迷子の大人たち 3

迷子の大人たち 3

~ニワトリノニワ 非公認ブログ~ 
テキトー経営者のエー加減農業日記(昔は) 最近 っぽくなくなってきた。意外とマヂメ?更生した?

人はなぜ生きるのか?

 

人生はよく山登りに例えられる。即ち先の問いは、人はなぜ歩くのか?と同質である。

 

元旦の朝、NHKの「超体感!四国 お遍路の旅」という番組を見ていた。その中で役者の卵が自分の人生このまま進むべきか、と悩み四国を歩いたら自分の中で何かが変わるかも知れないと遍路に来たという。

 

四国のちょうど半分、足摺岬に居た彼はまだ悩んでいるような顔に見えた。が、最後の88番札所大窪寺にたどり着いた彼の顔はサッパリした顔で、悩んでいるのを止めたと笑顔で話した。一歩一歩、歩いていれば目標にたどり着くことを学んだという。

 

そういうことじゃないかな。たとえそれが思っていた場所とは違っていたとしても。

 

 

さ、いつものヤツ。1/10に書いたものです。

 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

 明けましておめでとうございます。

 

今年は年賀状の代わりにこちらの手紙で代用させて頂きます。3、4年前から梅原さんからの年賀状が遅くなっていたので気にはなっていたのですが、ようやく意図を明確にしました。年賀状のやり取りを止めようとしているのですね。

 

うちももう5年以上前からお客様への年賀状を止め、友人・知人だけにしておりました。今年からはそれも止め来たものにだけ送るようにしました。確かに形だけの挨拶なんて無意味ですよね。

 

思えば大人になるまで年賀状のやり取りなんて滅多にしませんでした。まず友人がいない。友人同士で年始の挨拶を交わす?そもそも友人の定義がよく分からない。心の底から本心を話したことなんて小学生の頃からないし、理解してもらえるとは思わなかった。小難しいヤツだったんです。

 

従ってクラスメイトが無邪気に年賀状のやり取りをしているのを横目にそんなことに何の意味があるのだ?と冷めておりました。それに比べ兄妹らはそういうことに深い考えを持っていなかったらしく(?)毎年何十枚と年賀状が届いていたので正月は何となく意に反して劣等感みたいなものを感じていたように思います。しかし彼らは親しい友人が何十人と居たのでしょうか?

 

そもそも親しい友人とは何でしょうか?最近この手紙の時にしか見なくなったChatGPT先生に尋ねてみました。答えは、○信頼関係があること、○共感でき理解しあえること、○率直なコミュニケーションが取れること、○興味や価値観が共有できること、○良い時も悪い時も支えあえること、○プライバシーが守れるよう適度な距離感があること、だそうです。

 

そんなのどんな人にも部分的には当てはまるが、常に全てのことに関して当てはまることなんてないでしょう。人は生まれた環境、育った環境、そして時代がそれぞれ異なるのです。そんな人間同士が全てのことに関して共感できるなんてのは思い過ごしでしかありません。兄妹ですら難しい。

 

そんな閉鎖的な私が32歳の離婚を機に深く傷つき、落ち込み、これまでの人生を深く反省し生まれ変わることにしました。この頃から部分的にでも共感できれば友達。人類は遺伝子の99.9%を共有しているのだから皆家族みたいなもの、という広い心を持てるようになり人見知りする人生が初対面でもすぐに仲良くなれる人間性に変わることができたのです。

 

さて本題です。

 

唐突ですが重大発表があります。実は農場閉鎖します。5月頃です。元々ここは借地で10年前に借地期間を10年と定めて借りた土地です。このため将来に渡る安定な計画を立てるために土地の所有を当初から考え、移転先の土地を四万十市近辺で交友関係を広げながらずっと探していたのです。しかし良さそうな土地があっても高額過ぎたり相続が不明で売買できなかったりと条件に合う土地を見つけることができませんでした。

 

そんな折からのタイミングで原因不明で産卵率が低下し続けるという経営危機が訪れ、これ以上この地で営業を続けて行くのは困難、急いで移転の地を見つけねば、という事態に。そこでついに意を決して地元以外、例えば取りあえず四国全体で探してみようと。

 

ネットで探し始めてすぐにある地域で不動産屋が農地の売買に積極的なことが分かりました。ネットに農地物件がたくさん出ていたのです。早速連絡を取り行ったり来たりすることたったの3ヶ月で理想的な土地が見つかりました。移転先はなんと・・・

 

ここ四万十での営業は5月頃で終了するため現在終活中という訳です。このため、卵ラベルのデザイン料として梅原さんが死ぬまで毎日一個の卵をお送りする、という約束ですが誠に勝手ながら今回を以って一旦中止させてください。そして新天地、徳島の地でまた1から一人でコンコン、カンカン、小屋を建てたり柵を作ったりと来年2025年の春からの再スタートを目指します。

 

そこで問題があります。

 

あのラベルにはしっかり、「しまんと河口」の文字が入っているので新天地では使えません。新しいラベルをまた梅原さんにお願いしたいのですが移転でお金を使ってしまうためまともなデザイン料を払える見込がありません。また貧乏に逆戻りです。もし宜しければ”今度こそ”梅原さんがお亡くなりになるまで卵を送り続けますので、そんなユルイ条件でやっては頂けませんでしょうか。 エエ、もちろん梅原さんのご長命を毎日適度にお祈りしますんで。

 

と、虫のいいお願いをしておりますがそれはさておき。

 

何の身寄りもない四万十市に2010年の夏に来てからもう14年間。ChatGPTの条件に全て当てはまる親しい友人には出会えなかったのですが冗談を言い、悩みを相談できる、世代を越えた友人ならざっと数えて50人以上はできました。しかし、また知人も居ない新たな土地でゼロからのスタートです。

 

不安がない訳ではありません。が、前職コンビニSVを脱サラする時に福井県のとある担当店の70代のオーナーさんが涙で別れを惜しんでくれ、「あんたのキャラクターならどこへ行っても必ず成功する」とお墨付きをくれました。その、言葉が。心の奥でいつも光っており、まるでお守りのように私の歩みを支えてくれるのです。

 

