。
 この靭帯炎、水平歩行は大丈夫という一風変わった障害。膝と太腿に力を入れさえしなければ痛みは来ない。来るのは階段の上り下りのときだけだが、日曜日は家から一歩も出られず、翌日から会社に出たが階段は左足一本で上がるという体たらく。
テーピングをして出社し、夜はマッサージと湿布。なんとか水曜日には痛みがとれ、木、金曜日は階段も普通に上り下りできるようになった。
 筋肉が硬い人が罹りやすいそうだ。ストレッチとマッサージなどのケアも怠るべからずとネット検索で出ていた。
 土曜日に3キロほど走ってみた。
 なんともなかった。
 骨と筋肉の摩擦が原因で筋肉に炎症を起こす病気というかケガ。考えてみたら余計なことをしていた。本格的にトレーニングを開始して2か月、膝が痛いわけでもないのに用心してサポーターを両膝につけて走っていた。走っているうちに窮屈を感じていた。しめつけられている感じがあった。

 これが膝に悪さをしていたのでは。
 やめたらいいんじゃないのかな。サポーターなしで走ったらどうなるかな。

 九条大橋(その向こうはJR奈良線の鉄橋)

 

【無事走りきれた】
 で、21日ゆっくりと20キロ走った。
 いつもの羽束師橋から三条大橋までの鴨川沿いの往復。
 おそるおそる。ぴりっと来たらやめようと思った。
 どうもなかった。
 姿勢と腰の位置(腰の位置は高く)、そして足が接地する位置(身体の真下)を意識して。これらは正しいフォーム作りの必須項目。もうひとつはハムストリングと大殿筋(お尻)を使うこと。

 膝が痛むとは膝が身体の前に出すぎているからだと思い、身体の後ろの筋肉を使うことを意識した。つまりふくらはぎからハムストリングとお尻だ。
 やっているうちに少しお尻にハリのようなものが来た。あれこれ試したがどうやらコツは前傾姿勢を保つことのようだ。脚の後ろの筋肉で押しだすようなイメージ。
 ゆるゆると洛中を目指した。橋をひとつずつ数え五条から四条大橋をくぐり、三条大橋の橋脚にタッチ(工事中だった)して折り返した。
 楽に走る方法を考えながら脚を動かした。足首を空中でぶらぶらさせたらどうなるか、走りながら膝の曲げ伸ばしができないか、とか、もともと身体が固いほうなのであれこれと考える。
 17キロを過ぎてバテて来たがありがたいことに痛みは来なかった。
 赤ん坊に哺乳瓶でミルクを上げる若いお父さん、それを心配そうに見守る自分の娘ぐらいな年齢のお母さん。鳥かごを河川敷のベンチに出して日向ぼっこを楽しむカップル。そんな光景に触れられることが嬉しかった。
 走れることに感謝しながらゴール地点に向かった。

 

 2月21日 20.18キロ 2時間23分
 2月23日  8.20キロ     58分
 

 

(鴨川左岸 四条三条間の佇まい)

 

 〜感謝の気持ちで走る〜 

 

 2月7日(日)晴れ曇り
 今日はチャレンジデー。3時間を走る日。

 

 【不安】

 職場のIくんも「20キロ走れたらフルも完走できます」と当たり前のことのように言うが何となく不安。20キロ走れたぐらいで本当にフルが走れるのだろうか。やる前は何事も不安で不安でしかたがない貧乏性。2月21日に京都御所の周回コースをフルで走る記録会があって出ようかどうか迷っている。

 不安と迷い。そんなことで頭を悩ますなら走っておこう、ということでチャレンジ。前に走った羽束師橋〜三条大橋の20キロの距離をもう少し伸ばして賀茂大橋までの往復とすれば3時間ぐらいだ。
 「心配なら距離とは関係なく3時間ずっと走り続けてみたらいい」と説くノウハウ本(『マラソン100回の知恵』原章二、平凡社新書)がある。3時間走ってみて疲労を感じたら、フルだとそれプラス1時間から1時間半かかるんだということがわかる。そうすれば練習を自重し身体にダメージを与えない方法を考えるはずだと、練習のしすぎを戒めている。
 マラソンは(市民マラソンは)時間さえあれば一人で思うようにできるという他のスポーツにない手軽さが特徴だ。ジャージを着てシューズを履く、好きなコースを走る。身体にあったスピードで。息の上がる上がらないも自分の思いのままに。練習したくなかったらしない。
 ほとんど自己管理の世界である。頑張るのも自由、怠けるのも自由。頑張り過ぎたらケガをするし、怠けたらそもそも距離を走れない。地の身体が強かったり、最初からそこそこのスピードが出たりする人は練習しすぎでケガをし、回復に時間がかかる。やりすぎは結局遠回りになることを分かって取り組むべきだということだ。

