革命前夜(2)・・・ライプツィヒの記憶 | 旅と仕事するkogeのブログ

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革命前夜 須賀しのぶ著

 

この小説には、私が過去12年間に、10回以上訪れた街が何度も出てくる。
 
ベルリン
 
ライプツィヒ
 
ドレスデン
 
いずれも「旧東独」と呼ばれた街。
 
(ベルリンは西独と東独が一緒だったけど)



 

 

 

 

 


 
 
 
小説の冒頭、主人公はステイ先の主人にドレスデンの街を案内される。
 
そのなかで第二次世界大戦で壊されたままとなっていた聖母教会を眺めるシーンが出てくる。
 
バブル絶頂期の日本から音楽の夢を求めて旧東独に飛んできた主人公。
 
期待と希望を胸に抱いて降り立ったドイツの土地が迎えてくれたのは、
 
暗く汚れた街並みだった。
 
 
 

https://www.flickr.com/photos/sludgeulper/3710370983

 

主人公が見た聖母教会はこんな風だったはず。

 

 

 

 

これは2018年に私が撮った写真。(教会の手前のマルティン・ルター像が目印)

 

 

 

 

主人公は、その当時のドイツ(旧東独)に自分の音楽の活路を見出そうと

 

懸命に向き合おうとしたものの、触れ合う人々と関わるうちに、自分自身を見失っていく。

 

一方で、抑制された旧東独に生きる人々は、静かな情熱の心の灯を消すことなく

 

自由を求め音楽と対峙していく。やがて主人公も、過去と現実に向き合ううちに、

 

自分の音楽を確立し、新しい世界に向かって走り出す。

 

 

 

 

 

 

実は、私は1996年にライプツィヒを訪れている。

 

一人旅。南に位置するミュンヘンで友人と会っており、その後そこからひたすら列車で北上した。

 

ライプツィヒでは、500kmも離れたHattingenという街に住むドイツ人の友人を呼び寄せた。

 

きっと友人は、困っただろう。その距離じゃあ、日帰りできないではないか、と。

 

私は、音楽を勉強していたこともあって、ライプツィヒは外せない訪問地だった。

 

革命前夜の主人公と同じような憧れのような想いがあった。

 

だから、遥々日本からやってきたのだ。それも10代最後の旅として。

 

それならば、付き合おうと友人も納得してくれたのだと思いたい。

 

 

 

 

ところが、この1996年のライプツィヒといえば、暗くて煤けたイメージしかない。

 

私達はライプツィヒ中央駅の北側の小さい宿に泊まったのだけど、中央駅の北側というのが、

 

訪れたことのある人ならわかると思うが、

 

中央駅から触手のように伸びる線路の周辺には何も無い、荒野のようだった。

 

ただ、ひたすら暗くて煤けたライプツィヒを延々と2人で歩きつづけた。

 

友人も私と同い年だったし、それころ500kmも離れた小さい街で生まれ育ったと
 
いっていたから、ライプツィ匕の街なんてよく知らなかったのだろう。
 
駅の北側がどんな風かなんて。
 
遥々日本からやってくるのであれば、多くの観光客がそれを選択するように、
 
中央駅の南側に宿を手配するはずだ。
 
そこには、バッハが活躍した聖トーマス教会もあるし、ゲーテの像が立つ広場もある。
 
おしゃれなカフェもあっただろう。
 
 
 
残念ながら、そんなこんなで私の中でのライプツィヒの印象は実に暗い思い出のまま
 
12年前に初めて仕事で訪れるまで塗り替えられることはなかった。
 
 
 
しかし、最近になって、この小説を読んだときに、真っ先に思い出したのがこの
 
1996年のライプツィヒ。
 
それも「中央駅の北側のあのへん」の記憶だったのだから、面白い。
 
壁崩壊から7年が経っていたとはいえ、まだまだ旧東独の色彩が残っていたはずだ。
 
あのガッカリとしたライプツィヒ滞在が、一瞬にしてノスタルジックな思い出へと変わる。
 
 
 
 
12年前を皮切りに、ライプツィヒには10回以上仕事で訪れているが、一度も中央駅の
 
北側に泊まったことはない。
 
唯一、ベルリンから列車でライプツィヒに入るときに、北側から駅舎に入るのだが
 
一瞬だけ、過去のあの思い出がフラッシュバックする程度だ。
 

 

 

 
 
そんなライプツィヒも、今年は訪れることが出来なかった。
 
6月に世界中から音楽ファンが集まるバッハフェスティバルも中止となった。
 
当たり前のように毎年訪れていたのに、毎回、数時間足らずの滞在ではあったのに、
 
今やとても遠い街になってしまったような感じがする。
 
小説を読んで、そんな寂しい気持ちが呼び起こされてしまったのが、ちょっと後悔。