しかし何より15年前。2008年の夏、お遍路で四国を隅々まで歩いているのでどこに行っても見知らぬ土地だとは思えないのです。移転先も四国霊場8番・9番・10番札所のほど近くにあります。発心の阿波は遍路を始めてまもなくの心細い頃たくさんのお接待で後押ししてくれた地です。この地では四国に来た目的である恩返しのため、いよいよ歩き遍路用の無料接待宿の開始なんかを目指します。

 

今後とも温かく見守って頂ければ幸いです。ひとまず12年間有り難うございました。またご連絡致します。

 

南無大師遍照金剛

 

 

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ガザ地区が大変なことになっている。

 

私の通っている河川敷のゴルフ場の1番ホールにガザ地区と呼ばれる一角がある。1打目、ティーショットをミスって引っかけると丁度いい具合に入ってしまうヘビーラフ地帯。たった10坪程度なんだが。

 

左側に引っ掛けるミスなんて普段は余りしない人でも何故か吸い込まれて行く謎のバミューダトライアングル。みんなで葦をかき分けガサガサとボールを探しに行くことからいつしかガザ地区と呼ばれ恐れられるようになった。

 

とか、冗談言ってる場合じゃねーぞ!

 

ま、いつものヤツどーぞ。12/10に書いたものです。

 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

 いつも有り難うございます。

 

今年もそろそろ終わり。もうすぐクリスマス。言うまでもなくキリスト教のイベント。イエス・キリストの誕生を祝う日。即ちここから紀元ゼロ年が始まった日・・・と書いていてふと思った。だったら何で12月25日なんだ?1月1日で然るべきではないのか、と。

 

さて書こうと思っていたことからは脱線するけど件のChatGPT先生に尋ねてみた。答えは、キリストの誕生日は実際には明確ではなく、4世紀のローマ帝国時代にキリスト教が普及していく中で12月25日と決めたらしい。

 

なんだよ、テキトーかよ。さ、余り脱線せずに本題に戻りましょう。クリスマスと言えばある物語を思い出す。

 

クリスマスの夜。ある質素な青年が一人寂しく過ごしていた。青年はあまりパッとしない性格・能力の持ち主。もちろん社交性もないため社会的にイマイチで恋人も居ない。現代で言えば冴えないフリーターみたいなものか。そして自らの能力とそれに紐づく境遇を受け止めその夜も寂しく過ごしていた。

 

そんな彼の前にサンタクロース(本物)が突如として現れ世界でたった一人、望みを何でも叶えてくれると言う。恋人、金、社会的地位、明るい性格・・・と思い浮かべて行く。と、彼の心の中で何か変化が起こる。もっと気の毒な人もいるハズだ。

 

そして近所に難病を発症し幼くして学校にも行けず寝たきりの子供が住んでいることを思い出す。僕なんかじゃなく、そちらに行って僕の代わりに望みを叶えてやって欲しい。サンタは行ってしまう。しかし青年の心の中には温かいモノが残り、その子のことを想像し楽しい気分で眠り、綺麗な夢を見た。

 

ベッドの上に寝たきりの幼い子供。サンタの申し出に健康な身体やオモチャ、友達・・・と欲しい物を思い浮かべる。しかしサンタが来てくれた経緯を聞き、一人ぼっちだと思っていた自分を思ってくれている人がいる、そう思うだけで生きる勇気が湧き病気が治り始めたように思えた。子供の心の中に変化が起こる。私よりもっと気の毒な人がいるハズ。そう言えば近所で悪い評判の絶えない強欲な金貸しのオジさんを思い出す。きっと友達なんか一人も居らずこんな夜は特に寂しく一人で過ごしているだろうから行って慰めてやって欲しい。心の中に楽しい気持ちが残った。

 

強欲な金貸しのオジさん。願いを聞かれ莫大な金が欲しいと思う。しかしサンタが自分に来た経緯を聞き日頃の利己的な行いを恥じ、金は既に持っていることに初めて気づく。こんな強欲で評判の悪い自分のことを思ってくれている人がいる。もう何も要らないじゃないか。彼の心の中にも変化が起こる。もっと気の毒な人がいるハズ。巷で噂のテロリスト集団のボスを思い出す。ああいう人間の心はきっと荒み切っているに違いない、行って慰めてやってくれ。楽しい気分のまま眠りについた。

 

テロリストのボス。彼の陰謀は戦争を起こして世界を破滅させること。生まれてこのかた、一つも良いことが無かった。ヤなことの連続。こんな世の中なんて無くなればいい。そこへサンタクロース。例によって来た経緯を聞くと憎悪の炎が薄らいで行く・・・。この世界を破滅させれば自分を思ってサンタを譲ってくれた誰かをも消してしまう。考えた末、来年また誰か別の人のもとへ行ってやってくれ。

 

この夜サンタクロースは自分が一番楽しい気持ちになったのではないかと思った。

 

これは敬愛する星新一のSF、「ある夜の物語」のあらすじ。ある夜とはクリスマスの夜。キリスト教のイベント。そのキリスト教はユダヤ教から派生。イスラム教もユダヤ教から派生。つまりこれら三つの宗教は兄弟分であり聖地は全てエルサレムである。エルサレムは現在イスラエルにあり、イスラエルはユダヤ教が政権を支配している。だから聖地を奪い合っていつも殺しあっている。

 

ほぼ無宗教と言える日本人からすれば何故兄弟同士でいがみ合うのか不思議でならないが、我々東洋の国々も歴史的にとても深い繋がりがあり民族的にも似通っており兄弟のような関係にあるのにいつもいがみ合っているではないか。

 

地球は現在、環境問題、人口問題、食糧問題、民族紛争そして戦争、とナルハヤで解決すべき問題があるのだが全て悪化しているように見える。何がこの問題を解決するのか?20世紀から発展した経済、つまり金ではこれらの問題を解決できないとそろそろ気づいても良さそうなものである。

 

これらを解決し得るのは「ある夜の物語」にあるような、あまり知らない近所の誰かのことを自分のことのように考え、思いやることができる人間の想像力だと私は信じている。

 

2024年、みんなで一歩前へ。

 

 

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経営者は孤独である。

 

とはよく言われる言葉である。なぜなのか、は様々理由があるだろうけど私は主に従業員とは視点が180度異なるからだと思っている。

 