 


 私も中山道歩きなど気ままな旅を続けてきてウォーキング歴はそこそこある。長く身体を動かし続けることになれており、マラソンの方も始めてみたら少しずつ馴染んできた。経験を積んだラン友やコーチがいない人は特に練習のしすぎには要注意と自分のこととして受け止めている。
 その通りだと思う。だから30キロ走る距離走ではなくとりあえずゆっくりと3時間走ってみようと。
 自分が一番走りやすいコースはやはりなんといっても京都のど真ん中を走る「洛中雅コース」だ。勝手にネーミングしているが、伏見の端っこの方から鴨川を北上し、七条、五条、四条、三条と鴨川の左右の景観を眺めながら走るのは身体のきつさを忘れさせてくれる眼に贅沢なコース。


 【スタート】

 ということで9時45分頃いつもの鴨川・桂川合流地点からスタート。1月30日に走っているから両岸に架かる橋をみれば今何キロまできたかおおよそ判るというのは気持ちを落ち着かせる。

 スタートから快調。シューズもだいぶ足に馴染んできた。紐の締めつけ具合も良好、足の甲もいたくない、踵もしっかり締まっている。第一の目標は伏見区と南区の境に架かる勧進橋、6キロ。むかし橋を渡るのに料金を徴収した勧進元がいたということから名がついた。ここで右岸から左岸に渡り北上する。

 鴨川整備事業が進行中で重機が投入され資材が運び込まれている。荒れ地が目立つ九条通り以南の鴨川。三条以北の鴨川のようにレジャーが楽しめるように美観を整える計画のようだ。

 前の方から右手を上げつつ走ってくる中年男性。口を大きく開けしんどそうな様子。だが目が笑っている。私に笑いかけている。

 上げた手はハイタッチなのだ。がんばろう、という励ましの合図だ。コロナ禍で手と手は触れない。エアー。

 嬉しい。

 励ます。励まされる。

 走るとは一人のスポーツ。周囲から励まされると力が出る。
 疲れもなく四条大橋をくぐり10キロを過ぎた。1時間5分。いいペースだ。三条大橋を越えるとなんだか空気が冷たく感じられた。丸太町橋まで来ると寒い。伏見あたりでは陽射しが暖かく春のような陽気だったのと比べると気候の違いが眼に、肌に感じられた。空はどんよりと重く空気は刺すように冷たい。
 

(賀茂川と高野川の合流点 三角デルタ)

 

 

 【感謝の気持ちを持って走る】

 いよいよ折り返し点の賀茂大橋まで来た。1時間19分。寒いのに出町柳の三角デルタの飛び石で子どもたちが飛び歩いている。
 快調だ。急に嬉しくなってきた。まだ半分あるのかというマイナス感情はまったく湧いてこず、伏見の端っこから今出川通りまで、京都御所を越えたあたりまで、走って来られたことが嬉しくなってきた。何かに感謝したい思いだった。
 そこからは目に映るものが懐かしく人生の一コマ一コマを見るような想いがした。やっとよちよち歩きを始めた赤ん坊がお母さんにみまもられて地面の砂をいじっている。つまみ上げたものをお母さんに指し示して単語にならない言葉を発している。その傍らをゆっくりとゆっくりと杖をつきながら歩く高齢の夫婦、ベビーカーに赤ちゃんを乗せて行き交う夫婦。若いカップルが手をつなぎ幸せそうに歩いている。私のように走っている中年の男女。はしゃぎながら走り回る子供の家族。高校のクラブらしいグループで走ってくる生徒ら。なんだか自分がたどってきた半生をみているような気がした。これほど幸せな気分になって走っている事自体が嬉しかった。

 

