【贅沢なひと時】コンビーフをそのまま食べる! | 台場一丁目商店街プロデューサー久保浩の    昭和ダイアリー

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レトロブームの仕掛け人久保浩が「昭和」の時代の古き良き、暖かな日本人の心を伝えてまいります。

子供の頃【好きな食べ物は?】と聞かれれば、

答えていたのがコンビーフ!!

昭和レトロ製作委員会        台場一丁目商店街自治会長     久保浩の平成と闘う日々

 

何も調理せず、缶を開けただけのままで食べるのが

 

至福のひと時。


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缶を開けるのも楽しみでしたが、結構最後が難しかったですね。

 

 


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高級な缶詰の代名詞のようなモノでしたので、滅多には

食べられませんでした。

 

コンビーフを腹いっぱい食べるのが

ささやかな夢でした。

 

以下ノザキHPより(↓)

 

 
発売当初は缶の製造に必要なブリキの供給が不十分な時勢であったため、意外にも国産コンビーフ第一号は“瓶詰”のもので、コップ型のガラス瓶と、内側にゴムリングをはめたブリキ製の蓋でできた「アンカー瓶」に入っていました。
また当時は、現在のように十分な冷蔵設備がなかったため、製造元の日東食品製造株式会社(現日東ベスト)では、氷を入れた水槽を冷蔵庫代わりにして、肉の塩漬け加工を行なっていたほか、瓶の殺菌も一つずつ金具で抑えて行っていたなど、その製造工程には多くの苦労がありました。

その後、やはり瓶詰では製造や取り扱いが不便なため、国産瓶詰コンビーフ第一号発売から2年後の1950年に缶が開発され、現在とほぼ同じ形の200グラム缶が出荷されました。
これが、国産コンビーフ“缶詰”の第一号です。
レトロな牛のマークは、お客様に長年愛されつづけ、今でも変わりません。

 

ご一読ありがとうございました!


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