日本には経営者が275万いる。対してサラリーマンの数は5660万人である。つまり5%が経営者。1/20しか気持ちを分かってもらえない。

 

小さな飲み屋ならそこに居る客の誰一人経営者の気持ちなんて分からない、ってことがほとんどな訳である。社長のバカ野郎~♪とそこで盛り上がる可能性は大いにあるが従業員の悪口を言ったら袋叩きにされるわけである。

 

そんなの孤独じゃないか。うちみたいにちっぽけな零細企業でも経営者はそれなりに悩んでいるという話である。ちょうど勤労感謝の日だし。前回の補完のような内容になってますけど。

 

ま、いつものヤツどーぞ。11/10に書いたものです。

 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

 いつも有り難うございます。

 

今年の秋は山に食べ物が少ないせいか市街地にクマが多数出没している、というニュースが連日流れている。いやはや、まったく腹ペコな熊には本当にクマったものである。

・・・。

アレはもう10年以上も前。私はブログで柔道の心得のある農家のジイサンがクマに遭遇し、突進してきたクマを巴投げで谷底にぶん投げたというスーパーGさんの新聞記事を紹介したことがあった。駆除なんて人間主体の物騒な世の中はゴメンである。これからはクマに遭遇する可能性のある地域は柔道5段以上のスキルを獲得していないと住めないということにしてはどうだろうか。

さて。困ったと言えば私が長年困っていることがある。それは仕事をサボること。私ではない。従業員さんのこと。特に鶏の飼育係。初めは真面目な従業員、でもそれはたった1年半だけのこと。私はこれを1年半のカベと呼んでいるのだが。ちょっと賢いヤツほど慣れてくると仕事中にスマホを見たり勝手に休憩したり、中には農場内禁煙と雇用前に伝えてあるにも関わらず隠れてタバコを吸う者も。雇い初めはみんな真面目なのに。

ニワトリノニワは全員午前中だけの4時間-4時間半勤務。それは副業を推奨しているからです。通常の8時間勤務は集中するのに長すぎると私はサラリーマン時代から常々考えていたのです。従って午前中はニワトリノニワで、午後からはできれば自営業などで労働環境を変えれば一日を集中して有意義に働けるだろうと。

たったの4時間半。けれど漏れなく1年半。それは私の目の届かない作業があるからです。つまりサボる自由度がある。何故半日だけなのに己をコントロールし、集中できないのか、サボるのか?

経営者の力量が足りない説。これは経営者としてまず考えるべきであり私も経営に関する本など幾多と読み、褒める・目標管理をする・責任を与える、など様々に試みてみたがやはり1年半のカベは越えることができない。

会社の待遇に魅力がない説。ニワトリノニワでは現在全員パートだがコロナ前の3-4年位前から時給は1000円。高知県の最低時給が650円だった13年前は850円。そこから最低時給はバカみたいに上がって行き現在の897円に対して1000円。少なくとも給与に関しては魅力がない訳ではないと思われるのだが。

経営者に魅力がない説。ニワトリノニワでは毎回新人が入ると、例の2012年に放送されたNHKのプロフェッショナル「デザイナー梅原真」のDVDを教育ビデオとして見せることにしております。また必ずHPの私のプロフィールを読ませてこの会社が何を目指しているか、お金儲けだけではないことを理解してもらっている。それもでやはり1年半のカベは越えられない。

そもそも半日勤務に応募してくるヤツが不真面目である説。確かに副業を推奨して半日勤務としているものの、応募者のほとんどがそれ以外何もしていない。一日の半分の仕事で満足し老いた親に寄生しているいわばパラサイトシングルの実家暮らし。真面目そうな者を半日勤務の正社員として優遇したこともあったが彼らもやはり1年半のカベを前に沈んで行った。

どの説が有力かは未だ不明なままである。手を抜いても給料は変わらないと思うからだろうか。では、人は何故働くのか?

内閣府の世論調査によると「お金を得るため」と答えた者の割合が51.0%。他は「社会の一員として務めを果たすため」が14.7%、「自分の才能や能力を発揮するため」が8.8%、「生きがいをみつけるため」が21.3%。

本当だろうか?

半分の社会人がお金以外のために働いているなんて私は信じない。どんなに手を尽くしてもたったの1年半で、それも半日の仕事すらサボり始めるというのに。生きがいを見つけるため、責務のため、能力を発揮するため、に働く。つまり己のために本当に働いているなら何故サボるのか、矛盾しているではないか。

労働時間は自分の人生の一部、というか大半であるのに給料が下がらないという理由だけでどうしてサボることができるのか?自分の人生を無駄に過ごしているのに気づかないのか。何故一歩ずつ山を登って死ぬまでにどこまで登れるのか、という向上心を持つことができないのか。

私は社会人になりたての頃。自分は何故給料がもらえているのか?と疑問に感じた時経営者として物事を考える視点を得た。経営者として考えればお金のルートが見えたからである。そして経営者として考えれば仕事の優先順位も明確に見えるし上司の言うことの無駄ばかりでなく正当性も明らかに理解できる。

いや、そもそも己の寝ている時間以外のほとんどを過ごす仕事の時間を無駄にするのは、自分でお金を払って受講したセミナーに出席し居眠りをしているがごとく虚しいことではないか。学生ならまだしも社会人のすることなのか。そんなに仕事がツマランのならすぐに転職したらいいのに。

人は何故サボるのか?

北大の生態学者長谷川英祐氏は、アリの集団の中で働かないアリが2割くらい存在することを発見した。彼らはブラブラとサボって横道にそれている内にエサまでの最短ルートを発見したり新規なエサを発見したりするのに役立っているそうだ。このことから働かないアリに意義がある、と述べているのだが私は異議を唱えたい。

たった1人で担当している鶏の飼育の仕事をサボるのである。彼曰く「シンドイからサボる」のだそうだ。鶏の飼育がシンドイかどうかは個人の考え方によるだろう。

ならば清潔で輝かしい都会で、満員電車に一時間も揺られ小奇麗で冷房の効いたオフィスに通い、仕事の見える化などと言って毎日の仕事や成果を抜け目なく管理されているのはシンドくはないのだろうか。鶏の仕事をサボる彼はきっと一時間も耐えられないに違いない。

人は何故サボるのか?

