代理人が帰った後、結局相手が来ることはなく100%認められた。

交渉術の要点は先ず相手の言いたいことを確りと聞くことである。

相手が怒っている場合決してその怒りに飲み込まれてはならない。怒りの毒を食べることなく話だけ聞く。

お釈迦様の説法に他宗教の教祖との話がある。

お釈迦様に帰依する信者が増えてきた時のことである。

信者を取られた他宗教の教祖が乗り込んできた。

その教祖怒り心頭になって怒鳴り込み罵詈雑言を浴びせた。

お釈迦さまは黙って聴いていた。

何も言い返さないので相手は負けたと思った。そして怒りの感情が優越感に変わった瞬間を逃さず

お釈迦様の口が開いた。

「ところでさぞかし多くの来客があることでしょう。ごちそうを出して来客が手を付けなかった食べ物は誰のものになるだろうか?」

教祖は一瞬戸惑ったが「食わなければ自分のものになる」と答えた

お釈迦さまは「そうですね、今悪口雑言を言われた事を食べる訳にはいけません。ソックリそのままお返しします」

教祖は自分の過ちに気が付き退散した。

相手の毒を食べないことが大切。毒を食べて不安や怒りのマイナスの感情にならないこと。

そして円満に正しく解決に導くこと。

正しさには5つの境地の段階がある。

1段階 エゴの正しさ。自分さえよければという勝手な正しさ。

2段階 裁く正しさ。善悪を判断する。相手の非を咎め,追い詰め責め立てる感情を
      伴う。勧善懲悪

3段階 正確な正しさ。社会であれば法律、学校であれば校則に基づいた正しさ。

4段階 自他を活かす正しさ。自分を活かすだけでなく、相手も活かす正しさ。
      悪人を更生させる等。

5段階 全てを活かす正しさ。太陽の心。善悪に関わらず全てに愛を注ぐ心。
      神様? 

自分を守ろうとすると守れない、逆に守ろうとしないと守られる。保身しようとすればするほど窮地に立たされるもの。無我の境地が大切。

今回安全担当者を連れて行ったがこれは少しでも勉強になればという気持ちで連れて行った。

彼に「話を振られたらどうした?」と聞いたら

「何よりも先ず示談書を提示します」

「普通はそうだろう。保険の担当者は示談書の事は事前に〇〇さんから聞いているかもしれない。ここではあえて触れなかった。なぜなら〇〇さんのメンツをつぶすことになる。またそう言われたときに備えたのか用意周到に損保法や道路交通法を出してきた。そうではなく〇〇さんに感謝していますと話すことによって円満に解決できた。」

この方の話を聴いて自他を活かす交渉術は無我の境地と感謝の念がその根底にあると感じました。
事件に対するネットのコメント欄には裁く正しさが溢れています。またテレビのコメンテイターは事件の真相に迫ることなく人を裁いています。古いですが水戸黄門や半沢直樹の倍返しがウケるわけです。

裁く正しさだけを求めると人は狭量になり寛容さを失っていきます。

裁く正しさは境地の基準で言えば低い段階です。言うのは簡単ですが少しでも自他を活かす正しさの境地になりたいものです。

皆様はどのようにお考えになりますか?

勉強になった方