陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

ゴッホにしてゴッホにあらず、謎の肖像画(三)

2019-11-26 | 芸術・文化・科学・歴史

仮説の第一は、ゴッホが弟を描きながらも、あえてその完成作を弟には送らなかった、ということである。
それではゴッホはテオには内密にその人相を描いたのだろうか。すぐれた構想力をはたらかせてではなく、あくまで目の前にあるものしか描けなかったとされるゴッホが、テオの面影を思い出しながら描いたとは考えにくい。写真を手元において描いたとも考えられうるが、あの分厚く絵の具を何層にも重ねて肌のぬくもりまでこちらに迫らせるような実体感はモデルを前にしなければ描き出せないものではなかろうか。テオ本人がその絵の存在について知っていたとなると、なぜ自身を描いた絵が本人に送られないのか。それは常に孤独に苛まれたゴッホが、弟の生き形見としてそれを欲したからではなかったろうか。レオナルド・ダ・ヴィンチが『モナリザ』を完成させずに終始自分の側に置きたがっていたように。





仮説の第二は、テオもしくはその周囲がその肖像画をあえて受け取らなかったという説である。
一般に弟テオこそがゴッホの唯一の理解者とされているが、その定説に驚くべき批判の一石を投じた書物がある。小林英樹著の『ゴッホの遺言―贋作に隠された自殺の真相』(情報センター出版局・1999年)は、ゴッホの寝室を描いたあるスケッチが贋作であるという直感にもとづき、膨大な資料にあたり、またゴッホの足跡をたどるようにヨーロッパ各地を訪れて緻密な分析をほどこした慧眼の書であるが、そのなかで、ゴッホの贋作が生まれた理由を、弟テオとその愛妻ヨーに対する確執にあったことを匂わせている。さらにこれよりも大胆なミステリータッチの読み物である『ゴッホは殺されたのか 伝説の情報操作』(小林利延著・朝日選書・2008年)は、画家の自殺を他殺と断定している。いずれにせよ、彼の死にまつわる諸説がいまだもって生まれ続けていることが、彼の作風以上に人を惹き付けてやまぬ所以なのである。

ゴッホは麦畑で制作中にとつじょ気が狂いピストル自殺を遂げたとされているが、そもそもこの説には異論があった。
高階秀爾著の『ゴッホの眼』(青土社・1993年)によれば、1888年の耳の切断も、1890年のフランスでの最期も自殺というよりは、自分から遠ざかる人々を振り向かせようとする自傷行為に過ぎないと説く。現に1890年の麦畑で発射された弾丸は画家の脳天にぶち込まれるのでもなく、喉元を突き破るでもなく、腹に向けられたのだった。ゴッホは三日ほど死の境をさまよったのちに旅立ったのだが、その場で死を待つではなく、自力で歩いて宿へと引き返しているのである。それは、直前に弟テオ一家が母のいるオランダへと帰郷したことへの抗議であった。

テオは優れた画商であったが、その稼ぎの大半を兄を養うために注ぎ込んでいた。
ゴッホの死後、半年も経たずして後を追うかのごとく亡くなったテオの存在は、ゴッホ伝説にまつわる兄弟愛の美談として語られやすいが、『ゴッホの遺言』は弟テオの妻であったヨーについてきわめて克明に分析していたように記憶している。生まれたばかりの子を抱えてけっして暮らし向きが豊かとはいえないサラリーマンの妻が、穀潰しの義兄によからぬ感情を抱いていたことはそれなりに想像できる。テオの死後、未亡人となったヨーはテオの肖像を夫だと認めたくはなかったのだろうか。気違いじみて死んだ兄に人生を捧げてしまい、あまつさえ家庭の幸福さえ壊されそうになった被害者として、彼女がそう願ったのではないかとさえ思われる。直木賞作家でアート小説の名手である原田マハの小説『たゆたえども沈まず』は、商魂たくましい日本人美術商・林忠正と、ゴッホ兄弟との運命的な出会いを描ききった意欲作なのだが、一般的な労働者目線で読むと、ゴッホがかなり不器用で狂気に満ちた人物であったとことがわかる。身内にいたら、確実に人生破滅してしまうだろう。

いずれにせよ、テオ・ファン・ゴッホの肖像がなぜに別ものの仮面をかぶらされていたのかは想像の域を出ず、専門家の研究成果を待ちたいところではあるが、ひとつだけ真実がある。それはその一枚が自画像であったにせよ、なかったにせよ、あらゆる絵画は画家の自画像に過ぎないのである。

ゴッホの影となって向日葵のような陽光を欲する炎の画家を支えた弟こそ、ゴッホにとっては自分に手を差し伸べてくれる光であったに違いない。
誠実そうでいかにも堅気の職業につき妻帯して人生を充実させているテオの肖像を望んで描いたゴッホは、かつてなんども自分が挑み、そのたびごとに挫折したありうべき人生の理想像を見出したのかもしれない。テオの肖像には、黄色の帽子に青い服といったゴッホの自画像にみられる特徴が踏襲されているのだ。たとえばこのテオの肖像画が制作された同年1887年に、まるでおそろいのような自画像を制作している。




《麦藁帽子を被った自画像》1887年、デトロイト


テオの肖像こそは孤独と疎外に悲しむ画家フィンセント・ファン・ゴッホの夢の肖像というべきものであった。永遠に幸せにたどりつけない画家の夢の構想画だったのだ。現実をモデルにしかしえない男が編み出したのは、自分と似た面差しの男が幸福につつまれる姿だったのであろう。


さて、最後に余談をひとつ。
テオ・ファン・ゴッホその人と同じ名をもつその曾孫テオ・ファン・ゴッホもまた映画監督およびTVプロデューサーとして活躍したが、イスラム過激派を刺激する文書がしばしば物議を醸し、2004年になんとも不幸な最期を遂げた。その姿は過剰なまでに伝道の道に入れこみ、自分の信条を他人に理解してもらうためにエネルギーを使い果たしてしまった画家の末路と重なるものがあろう。

ゴッホにしてゴッホにあらず、謎の肖像画(一)
画商を投げ出し、聖職者にもなれず、自分ひとつすら救えない。失敗続きの人生の果てに、遅咲きの画家デビューしたあの男。日本人に大人気、炎の画家ことフィンセント・ファン・ゴッホ作の自画像とされるある一枚のモデルは、じつは別の人物だった?!

ゴッホにしてゴッホにあらず、謎の肖像画(二)
20世紀を代表する哲学者マルティン・ハイデッガーにすらすぐれたインスピレーションを与えた、ゴッホ芸術の神髄について。事物をあれほどリアルに描ききったのに、人物だけがなぜコケティッシュにデフォルメされすぎているのか。



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