私は思う。社会人のほとんどが夢や目標を自分で見出す力に欠けているからである、と。だから自分の人生ではなく、他人事をやらされているからサボって楽をしたいのだ。まさに一生が強制労働者のようである。

人生の夢や目標を見つけ、その過程としての仕事を見つけ、仕事の目標を立て、毎日が自分の人生の過程であると認識しながら生きることができれば。

その夢や目標は即ち好奇心から繋がって行くものである。好奇心さえあればその延長上に働く目標を立てられるし、好奇心=「面白い」の延長が仕事なら誰だってサボらないだろう。好奇心があれば人は自分の人生に夢や目標をもって有意義に過ごすことができるのではないか。

その好奇心を育てるのは教育の役割だろう。大人になってからではもはや遅い。「面白い!」は自発的な心の動きであって大人になってから誰かに教わるものではないのである。

そんなアダルトチャイルドな彼らの面倒を見るのはもう疲れてしまったから私は今後できれば一人で働くことにしようと思っている。

 

 

 

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人は何のために生きるのか、働くのか。

 

幸せとは何なのか。ようやく猛暑が過ぎて落ち着いて来た秋に。一人物思いにふけるなんてのはどうだろうか。スマホなんて手放して。秋の高い空から自分を俯瞰してみては?

 

 

いつものヤツどーぞ。10/10に書いたものです。

 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

 いつも有り難うございます。

 

「君たちはどう生きるか」というスタジオジブリのアニメが公開され話題を呼んでいる、的なニュースを夏に見た。それでその漫画化された物が200万部も売れたというニュースが5-6年前にあったな、と思い出した。

 

いかんせん私はあまのじゃくだから流行りモノには手を出さないという方針を貫いて今に至る。つまりどっちも見てないという訳である。何言ってやがんでぇ、てなもんである。

 

流行っているモノはツマらない。「アナ雪」や「君の名は。」などの残念作。子供向けだから手を抜いているのだろうか?無論これらを観たのも地上波になってからである。話題作だからと観たのだがストーリーが短絡的だったり論理に飛躍があり過ぎて楽しめなかった。いや、だが大衆に受けるには単純じゃないと駄目なのだ、と今は考えている。

 

宮沢賢治や石川啄木らは生前ほとんど評価されなかった。彼らの同時代に売れていた与謝野晶子や子規、芥川・太宰・志賀直哉らはいわば大衆に迎合した愚作の作家と言えるかも知れない。

 

と、恐れ多くも明治の文豪をコケ下したところで、前述の「君たちはどう生きるか」の話。ジブリのヤツは宣伝を一切行わない、ことすら宣伝材料にする浅ましさに辟易しながらこのタイミングで映画化されたということはあの漫画が流行った5-6年前にアレを読んで影響を受けたからだな。宮崎駿も凡人に過ぎんな、と。

 

いや、それはともかく。君たちはどう生きるか?という命題である。

 

そろそろ読んでみようか、と書評などをチラッと読んだところ、これは職業選択の問題ではなく立派な大人になるにはどう生きるべきか?という道徳的な内容であるらしい。それが本当なら、ああ、ヤダ。ツマラナイ。

 

原作は反戦ジャーナリスト吉野源三郎氏のもの。あ、だからかね。道徳や倫理なんて人が社会で円滑に生きるために決めたルールでしかない。そんなものを賛美している内は人間は幸せになどなれないのではないか。

 

そうじゃなくて。

 

社会人に問う、どう生きるのか?の問題。即ち何をして生きるか、何のために働くのか、何故働くのか?という疑問の方が本質的で面白いと思うのだが。

 

人は何のために働くのか?

 

客観的に数字でひも解いてみる。H26年内閣府世論調査によると「お金を得るために働く」が51%でダントツでトップだそうだ。ではお金の使い道は?というと、生涯収入がざっくり2.7億(大卒男)で、税金が約5.4千万、食費約5.4千万、住居費約3.5千万(地域差大)、教育費約2千万、マイカー約1.5千万、保険約1千万となるらしい。

 

一日の労働が、ありえないけどきっちり8時間だったとして。その内の2時間を税金に捧げ、1時間強をハウスメーカーやゼネコンに捧げ、1時間を子供を苦しめバカを社会に増やすために捧げ、30分を自動車メーカーに捧げ、20分を保険会社に捧げ、残り約3時間の内2時間を食べるために働き、たったの一時間足らずを自分のための娯楽などのために働いている。これでいいのか、現代人よ。

 

地方に住み慣れた私から見ると全部不要な出費にしか見えない。

 

食費は地方に住んでいて農業をやっていればほとんど自給できるか親しい知人との物々交換でまかなえる。住居費は立派な家など欲しがらなければ田舎なら土地は二束三文、1千万もかければ二階建ての家も建てられる。

 

廃材や古民家を使って自作やリフォームすれば2-3百万で小奇麗な住宅も可能。しかも楽しい!因みに私は農場の傍らに自作した掘っ立て小屋兼事務所に寝泊まりしている。13年間も。材料は廃材、タダ。

 

教育費なんて子供の好奇心を育ててやれればネットで幾らでも情報を得られるし本なら図書館にたくさんある。購入したってたかが知れてるというもんだ。自分が言うのもなんですが大学不要派なので。5年も前の先輩の講義ノートと寸分も違わぬ内容を板書し続ける情熱なんてこれっぽっちもない教授が大多数である大学の授業を生で見る価値なんてどこにあるのかね。

 

マイカーに関しては、田舎は皆車検2回くらいで新車に買い替えたりしている。田舎の人は皆見栄っ張りなのだ。しかしそれでは大手自動車メーカーの奴隷ではないか?車の資産価値なんて10年で30%程度と言われているのだから10年落ちの車を新車の30%で購入したらお得じゃないかね。幾ら住居に金がかからないからと言って・・・

 

保険代は1千万も払って一体幾ら生涯で保険金を貰うんだろうか?どう考えても保険会社は儲かっているようにしか思えないので私は保険に入るくらいなら、と自分で生命保険貯蓄している。