 【禍福は糾える縄の如し】

 いくらでも走れる、そう思って鴨川を南下していった。
 が、いくらなんでもいいことづくめではなかった。。
 一寸先は闇、禍福は糾える縄の如し、である。
 その前に、今回気づいたことがひとつある。
 前にこのコースを走ったとき、ゆっくり走るコツとして前に出した脚を下に落とすようなつもりで走るといい、力が抜けるから。という走法を実践してうまくいった。
 今回気をつけたのは姿勢だ。骨盤を前に出す、胸を軽く張って腰の位置を高く。そのやり方として、骨盤と背骨の繋ぎ目に力を入れるのだ。そうすると骨盤も胸も前に出る、すると脚も前に出やすくなる。
 それを意識して走って来た。だいたいうまくいった。
 

 「闇」しかしは20キロを過ぎたあたりから始まった。
 急に脚が動かなくなってきた。重い、むちゃくちゃ重い。残り4キロぐらいだ、4キロは普段走っている距離だ、楽勝じゃないか、と鼓舞しても動かない、脚が。痛くないのだが、いうことをきかない。
 骨盤と背骨に力を入れてエンジンをかけてもすぐにガス欠だ。維持できない。腰の位置がすぐ下る。背中もバキバキに凝っている。腰との付け根も固い。パンパンだ。残り三キロのタイムは8分台に落ちている。あともうちょっとなのに。
 それでも止まらずに、歩かずにと叱咤する。今日は3時間走るという日だ。3時間走ったらいいんだ。あとはおまけ。折り返し点では羽束師橋まで帰ってきるのに2時間45分かと思えたタイムは残り2キロを残してと遠くすぎている。止まらなかったらいい。脚を動かし続けたらいい。ゴールの橋が近づいてきた。
 ゆっくりとゆっくりと。

 25.65キロ 3時間3秒

(天下分け目の…天王山)

 

 〜楽に走るこつは距離や走ること以外のことを考える〜

 

 2月6日(土)

 車を定期検査に出している間にジョグしてきた。羽束師橋(京都市伏見区)から宇治川、木津川、桂川が合流して淀川になる三河川合流地点の往復10キロ。

 合流地点というのは天王山(京都府乙訓郡)と石清水八幡宮のある男山(京都府八幡市)の間の京都盆地の開口部。光秀と秀吉の軍勢が衝突した山崎の合戦もここから遠くない場所で起こった。
 月金は早朝のランニング。まだ夜明け前の真っ暗闇。暗いというのは見えるものが少ない。黒々とした町並みのシルエット。高層ビルや鉄塔の赤い点滅。明かりが灯る民家やマンションの一室。それだからこそ好奇心もかきたてられるのだが(こんな朝早くから何してはんのやろ)、心がどうしても内向きになりがちで記憶と対話しているような場面が多い。会社のこと、欠点だらけの自分の半生のもろもろに関し、ああでもないこうでもないとため息をついたりぶつくさ言いながら走るが、さすがにほとんど毎朝のことなので、3キロ30分足らずの軽いジョグも長く感じてしまうことがある。
 それが今日は昼間。日が高いうちに走るのはいい。景色が見え人と会う。やはり真っ暗な中を走るよりはいい。思考が外向きになる。
 

(京都盆地 太線の間を走ったよ)

 

 今日の進行方向には天王山。向かって走っていると、日曜日は「麒麟が来る」の最終回だというのを思い出し、光秀はなぜ信長を討ったのかなんてことを考えてみたりする。山崎の合戦のあと光秀の逃走ルートはさて? と首をひねっていると、軽々とした足音が後ろから近づいてきてスレンダーなお兄さんにあっという間に追い抜かれていった。踵がきれいに上がりよく腕も振れている、腰の位置も高い、などと見とれていると、グループで走る同年代の男女らから「こんにちは」と挨拶されたりする。自転車の人も大勢道を走っていて、凄いスピードで向かってくるのは怖いくらいだ。
 景色もよし、人出も多い。フォームのきれいなランナーとすれちがったりすると参考にもなる。腰が下がりがちな私にはなくてはならない格好のお手本だ。
 長い距離を走るとは気を楽にもつことだ。距離を忘れることだ。忘れるには走ること以外の何事かに気をもっていくのもよい手だろう。観察し見えたもの聞こえたものに対し考えることがよいのかも知れない。


(スタート地点の羽束師橋 右に鴨川左に桂川の二川合流点。 遠くに霞む比叡山、手前の高層ビルは京セラ本社)