陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

我が家の歴史遺産、解体しました

2019-09-18 | 政治・経済・産業・社会・法務



さて、こちらはある納屋から出てきた棟札です。
棟札とは、寺社仏閣や民家の建築・修繕を記念し梁や棟木にとりつけた木製の札のこと。



納屋は二棟あったため、二種類あります。
信心篤い家だったのか、神のご加護を祈願する内容であったようです。この家は春日神社の氏子でした。括りつけてあるのは銅銭。釘で高所に打ち付けてありました。



一棟は大正14年4月12日、かたやもう一棟は昭和4年11月(?)10日付。
下に大工と、家主の名前が墨で書かれてあります。この家主は孫息子が徴兵にとられ満州に送られるにあたり、無事帰還を祈願して昭和14年2月に墓を建立します。

補給部隊にいたこの孫息子はシベリア送りになることもなく五体満足で帰国。
許嫁だった4歳下の娘と結ばれます。この孫息子は私の祖父。そして墓を建立し、納屋を二棟建て、江戸末期から昭和まで生き抜いた男は、私から数えること4代前の家主。当家の最盛期を築いたと伝わっています。残念ながら、私はこの祖父の家系に似ていない人間です。

2017年に不肖私はその墓をリニューアル。
さらに今年の夏にようやく、敷地内にあった古い納屋二棟を撤去しました。最初の棟建設からおよそ100年近くが経過していました。私が10代の頃、祖父の手により母屋が解体され新築されたこと、その新築祝いの祝賀会が開かれたことは記憶しています。

しかし、納屋だけは瓦屋根を一時しのぎで修復して使い続けていました。
納屋を解体する計画は持ち上がったようですが、占いで時期がまずいと言われ流れてしまったようです。ここまで古い納屋が残っていたのは近所でも珍しかったようです。もともとは家畜小屋でそれを私室にリフォームしており、大正時代の趣と昭和のインテリアが雑居しあった絶妙な住まいでした。大工仕事はよくて梁は太く貴重でしたが、壁は継ぎ接ぎ状態。これ以上維持できない事情がありました。崩落の危険があり、ご近所に迷惑がかかりそうだったのです。

今回の記事はその過程を記録しておくものです。
数年におよぶ断捨離や工事業者との協議などの経緯について。あるいは、今後の心構えについても触れておきます。

ここまでに至る道のりは平坦ではありませんでした。
家族たった二人だけで、深夜近くまで片付けたことも少なくありません。あわせて80坪の延べ面積いっぱいに埃っぽい荷物がぎゅう詰めで、最初は絶望しました。見積を取りにきた業者に不愉快な思いも何度も経験しました。

私の苦い経験が、いずれ古民家の片付けに悩む皆さまの一助になりましたら幸いです。


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