 

と、まぁこんな生活をしていたら生涯で稼ぐ金なんて1/10くらいで済むのではないだろうか。たったの3千万足らずである。だがこのような生活の基礎となっているのは言うまでもなく農を中心とした自給自足のライフスタイルである。

 

高度経済成長期に推奨された支出モデルを頑張って維持するのにどれだけ人は無駄に稼がねばならないか。働かねばならないのか。苦労せねばならないのか。もっと生きるという根本的な部分にこそ労働の本質を見出せばカネカネと言わずにゆとりが生まれるのではないか。

 

農業が楽とは言わない。だがそれは大昔に作られたJAを中心とした薄利多売の農業に何の疑問も持たないからである。もっとラクして遊び半分にむしろ生活を楽しむようなライフスタイルを目指せば人間は今よりずっと幸せになれるのではないだろうか。

 

と、考え。

 

ただいま販売目的の農業からの脱出を目論んでおります。この支配からの、卒業。

 

 

 

 

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愚民
 
という言葉がある。古くは平安時代の続日本紀に出ている。この続日本記は平安時代697- 791 年までの日本の歴史を記したもの。この時代は貴族や公家を中心とした荘園制度の時代であり皇族の土地を一般人に耕させ収量のほぼ半分を年貢として徴収した。
 
その圧倒的格差の時代、愚民は大衆という意味で使われた。だがマルクスによれば、大衆は歴史の主体であり社会主義革命の担い手である農民を指す。
 
因みに一般人をチンパンジーに聞き間違える明石家さんまの定番のあの下りを実は私も日頃多用してるメンドクセーやつです。なるほど、私が愚民でした。あ、ぐみんなさいm(..)m
 
さて伏線はここまで。いつものヤツどーぞ。9/10に書いたものです。
 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

いつも有り難うございます。

ガソリン価格が高騰。政府は補助金の拡充を決めたところだがそもそも石油販売に対する税金を見直すべきという本質的な議論が持ち上がっている。だが岸田政権は頑なに減税には目もくれず・・・。

というのも石油元売り企業がつくる石油連盟 からの自民党への政治献金はランキング6位の5千万円なり。更にお役人の天下り先が石油関連の協同組合だ、なんて話もある。

それでも一票入れるんでしょうね、自民党に。日本人は。もしくは我関与せずで投票にすら行かないおつもりか。長年政権を独占している自民党と特定業界の癒着は根深いものがありそうだ。だから時々政権交代をしてやらねばならないのだ。田植え前の田起こしのように。上と下とを入れ替えて、酸欠状態の土壌に新しい空気を入れて。

さて、高騰していると言えば農業関連である。肥料及び畜産飼料共に2020年に比べ概ね1.5倍以上に価格が跳ね上がっている。にも関わらず食品の価格は2020年比でたったの5.5%増である。日本の食料自給率は生産額ベースで63%だから一概には言えないことではあるが。しかし農家が報われていないことは明らかだろう。

一般的な農家は農協が生産物の出荷先であり価格を決める権利はない。幾らで農協が買ったのかを知るのはJAバンクの通帳を見てから、つまり結果のみ知る訳である。そんな農協氏はあくまで仲卸の立場なので強気に価格を上げてスーパーに嫌われる意味がないと考えている。農家の立場なんぞ知ったことではないのだ。

ガソリン価格の補助金は既に10兆円規模となっている。農家に対する、例えば肥料の補助金はたったの800億円足らず。やはり政治献金の多寡が予算に反映されているのだろう。自民党政権の既得権益を守るために税金の使い道=日本の未来が選択されている現状を日本人は何とも思わないのだろうか。肥料高で離農者が増えているという話もチラホラ出始めている。

世界情勢(戦争)や人口増加、発展途上国の近代化(肉食化)や異常気象等々・・・による食糧生産量の減少。15年前に私が脱サラする時に危惧していた通りのことが起こっている。ガソリンがどうのこうのと言ってる場合か?と、今一度日本人に問いたい。

コロナ禍で外食産業が低迷した分だけ少しは減ったらしいのだが、相変わらず大量の食品廃棄を続け、なおかつ食料自給率は横這いのまま。なんなら12ポイント下がったくらいだ。日本人は完全に平和ボケと老眼が進んで目の前が見えないらしい。

或いはスマホ漬けの脳みそになったのは国家戦略であろうか。ゲームやSNSの情報によって右へ左へと短絡的に反応するアバターにおとしめられた奴隷。

恐らく、いつの時代にもどんな国にも当てはまるのだと思うが、大衆は操作されていることにすら気づかない烏合の衆であり、鵜飼いの鵜のごとく目の前の鮎を一心に呑み込めば飢えが満たされると信じて疑ったことすらないのだ。

いや日本人がバカだ、大衆は大馬鹿だ、という結論ではない。気づいていながらも影響のあることが何もできていない己の不甲斐なさをもどかしく思っているという話である。

 

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「戦争と平和」
 
を書いたトルストイ。「罪と罰」を書いたドストエフスキー。彼らはいずれも旧ロシアの作家である。彼らのストイックさこそがプーチンを生み、戦争を生んだのかも知れない。てなことが最後まで読めばロジカルに理解できると思うよ。
 
 
さて、いつものヤツ。8/10に書いたものです。
 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

いつも有り難うございます。

8月に入ると四国は「よさこい」やら「阿波踊り」やらでお祭り気分で浮かれてしまいがちですが世間は原爆の日や終戦記念日で鎮魂ムードなのです。

戦争はなぜ起こるのか?

について例のごとくチャットGPTに質問してみたところ、領土・資源、イデオロギー、民族・宗教など様々な対立が原因であるとのこと。相変わらずポンコツである。一般的常識がある大学生レベルと言ったところか。では頼まれもしないのだが私が戦争を心理学的に解説してみる。

人間は個人が生き残るためのエゴ(本能)と、集団でうまく行動するための社交的な一面とがある。この二面性は多くの場合対立している。従って小学生に上がる頃には人間の心理の中では友達とあまり喧嘩しないための社会的な仮面(ユングの言うペルソナ)を作り始める。

しかしそのペルソナが形成されるに当たりエゴが抑圧され無意識の中に影を落とす(ユングの言うシャドー)。簡単に言えば本能は欲しいものを友達から奪ってしまえと命じるのにペルソナがそれを許さないというジレンマが生じる訳だ。

このシャドーこそが戦争の元凶である。シャドーは自分の無意識の中にあるのだが人に投影される性質を持ち、あたかも他人が自分を抑圧しているように感じてしまう。そこできっかけを見つけて「なんだよ、オマエ」と争いに発展する。そしてペルソナが多いほど、抑圧が強いほどシャドーは強く影響力を持つ。

全ての争いの原因は、本音では犯罪者のごとく傍若無人に振舞いたいのだが社会がそれを許さないから。このことを踏まえれば戦争を起こさないために何をすれば良いかわかる。

ペルソナを緩めてやれば良いのだ。だからと言って犯罪を許せというのではなく、適度に逃げ道を作ってやれば良い。人が目の前で旨そうなモノを食べてたらそれを奪うのではなく一旦忘れて後で自分で買って食べれば良い、とか。

現代社会は多くのペルソナを持ち、それが強力であるほど社会的に成功する傾向があり社会もそれを推奨している。この時代は危険である。

8年前。2015年の梅雨真っただ中。私は初めて広島を訪れた。名古屋で国際養鶏養豚総合展てなヤツを見学した帰り道である。その年は戦後70年の節目となる年。前年の2014年に父が69歳で他界。父は終戦一か月後の9月に満州で生まれた。強烈な父だった。戦後のドタバタと共に育ったそんな父の人生を振り返る意味でも戦争というものを今一度身近に考えてみようと思ったのだ。

 

初めて訪れた広島の街には静かな平和への祈りに満ちていた。雨がシトシトと降る中歩いた街中の橋の欄干、公園の祈念碑、道路など至る所に平和の文字が溢れている。私には「平和」という名を借りた怒りに満ちているように思えた。

本音では原爆を作ってアメリカにやり返したい。でもカッコつけて自分は平和主義ですから、とか言って唯一の被爆国だから平和を、と叫ぶ他ない。じゃあ平和ってなによ!

戦後78年になった。人間は大して進歩していない。道徳や倫理が怒りを生み、怒りが戦争に発展する。皮肉なものだ。

怒りを生まないためにはまず自分の中に怒りがあることから目を背けないこと。そして人間も本能を持った動物であることを再認識すること、「人間だもの」の以前に「動物だもの」である。

それにはまず教育ですよ。人間の、いわゆる醜い部分から目をそらさない教育・・・醜い、か。みんなこの時代は生きにくいでしょう。鬱屈した感情をお祭りで発散!は一時しのぎに過ぎないのだから。
 

 

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もうじき夏休みですな。
 
いや、50過ぎたオッサンに夏休みはないんだけれど・・・いや世の中の50過ぎのオッサンのほとんどが夏休みあるじゃねーかよ。そーかよ、夏休みねーのは少数派かよ。
 
ま、夏休みと言えば上野公園を真っ先に思い出す。小学生の頃、確か一回だったけど。夏休みに上野公園にある国立科学博物館に連れて行ってもらった記憶が鮮明である。
 
特別展として恐竜の特別展示が開催されていた。まだ幼い私が見たその巨大な骨のインパクトと言ったら。こうして40年も記憶に鮮明に残っているのだから子供の頃の夏休みの体験は貴重である。
 
 
さて、いつものヤツ。7/10に書いたものです。
 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

いつも有り難うございます。

まったく暑いですねぇ。暑いと言えば私は数年前に帰省した際にぶらっと寄った相田みつを美術館を思い出す。久しぶりの都会のいやぁな暑さと人いきれで東京駅周辺をげんなり歩いていた時。思わず目の前に現れた「相田みつを」の文字に気づけば涼しげな館内に吸い込まれていたのだった。

 

あの清涼感と言ったら。増々相田先生が好きになったことでした。ま、そんなことはさておき。九州ではまだ大雨が続いておりますが高知の天気予報は見渡す限り晴れマーク。少なくとも高知に限っては梅雨明けしたようです。

 

梅雨明けすれば当然のごとく南獄、いや南国の高知は連日34℃にもなる猛暑が続いております。にもかかわらず私は毎日更に暑いサウナに1時間以上も入り、あろうことかこの炎天下、週に34日も日差しを遮るものがない四万十川の河川敷ゴルフ練習場を浮浪者のごとくカートを引きずりながら徘徊している訳です。まさにヘンタイですな。

 

いいえ。猛暑の中、四国を歩いて回ったお遍路で得た、生きることの意味・実感を文明社会で敢えて味わおうとしているのです、と言ったらカッコいいんじゃなかろうか。ともかく乾いたら飲む、死ぬほどの空腹を満たす、のが生きている実感、即ち本来の幸せだと思うのです。それにはちょっと身体を痛めつけなきゃ。て、やはりヘンタイなのか?

 

さて、サウナと言えば。常連のサウナ仲間に若い頃ボディビルダーだったと言うオッサン(推定62歳♂)が居ります。現在はどう見てもミシュランのマスコットキャラクター(通称ミシュランマン=ムッシュ・ビバンダムというそうです)を更に横に引き伸ばしたような体型でお世辞にもカッコいいとは言えませんが。

 

で、その彼はひとたびサウナに入ると30分以上も出てこない。従ってサウナ仲間から変人の噂が絶えません。我々凡人は長くて12分計一周分しか入っておれないというのに・・・そんないぶかしさを晴らすべく物怖じしない私が代表者として声をかけた結果、元ボディビルダーであることが判明した訳です。

 

若い頃(二十歳前後)ボディビルの減量でサウナスーツを着て1時間以上も己の美と向き合っていたこともあり、ただ風呂上がりに冷たい飲み物(現在はノンアル)をぷはーっと飲みたい、という我々凡人とは我慢の限界がケタ外れ、ということなのでしょう。

 

減量と言えば。

 

先月のボクシング、WBAスーパーフライ級の井岡一翔の試合で元チャンピオンのジョシュア・フランコ選手が減量に失敗し前日の計量で3㎏もオーバーして王座を剥奪された上に失笑を買う、なんて珍事件がありました。

 

取り囲んでいた報道陣からは失笑が漏れ永久追放だ、なんて声もあったようですが。私はもっと大らかでもいいんじゃないか、と。

 

ストイックに思いつめて何かを完璧に成し遂げる人は尊敬されるだろうけど近寄りがたい。でも時々己の欲に負けて失敗しちゃう人は憎めないし親近感が沸くというもの。

 

だって、「にんげんだもの」 

 

 

 

 

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子供は未来を明るくするのか?
 
少子化対策云々を議論する前に本質的な議論が欠けている。家庭に子供が居れば居ない場合にくらべて様々な経験が積めることは確かである。
 
しかし子供を自分のアバターのように着せ替えするような親が多いし、本当は子育てなんか興味はなく気分次第で子供の存在を疎ましく思うような虐待親のなんと多いことか。当の子供からすれば良い両親に恵まれ幸せを実感しているなんて例はかなりレアだろう。
 
従って子を望み、その子が産まれた場合には子供は親の未来を明るくするだろうが、子供にとっては必ずしもその未来は明るくはないのである。いい迷惑である。
 
多子を望むならまず親の教育。世界に不幸な子供、ひいては不幸な人間ばかりが増産されて行く・・・
 
 
さて、今回のは6月10日に書いたものです。
 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

いつも有り難うございます。

 

年初から吹いていた「異次元の少子化対策」とやらの内容をようやく政府が発表しました。少子化についてはここで何度も触れたので少々煩いかも知れませんが、やはり度々議論せねばならない問題だと思うのです。世界の人口が増え続け日本の人口が減少に向かい始めた今だからこそ。

 

政府は未だ安易に金を撒けば子供が生まれると思っているのか、2030年までに現在の約二倍の10兆円に増やそうとしています。だが少子化対策のために子供のいる家庭に金をばら撒くのは明らかに間違っている。何故なら出生数と最も因果があるのは婚姻数であり、その婚姻数は若者の所得と強い因果関係があるからです。

 

つまりお金がないから子供を産まない、のではない。給与の高い安定した職に就けず金がないから結婚しない、よって子供が生まれないのです。従って少子化対策を効率的に進めるには未婚対策に予算を充てるか、或いは未婚者の出産に予算を充てるかすれば良いことは誰の目にも明らかです。

 

未婚の原因は若者に金がないから、ということは雇用対策が必要です。雇用対策を進めるにはサラリーマンの約7割を占める中小企業への支援が最も重要ですが中小企業対策費用はたったの1118億円(22年度)です。かたや業績絶好調である大企業、に対する法人税が未だ大幅に減税されたままだというのに。

 

ここから透けて見えるのは大企業や大企業が主体をなす業界団体は政治献金などで政党に大いに貢献してくれるから、という薄暗い癒着です。

 

即ち今回の少子化対策の本音は、貧乏な若者を救うべく中小企業の給与水準を引き上げるのが最も効果的な未婚対策ひいては少子化対策に繋がることは明確であるが、そんなことをしても票に結びつく訳でも政治献金が増える訳でもなく政治家にとって大したメリットは考えられない。

 

従って、現時点で給料が高いため婚姻率が高く、既に子供のいる家庭を築いている大企業に勤める若者に二人目三人目を産んでもらうべく子供が生まれたら手厚い補助をする方が大企業のご機嫌を損ねずに済むというものだ、というところか。日本ではベーシックインカムの議論が進まない訳です。

 

そもそも生活するのに金が必要という社会は幸せなのか?私が一国の長なら最低限食べるのに金の要らない社会を目指す。タダで家庭に食材を配る案に加えて公営の無料食堂を全国に設置、というのはどうだろうか。ともかく基本的に食費はタダ、という安心感は少子化対策ばかりでなく社会を良い方向へ変えはしないだろうか。

 

しかし本音では。

 

私は少子化対策なんてクソ喰らえと思っている。そもそもまず少子化の是非についての議論がないのが問題です。少子化の何が悪いのか。世界では人口増加が危ぶまれているのに何故か少子化の是非が問われない。確かに日本では高度経済成長期に整備した社会インフラを維持するには税収減に繋がる少子化を危惧するのは当然、と己の政治生命にしか関心のない職業政治家は言うでしょう。

 

では食糧の問題は?日本の食料自給率はたったの38%(カロリーベース)しかない。世界中で食糧確保のために農地化され消失している毎分東京ドーム約2.4個分の森林の問題は?生態系への悪影響は?政治家にはマクロな視点が欠けている。

 

食糧問題に関して我らが畜産の話。採卵養鶏における飼料自給率(ほとんどが輸入飼料)を加味した自給率(国産率)はたったの10%程。最近卵価の高騰で輸入飼料の問題が注目されているらしいがもう一つの問題である鳥インフルエンザによる殺処分のことは余り問題視されていないように思う。

 

何が問題か、って一羽感染したら全羽殺処分にする対策の是非である。

 

2004年から流行し始めた高病原性鳥インフルエンザが20年も経つのに未だ収束しないのは全羽殺処分という対策にあるのは明確でしょう。殺しちゃうから免疫もできない。ウイルスも共存する方向に進化できない。にも関わらず未だ殺処分という対策が変わらないのはパンデミックを一時的に避けるためでもあるが、風評被害による鶏卵業界全体への不信を嫌うからであると言われている。

 

しかし鳥インフルエンザやその他病気に罹患した鶏肉を食べても卵を食べても人体への影響はないというのは常識である。こんな風評被害対策によって昨年冬からの感染で全国で1700万羽も殺処分されている。一羽当り生涯産卵数を300個として現在の卵価平均一個30円でザッと1500億円以上の損失である。

 

こういった経済的損失や食糧廃棄の問題、何よりいつまでもパンデミックに怯えながら営まねばならない畜産の問題、の方がよほど重大だと思うのだが。

 

新型コロナで分かったようにパンデミックは必ず収束する。それは人類を殺処分しなかったからです。もし鳥インフルエンザで殺処分を行わなかったら鶏に免疫ができ、更にウイルスも弱毒化する方に必ず向かう。その他のウイルスによる病気についても同様なのです。

 

ニワトリノニワは先んじて来たるべき悪夢を経験している。うちは日本で一番過密じゃない部類の養鶏場ではあるが放し飼いという健康的な飼育方法を過信してワクチンを積極的にやって来なかったせいである。正義ぶっても仕方ない。放し飼いでも野生に比べれば過密に違いないのだ。

 

それは人類も同じ。人類も家畜もパンデミックからは逃れられないのではないだろうか。今この対策を誤ると未来にはもっと大変なことが起こりかねない。

 

即ち、過密を避けるため飼育羽数を極端に減らすか、パンデミックで殺処分を行わないか。人類にとって少子化が本当の意味で不幸なのか今一度よく考えてみた方が良い。

 

 

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連日のニュースで取り上げられており、あっという間に時代遅れになりつつあるChatGPTについて。
 
ChatGPTを使いこなしている訳ではないが、文章能力だけで測るのであれば平均的なサラリーマンより或いは優れているかも知れない。何しろ知識量が半端ない訳だし。あくまでも私の感想だが。
 
5月10日頃に書いたものです。
 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

 いつも有り難うございます。

ここ数年DX推進なんて言葉をよく聞く。ひと昔流行ったIT化とどう違うんだ?と調べていたらどうやら両者は概念の違いであるらしい。IT化とは社内向けの言葉、DXとはもっと幅広く社会全体に向けた言葉、とのこと。

 

そう言えばこれも最近使われなくなったユビキタスとはどう違うだろうと調べてみると、ユビキタスは情報へのアクセスのみを示す言葉であって人間の考えや判断が必要になるがDXはその間にAIを挟んだりするので最終的判断を、ヘタすればAIに委ねる可能性もあるようだ。

 

さて。

 

DX推進なんてのを政府が旗揚げしているためリスキリングなんていう、これまで聞いたこともないような言葉を耳にすることが多い。リ・スキルだから再教育のこと。

 

誤解を恐れずざっくり言えばAIが人間の能力を凌駕するシンギュラリティの時代を見据えてAIやそれを搭載したロボットにできないような技術を再教育して、その時代社会のゴミとなるであろう中年以上のビジネスマンを救おうということである。

 

このリスキリングでプログラミングを社内教育するのが流行っているらしいが、本当にそんなことが役に立つのか私は疑問である。

 

プログラミングのような知識や経験を使うものは現時点のAIよりは人間が優れているだろうが、AIが人間の能力を越えるとされる2045年、シンギュラリティにおいてはゴミとなる可能性が大であろう。

 

そこで現時点のAIはどんなものか?噂のChatGPTを2ヶ月くらい前に試してみたことがある。初めて使った感想は、衝撃的に良くできており、これは革命的ではないだろうかと思った。

 

「心はどこにあるのか?」や「宇宙の真理とは?」また「時事問題のブログを書いて」など質問・依頼してみたが驚いたのはその文章能力の高さである。「起承転結を意識して」と注釈を付けるとちゃんとそれなりの文章を書いてくれる。一文一文ぎこちない文章ではなく人間っぽい自然な文章になっている。

 

だが残念ながら内容的には理解して書いてないことが分かる面白味のない文章である。大学のレポートの作成などズルが危惧されているらしいが教授がもしちゃんと読んでいるならばやはり簡単に分かってしまうだろう。

 

ではあるが現時点でもプログラミングもできるらしいし、知識としては電子書籍にして約1,125万冊とのことだし、ちょっとした秘書代わりと思えば利用価値は大である。

 

実はこの文章もChatGPTに質問し情報を精査しながら書いている。これまでグーグルで検索し必要な情報サイトを見つける手間がほんの少しは軽減できたようである。

 

縮小する社会、地方の人材不足は致命的に加速している。田舎でちょっと有能な人材を探すのは困難だが辞書を抱えた秘書がおれば後は使用者の能力次第で人手代わりとすることも可能と思われ。

 

だがその使用者の能力こそが地方で一番不足しているようであるが。

 

 

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4月10日に書いたものです。

 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

 いつも有り難うございます。

先日作家の畑正憲さんが亡くなりました。テレビではムツゴロウさんとして動物好きのタレントみたいに扱われておりましたが。

 

獣医の資格を持つ父がいた、かつての我が家も例に漏れず1980年にフジテレビで始まった「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」のシリーズを欠かさず見ておりました。高知ではフジテレビの放送が始まったのが1997年なので余り馴染みがないと思いますが・・・

 

そんな彼の番組やTBSの「野生の王国」、NHKの「地球大紀行」なんかを子供の頃から見て見事に生き物好きに育った私。思えばこれは親父の影響ということなのでしょう。

 

しかし兄と妹の3兄妹で生き物好きになったのは私だけなのですが。そうして育った思春期のある時期、作家畑正憲を知ることになります。

 

初めに読んだのは「ムツゴロウの青春記 」だったか。彼の自叙伝の一つです。その作品の彼の情熱に溢れた生き方に惹かれ、以後100冊にも及ぶ彼のエッセイや小説を集められるだけ集めて読み漁った、だけでは飽き足らずほとんどの作品を10回以上も暗記するほど読み返したのです。

 

従って自分でも認識しておりますが私の文章は多分に作家畑正憲の影響を受けていると思います。その情熱を持って目的に突き進む生き方も。

 

同じような人物としては登山家の植村直己の自叙伝からも同じ情熱を感じます。他にはNHKでカマキリ先生をやっていた俳優の香川照之ですかね。銀座のクラブでのオイタで謹慎しているのが本当に勿体ない。後は今NHKの朝ドラで注目を集めている牧野富太郎氏も同じような人種でしょう。

 

こういう、様々なものに興味を持ち、まっすぐに突き進むような生き方の人は幸せだと思うし、周りの人は惹かれます。ではこういう人間はどのようにできるのでしょうか?

 

私が思うに子供の頃に、それも物心付く前くらいから興味を持ったものを親が否定せずジッと見守ってやること、だけではないでしょうか。それも都会ではなく野に放ち生き物に触れさせ泥だらけで遊ばせて。

 

私の幼児期はまさにそうした千葉の田舎、落花生畑の広がる大地で育ちました。今、若干情熱が褪せてしまっているけれど、その内また目標を定めサナギになり、いずれは蝶に。

 

 

 

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